新章 第3章 油揚げ梅チーズピザ! おいしいには、理由なんていらない?
第3章 油揚げ梅チーズピザ! おいしいには、理由なんていらない?
## 1 料理嫌いの発明家、アスカ!?
「……というわけで、今日も胃腸町は平和です!」
長谷川アスカは、朝から満足げに宣言した。
「よかったですね、アスカさん」
腸内会長ロズマリンさんが、紫色の扇子をふわりと揺らす。
「昨日は冷凍おにぎりとスープで、町の皆さんに笑顔が戻りました。手間を省くことと、食事を省くことは違う……。大切なことを教えていただきましたね」
「いやあ、それほどでも」
アスカは照れくさそうに鼻の下をこすった。
「まあ、私の場合は、手間を省きたい気持ちが人一倍強いだけなんだけどね!」
「そこは堂々と言うところではありませんよ」
「えっ、そう?」
二人が笑っていると、広場の向こうから、聞き覚えのある声が飛んできた。
「アスカさん! 昨日の食事について、追加の検証をさせてください!」
黒咲ノエルだった。
今日も手にはタブレット。
そして、なぜか首からストップウォッチをぶら下げている。
「……ねえ、ノエル君」
「はい」
「もしかして、昨日の冷凍おにぎりのこと、まだ調べてるの?」
「当然です。調理時間、材料費、洗い物の数。それらを組み合わせた結果、かなり合理的な食事方法だと分かりました」
「よかったじゃない」
「ですが、ひとつだけ、解決していない問題があります」
ノエルは真剣な顔で、アスカを見た。
「アスカさんは、なぜあんなに満足そうだったのか」
「……は?」
「同じ栄養を取るなら、もっと短時間で済ませることも可能です。それなのに、あなたは食事の時間そのものを楽しんでいた」
「そりゃあ、ごはんを食べてたからね」
「それでは説明になっていません」
「説明が必要なの!?」
アスカは頭を抱えた。
ロズマリンさんが、くすりと笑う。
「ノエルさんは、知りたいのですよ。食事の喜びとは何なのか」
「いや、そんな大げさな話じゃないんだけど……」
アスカは少し考えた。
そして、ぽん、と手を打つ。
「よし。じゃあ、今日はもっと分かりやすいものを食べてもらおうじゃない!」
「分かりやすいもの?」
「そう! 料理嫌いの私が、面倒くさがりながらも、どうしても食べたくなるもの!」
ノエルの目が輝いた。
「調理時間は?」
「短い!」
「材料費は?」
「お財布と相談!」
「栄養設計は?」
「食べてから考える!」
「……最後の項目だけ、かなり不安なのですが」
「いいから、ついてきなさい!」
アスカはノエルを引き連れ、胃腸町の台所へ向かった。
その背中を見送りながら、ロズマリンさんは扇子で口元を隠した。
「ふふふ。今日は、どんなおいしさが生まれるのでしょうね」
## 2 油揚げ、梅干し、チーズ!
「さあ、材料はこちら!」
アスカがテーブルに並べたものを見て、ノエルは目を細めた。
油揚げ。
梅干し。
ピザ用チーズ。
そして、好みで加える薬味。
「……これだけですか?」
「これだけ!」
「小麦粉も、ピザ生地も、トマトソースもありませんが」
「だって、今日はピザ生地を作りたくないんだもの!」
「ピザを作るのに、ピザ生地を作らない?」
「そうよ!」
アスカは油揚げを手に持ち、得意げに掲げた。
「油揚げを生地代わりにするの。そこに梅干しとチーズをのせて、焼く!」
「それは、一般的なピザとは構造が異なります」
「名前はピザでいいの!」
「名称の定義については、議論の余地が……」
「議論しない!」
アスカは油揚げを食べやすい大きさに切り、梅干しの種を取り除いて、果肉をほぐした。
「まず、油揚げの表面に梅をのせる。酸っぱさが苦手なら量を控えめにね。そこへチーズをぱらぱらっと」
「梅干しとチーズ……?」
ノエルの眉が寄った。
「塩味と酸味、それからチーズの風味。組み合わせとしては、味のバランスが……」
「ほら、もう計算してる!」
「分析は習慣です」
「じゃあ、その習慣はいったん横に置いて。次は焼く!」
アスカは、油揚げにチーズがのった皿をオーブントースターへ入れた。
