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2-19 雨降らしの精――優しさと規律

ありがとうございます。


 ライの分体による脳機能障害への対応が始まった耳無しの集落。

 分体そのものにより構成された貯水池の周りには、狩猟を終えた耳無し達が集まっていた。

 貯水池の水は高く盛り上がり、ニャマコに似せたと思われる顔とネコミミを持った水の塊が、耳無し達を見下ろしている。


「血ぃ、吸うたろかぁー」


「……おい。お前、ライだろ?」


 おそらく、雨降らしの神がもたらした神秘的な水の恵を演じたいのであろうが、雨降らし様――ニャマコに見た目を似せていても、その現地語の口調は完全にライでしかなかった。


「……いんやぁ。ウチは神様の遣い、雨降らしの精っちゅうもんやけぇ――」


「ここに住むんなら歓迎するが、その格好はなんだ? ホントに神様の遣いになっちまったのか? 獣衆の方はいいのか?」


 神様の遣いスタンスでゴリ押しするライに、胡乱げな視線が集まる。


「ウチは分け身やけぇ、鼠の子らんとこにも分け身はおるけぇなぁ……んだけぇが、ライっちゅうんはウチと違うけぇ」


「隠す気があんのかねぇのか、どっちだよ……で、このでけぇ水溜まりはどういう事だ?」


 もはや完全にライであるとバレているが、それよりも、貴重な水が目の前に溢れている事が気になるらしい。


「雨降らしの神様祀るんなら、ここで皆に水やるけぇ、ついでに話し相手してもらいてぇでなぁ」


「そりゃあ、ありがてぇが……この水、飲めんのか?」


 ニャマコ似のライが水面から伸び上がっている池の水など、まともな水であるとは思えないのであろう。


「血ぃ吸うて頭を元気にする水やけぇ。狩りん時、背負われちょる子らも元気になるけぇなぁ」


「……どういう事だ?」


 狩りの際には、赤子も病人も背負って、正に集落総出になるという耳無しの者達。

 彼らがそうする理由、それは脳機能障害が多発する部族全体を守るための慣習と思われる。

 おそらく、正常な思考力を失う者が出た時に、すぐに多数の手をもって対処できるようにという安全策であろう。


「頭ん中が、水に浮いちょるんは知っちょるけぇ?」


「ああ、規律の殺しで知ってる。倒れて起きねぇ奴や、狂っちまった奴は規律で殺さなきゃなんねぇから……見た事はある」


 どうやら、狩りに向かう際に叫ぶ口上にあった『規律ある殺し』とは、狩猟の事だけでは無かったようだ。

 言葉のニュアンスから推測するに、重度の脳機能障害で意識が無い、もしくは危険な精神状態にまで至ってしまった者の命を絶つ。そういった規律があるという事か。


「その倒れたり狂ったりしちょった原因は、頭ん中にあるけぇ。優しい雨降らしの神様が、見るに堪えんっちゅうてなぁ。頭ん中の水を、神様の水と入れ替えて治してくれるっちゅう話やけぇ」


 神様の恩寵を騙るために、水繋がりで強引に理由付けしたのであろう。

 実際は、ライ種の相利共生のための機能を応用して、治療の代わりにするつもりらしい。


「おお……そりゃあ……おい! 舌が動かねぇ奴! こっち来てみろ!」


「ああう?」


 発声発語器官に麻痺があるようだが、今居る者の中で試すにはちょうど良いのであろう。


「……こいつ、治せるか?」


「んだば、やって見せたら早いけぇ……血ぃ、吸うたろかぁー」


 そのフレーズは要るのかどうなのか。

 ネコミミにあたる部位を伸ばし、患者の頭部に触れる。

 そのまま数秒の後、患者が声を発する。


「……あ、あぁ……あぁ……話せる……話せるぞ……」


「こんな感じやけぇ」


 発語できる己に感動して、すぐに興奮し始めた患者に対して、周囲は静かな驚愕に包まれている。

 誰もがその様子を、ただ驚きの表情で眺めている。


「……####」


 代表の男の呟きは、実際には『凄い』という言葉の上に、最上級を何重にも被せながら、同時に信仰心やら感謝やら混ぜ合わせて表すような表現であったが、意訳変換では該当する日本語が存在しなかった。


