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3-0 レギュレータ――感覚の連鎖

ありがとうございます。


 拓けた街道で、青空を仰ぐ開放的な入浴。


「ん……やっぱ、ここでニャマコ風呂入ると落ち着くかも……」


 この場所は、かつて慣れ親しんだ――引きこもっていた仮想現実に似ており、黒い神に最適化された空間でもあるため、彼女には強い安堵感をもたらす。


「なんや……ウチもここやったら、オフロの良さっちゅうんが身に染みて分かるけぇ」


 ライも、かつてない実感を伴って湯に浸かっている。


「ここで感じる感覚は、黒いのに『合わせられて』おるからにゃ。ヒト型の形でおる限り、黒いのが感じる感覚に近くなるよう調整されるのにゃ」


「ニャマコは?」


「ワシの感覚は変わらんにゃ。元から、ヒトの感覚は再現できるからにゃ」


 この空間は仮想現実を拡張したようなモノ。ここで感じる感覚は、意識に直接再現されている。

 その際、レギュレーションと言ったら良いのであろうか、規定された感覚の型枠に嵌められてしまうらしい。

 能力による生成、食事、管理区域内の移動なども行えるが、何かしら間接的な形が取られているようだ。


「あ、もしかして、ここなら白姐も感触分かるのかな?」


「それは特別仕様で、黒いの限定だにゃ」


「そっか……白姐に面白い感触、教えてあげたかったかも」


 おそらく『感触』同様、ライの固有能力も、そのままの形で再現されるのであろう。

 あくまで、視覚や味覚など、個人の特性に依存しない感覚のみ、黒い神基準で上書きされるという事か。


「んだけぇが、コレ馴染ませたら、ずっと黒姐と同じやけぇ、そんだけでも嬉しいでなぁ」


「そうなの? それは私も嬉しいよ」


 ライの在り様は、既に今でもヒト種と大差無いが、さらに近づくための指標が得られた事は、ライにとっても喜ばしい事であろう。


「ふむ……それなら、黒いのが好きな物を作ってやるのにゃ。二人で食べてみたらどうかにゃ?」


「ん、ありがとニャマコ」


「何が良いかにゃ?」


「……久しぶりに、普通のご飯、食べたいかも。白いお米とお味噌汁って、できたりする?」


「ふむ……今、記憶を見た限りでは、米と味噌、それに具材にはバリエーションがあるようだにゃ。最も鮮明に記憶されておるヤツで良いかにゃ?」


「ん、その辺はニャマコにお任せしたいかも。あ、作るとこ見て勉強し――」


 瞬間、ニャマコがテーブル型に変形し、その上に日本食セットが現れる。

 相変わらず、ニャマコの食品生成はクオリティと速度が尋常ではない。

 如何に記憶を同期しているとはいえ、その構成成分を知らないで味や食感を再現するというのは、一を聞いて十を知るという表現を超える。


「え……」


「できたのにゃ」


「何も見えなかったけど……できてるね」


「そうけぇ? ウチには見えちょったけぇが」


「ここはワシにとっても最適な空間だからにゃ。今のが把握できるようになれば、黒いのも一人前だにゃ」


「……精進します」


 私も一人前には程遠いようだ。一切把握できなかった。

 しかし大抵の管理者は、私とさほど変わらないのではなかろうか。


 ニャマコは大規模でアバウトなモノは苦手なようだが、小規模で精密な生成に関しては常軌を逸している。

 それを捉えるライの感知も、十分常軌を逸しているが。


「それより、丹精込めて作ったのにゃ。食ってみるのにゃ」


「お漬物もある……」


 ニャマコが変形したテーブルの上には、漆塗りのお盆の上に、量産プラスチックのお椀に入った白米ご飯と味噌汁、大型の販売容器そのままの漬物、銀の菜箸が乗っていた。

 おそらく、記憶を忠実に再現したのであろうが、微妙な不調和が彼女らしい。


「懐かしいなぁ。二本で挟むヤツは久しぶりに見たけぇ」


 ライが箸を手に持つと、黒い神が扱い方を見せる。


「……トングは知ってる感じ?」


「ふむ、挟むタイプの食器は、手の構造や使われる素材で変わるのにゃ」


「そうなんだ」


「それより、さっさと味を確かめてみるのにゃ。かなり再現できたはずにゃ」


「ん、いただきます――」


 ご飯茶碗を手に持ち、ライに見せながら白米を口に運ぶ。


「あ、これ、魚沼産だ……美味しい」


「ふむ……味噌汁はどうかにゃ?」


「ん……ちょー美味しい……あおさ汁だね。白姐は?」


 ライが、いつも通り薄く微笑みながら、黒い神を真似て白米を口に運ぶと、突然、震え始める。


「ふふっ……ふふふっ……」


「ん? どうしたの?」


「ふふっ……やっと……ふふふっ……やっと、分かったけぇなぁ」


「えっと……」


「……味が美味いっちゅう感覚……初めて、ちゃんと、分かったけぇ……ふふっ……ふふふっ……」


 どうやら、ヒト種の味覚をこれまでも分かっている風ではあったが、本当の意味では理解していなかったようだ。


「なんか……スゴイ、くすぐったい感触……ふふっ……来てるんだけど……ふふふっ」


 黒い神も伝わる『感触』から、耐え難い笑いの衝動に襲われたらしい。

 ライが初めて感じたヒト種にとっての美味しさは、ライの感情を狂わせるほど衝撃的だった、という事か。


「これは……なんにゃ? 思考伝達が――」


 ニャマコも、同期による思考伝達から、二人の感覚情報を受け取ったようだ。


「ニャマ……ふふふっ……コレ……ふふっ……ヤバイ……ふふふふっ!」


「ふふっ……兄さん、最高に、美味い……ふふふっ!」


「なんにゃ……お主ら……なんなんにゃ……」


 笑い続ける二人の思考と感情は混沌としており、イマイチ分析しきれない。

 しかし、狂おしいほどの多幸感に興奮し過ぎて、若干苦しんでいるのは分かる。

 ヒトは、激し過ぎる感動に涙を流す事があるが、これが黒い神の感覚を得たライにとっての『それ』なのであろうか。

 ある程度の感覚や思考イメージを間接的に把握可能な意訳変換は『上司』のお手製。かなりヒト種向けに偏った作りになっているため、『感触』と比べて汎用性は低い。

 『感触』そのものの再現はデメリットが多いらしい。

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