「焼き時間は機種や油揚げの厚さによって変わるから、様子を見ながらね。チーズが溶けて、こんがりしたら完成!」
「待ってください。加熱時間の最適値を……」
「おいしい焦げ目を見ながら決めるの!」
「感覚ですか!?」
「そうよ。料理には、感覚も必要なの!」
ノエルは、今にもタブレットへ数式を書き込みそうな顔をしていた。
やがて、台所に香ばしい匂いが広がった。
油揚げの表面がこんがりと焼け、溶けたチーズがふつふつと泡立っている。
「はい、完成!」
アスカが皿を取り出した。
小さな油揚げの上に、梅の赤とチーズの淡い黄金色。
見た目は素朴だが、焼きたての香りは食欲をそそる。
「……これは」
ノエルが、思わず身を乗り出した。
「いい匂いですね」
「でしょう?」
アスカは満面の笑みを浮かべた。
「料理は面倒。でも、焼きたてのおいしそうな匂いは大好き!」
「その気持ちは、理解できます」
「おっ、初めて意見が一致した!」
二人は顔を見合わせた。
そのとき、ロズマリンさんが台所にやってきた。
「まあ! 香ばしい匂いが、町じゅうに広がっていますよ」
「ロズマリンさんも食べる?」
「もちろんです。食卓においしいものがあるのなら、会長としても確認しなくては」
「会長って、便利な肩書きねえ」
「ふふふ。では、いただきましょう」
## 3 計算より先に、ひと言
「では、実食です!」
ノエルはタブレットをテーブルに置いた。
「まずは、味の構成を確認します。油揚げの香ばしさ、梅干しの酸味、チーズの風味。それぞれの特徴が……」
「はいはい。冷めないうちにどうぞ!」
アスカに促され、ノエルは焼きたての一切れを手に取った。
ふう、ふう。
少し冷ましてから、ひと口。
サクッ。
表面の香ばしさ。
続いて、梅のきゅっとした酸味。
そこへチーズのまろやかな風味が重なる。
油揚げの食感が、それらを受け止める。
ノエルの目が、ぱちりと開いた。
「……うまい!」
台所に、声が響いた。
アスカが固まった。
ロズマリンさんも、扇子を開いたまま動きを止めた。
ノエル自身も、驚いたように口を押さえた。
「……あ」
「今……」
アスカが、ゆっくりと身を乗り出す。
「今、なんて言った?」
「いえ、その……」
「もう一回!」
「なぜですか!」
「いいから!」
ノエルは耳まで赤くなった。
「……うまい、と言いました」
「言ったーっ!」
アスカは両手を上げた。
「聞いた、ロズマリンさん!? この人、栄養素の分析より先に『うまい』って言った!」
「ええ、確かに聞きましたよ」
ロズマリンさんは、楽しそうに微笑んだ。
「ノエルさん。今の感想を、数値にできますか?」
ノエルは口を開きかけた。
しかし、すぐには答えられなかった。
「……おいしさの評価項目を作れば、ある程度は」
「では、今の『うまい』という気持ちも、すべて数値で表せますか?」
「それは……」
ノエルは、手元の一切れを見た。
もうひと口、食べてみる。
やっぱり、おいしい。
口に広がる味を、もっと確かめたくなる。
もうひと口。
「……難しいですね」
ノエルが、ぽつりと言った。
「酸味とチーズの組み合わせが予想以上に合っています。それに、焼きたての香ばしさもある。でも、それだけでは……」
「それだけでは?」
ロズマリンさんが、優しく続きを促した。
「……説明しきれません」
ノエルはタブレットへ手を伸ばしかけ、やめた。
「おいしいから、もうひと口食べたい。今は、それが一番正直な感想です」
アスカの表情が、ふっと和らいだ。
「うん。それでいいのよ」
「……それで、いい?」
「そう。食べて、おいしいって思った。もっと食べたいって思った。それって、ちゃんとした感想じゃない」
アスカは、自分の一切れを口に運んだ。
「おいしさを説明するのも楽しいかもしれない。でも、説明できなきゃ、おいしいって思っちゃいけないわけじゃないでしょ?」
ノエルは、黙ってうなずいた。
「それにね」
アスカは、ちょっと得意げに続けた。
「このピザ、作るのが簡単なのも大事なの。仕事で疲れて帰ってきた日でも、これなら作ろうかなって思える。自分が食べたいものを、自分にできる方法で食べる。それが、私にはうれしいのよ」