「神様に感謝しといてなぁ。神様のおかげやけぇ」


「あ……あぁ、神様に感謝する。感謝するが……ライ、お前にも感謝する。あと、謝らなきゃなんねぇ……前にお前が助けを求めた時、ほとんど何もしてやれなかった。あれは優しい神様に反する、嘆きに応えねぇ無慈悲な行いだ」


 ライの知名度が高かったのは、当時滲み出ていた無力感の強さ故であったのかもしれない。


「んだなぁ。ウチは何もできねぇで無理言うちょったけぇ、何もできねぇなら優しさにならねぇでなぁ……耳無しの規律みてぇなんが、ホントの優しさやけぇ。んだけぇ、謝る必要はねぇでなぁ」


 ライに対する親しみから、感謝のついでに過去の気不味い交流を謝罪しようとしたのかもしれないが、過去の記憶が思いのほかライを落ち込ませてしまったようだ。


「……俺らは助けてやれる余裕は無かったが、お前は俺らから奪う事だってできたはずだ。それをしなかったのがお前の優しさだろう。その優しさがあったから、優しい神様の遣いになれたんじゃねぇのか?」


 助けてもらう側が、フォローする側になってしまったようだ。

 厳格な規律を重んじる部族の代表が、優しさという曖昧な情に配慮する。


「……んだけぇが、ウチがやっちょる事は耳無しの規律を乱すけぇ、ホントの優しさとは違うけぇなぁ」


「おい、神様の優しさとお前の優しさが混じってんじゃねぇか……」


「んだなぁ。ウチは神様の優しさを勝手に使っちょるけぇ、規律を乱す悪いヤツやけぇ」


「いや、規律は乱れねぇよ。俺らの規律は、恵と誇りを守るためのもんだ。優しい神様が優しさを守れって言うなら、それを規律にして誇るだけだ。そうすりゃ、お前が恵をくれるって事だろ?」


 ニヤリと浮かべた笑みは親しみを込めたつもりかもしれないが、押し込むような圧力しか伝わってこない。

 しかし、神の教えという規律と、優しさという情、それらを結びつけて語る事で、ライを肯定しているのであろう。

 俗な言い方をすれば、冗談混じりに恵を強要しているだけだが。


「耳無しはエライ賢いみてぇやなぁ……んだば、永ぇ事ここらで皆を見ちょるけぇ」


「永ぇ事……か。神様やお前に面倒かけちまうのも優しくねぇから、早い事俺らで治せるようにしてぇもんだな。雨降らしの精、だったか? 悪いがそれまで、頑張って務めてくれ」


「……耳無しは賢いけぇ、あんまり永くは要らねぇかもなぁ」


「いや、ずっと居てくれたって構わねぇんだぞ? ここに住むんなら、お前は俺らの友になるんだ」


「そうけぇ? ヒト種の男友達は少ねぇでなぁ――」


「いや、俺は女だぞ? それにこいつらも、ほとんど女だぞ?」


 こちらに伝わる思考とその見た目から、私も完全に男性だと思っていた。

 しかし改めて調べてみると、確かに9割が女性であった。

 どうやら、女性も子供も同じ生活形態なだけでなく、性別による肉体的、精神的差異も少ない種族のようだ。

 どうりで、雄々しい者しか見られないはずである。


「……すまねぇなぁ。頭ん中は見ちょったけぇが、体は見てねぇでなぁ」


「気にすんな。男も女も似たようなもんだ。貝も雨降らしの精も、そんなに違わねぇだろ?」


「んだなぁ」


 筋肉質の耳無し達に、ワイルド感溢れるニヤニヤとした笑みで囲まれるライの分体は、まるで盗賊にでも囲まれた獲物のようではあるが、その居心地はそう悪い物でも無いのかもしれない。

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