2-9上 ライの母――干しナマコ
読者様に幸あれ。
所々に渇きの見られる湿地帯を、滑るように進んで行く移動家屋。
その移動方法は見た目にそぐわず、とても斬新で高度なものであった。
やや疎結合気味になっている可動部は、厚み少なく座屈を細かく前後左右に繰り返したような状態になっており、その座屈状態を制御する事で移動を行う。
つまり、ウナギというよりもナマコ、ナマコというよりもナメクジに近いのかもしれない。
しかし、その滑らかさや細やかさに反して、その速度はこの荒れた湿地帯においても、時速40キロメートル前後は出す事ができる。
造られた当初は、振動や傾斜に対していくらか問題があったらしいが、ライとニャマコにより、さりげなく改修されている。
それにより、路面への適応力だけでなく、耐久性や加速性能も必要以上に向上したようで、初稼働は言葉通り順調な滑り出しとなった。
「今、鼠の子らんとこで説明しちょるけぇ、乗ったまま入っても構わねぇでなぁ」
「こやつのインパクトで、怯えを薄められると良いがにゃ」
恐怖に恐怖を重ねても、絶望感しか生み出さないが、感情が動く前に正常な認識力自体を破壊しにかかるつもりであろうか。
「分体で、猫人来るけぇ言うたら、塩虫投げつけて囮にして逃げるっちゅうてなぁ。落ち着かせるんに大変やったけぇが……」
周囲への配慮を忘れたあまり、鼠人達に深刻なトラウマを植え付けてしまった彼らも大概ではある。
しかしこの様子では、既にその印象は、ただの猫化猛獣か何かになっているのかもしれない。
「あの子も怖がってなかった?」
「いんやぁ、黒姐はウチの神様やからっちゅうて、エライ信頼しちょるけぇ……一番落ち着いちょったなぁ」
ドリルが効いたのであろうか。
初めは、ライを引き取りに来たと思い号泣し、次は嫉妬に燃えて拒絶していたが。
単に、何に対しても思い込みの強い子なのかもしれない。
「ホントは、白姐が女神様なのにねー」
「職務放棄かにゃ?」
「あの人みたいに丸投げじゃないよ。私はワイン係だからね。あと、新型モンスターも造らなきゃいけないし」
「……管理者の職務に、少しも掠っておらんにゃ」
「んだけぇが、管理者っちゅうても、黒姐はちぃと若過ぎるけぇなぁ」
「そうだよ、私はただの自宅警備員。ニャマコと白姐がマイホームなんだよ」
「なんなんにゃ……」
「あ、白姐教団の宣教師でもイイよ。白き女神は全知全能。天上天下、女神独尊――」
「いんやぁ、ウチは愚かもんやけぇなぁ。恩人の真似事しちょるだけやけぇ」
「……恩人って?」
「昔、血ぃ吸えねぇウチを庇ってくれちょった、母さんみてぇな人やけぇ」
ライ種は血液や体液を吸収する際に、僅かに魅了のような影響を与えてしまう。
それによる精神の変化を、許容できなかったという事か。
ライ種の生態を、根本から否定するような行いであろう。
それを庇った恩人も、相応にライ種らしからぬ気質を持つようだ。
「……そっか。優しい人なんだね」
「んだなぁ。んだけぇが、ウチを庇ったせいで故郷追い出されてなぁ。追っかけて探しちょったら、ここまで来ちょったけぇ」
ライ種にも、コミュニティと規律は存在する。
捕らえ置く事も、害する事も難しい以上、コミュニティの安定を脅かした罰則として、追放が妥当という事か。
「ん……そういえば、確か白姐と最初に会った時、探してる人が見つからないって言ってたような……」
「んだなぁ。この星におるんは分かっちょるけぇが、眠っちょるんかなぁ? 気配が薄過ぎて良う分からねぇでなぁ」
僅かに寂しげな様子を見せつつも、もはや必死に探すというほどでもないのか、切望するような熱意は見られない。
「そっか……私も探すよ。最近、感触の範囲めっちゃ広がってるし、そのうちたぶん、私も『究極の探索機』になっちゃうから、きっと見つかるはずだよ」
機械の枠組みを超えた究極の演算機に対抗して、生物の枠組みを超えるつもりであろうか。
「ありがとなぁ。黒姐も、アルジさん見つけねぇとなぁ」
「あ、そうだった……忘れてた……」
「……なんにゃ?」
じっと訝しげに見つめる黒い神の視線から、その意図は窺えない。
思考伝達には、なぜか中華料理屋で干しナマコの煮込み料理を食べているシーンが、延々とループ再生されている。
食べたいのであろうか。