「……なるほど」
ノエルは、焼きたての油揚げピザをもう一度見つめた。
「効率が、おいしさを支えることもあるんですね」
「そうそう!」
アスカは勢いよくうなずいた。
「便利な道具も、冷凍食品も、簡単なレシピも、使えるものは使えばいいのよ。効率は、食事を楽しむための味方にもなるんだから!」
「……効率は、敵ではない」
「敵じゃないわよ!」
「では、問題は……」
「その効率を、みんなに押しつけちゃうこと!」
ノエルは、深く息を吐いた。
「……ようやく、少し分かってきた気がします」
## 4 おいしさに、点数をつけるなら?
そのとき、台所の入り口から、低い声が響いた。
「ふむ。なかなか興味深い話をしているな」
アスカは、ぴたりと動きを止めた。
「……その声は」
黒いジャージ。
厳しい目つき。
そして、どこからともなく漂う採点者の気配。
黒咲厳だった。
「兄さん!?」
ノエルが声を上げる。
「お前がここにいると聞いてな。様子を見に来た」
厳はテーブルの上にある油揚げピザを見下ろした。
「油揚げに梅干しとチーズ……。ふむ」
一切れを手に取り、ひと口食べる。
もぐもぐ。
「……悪くない」
「えっ!?」
アスカは目を丸くした。
「ゲンさんが、悪くないって言った!」
「何だ。その反応は」
「いつもマイナス20点とか言ってくるから!」
「必要なときには、必要な評価をする。それだけだ」
厳はもうひと口食べた。
「手軽に作れる。味の組み合わせにも工夫がある。これなら、料理に時間をかけられないときの選択肢にもなるだろう」
「でしょ?」
アスカは胸を張った。
「でも、これは何点ですか?」
ノエルが、兄に尋ねた。
厳は少し考えた。
「点数をつけることはできる。材料、調理方法、味の好み。評価する項目を決めればな」
「では、点数が高いほど、おいしいということですか?」
「いや」
厳は、意外なほどあっさりと答えた。
「俺の基準で高得点だからといって、すべての人間が同じように好きだとは限らない」
アスカとノエルは、同時に兄を見た。
厳は油揚げピザを置き、腕を組む。
「評価は、判断するための道具だ。だが、道具が人間の感想そのものになるわけではない」
ロズマリンさんが、静かにうなずいた。
「そうですね。点数は、何かを考える助けにはなります。でも、その人が感じた喜びまで、点数に置き換えられるわけではありません」
ノエルは、兄とロズマリンさんを交互に見た。
「兄さんも、そう考えていたんですか?」
「俺は俺のやり方で食事を考えている。お前はお前のやり方で考えればいい」
厳は弟の肩を軽くたたいた。
「ただし、自分の基準だけが正解だと思うな」
ノエルは、静かにうなずいた。
「……はい」
そして、テーブルの油揚げピザへ手を伸ばした。
「もう一枚、いただきます」
「おっ、気に入った?」
アスカが笑う。
「はい。今度は、梅干しを少し多めにしたものも試してみたいです」
「いいわね! 好みで変えればいいのよ!」
「ただし、材料費と味の変化は記録しておきます」
「そこは記録するんかーい!」
台所に、笑い声が広がった。
## 5 数字の外側にあるもの
その日の夕方。
ノエルは、ひとりでタブレットの記録を見直していた。
材料費。
調理時間。
使った器具の数。
片づけにかかった時間。
そこまでは、いつもどおりだった。
しかし、今日の記録には、ひとつだけ、いつもと違う項目があった。
**「もう一度食べたいと思ったか」**
ノエルは、その項目をじっと見つめた。
油揚げピザを口にした瞬間。
思わず「うまい」と声が出たこと。
もうひと口食べたくなったこと。
兄とアスカの会話を聞きながら、気づけば笑っていたこと。
どれも、今日の食事にあった出来事だ。
「……数値化できないものは、記録する価値がない」
以前の自分なら、そう考えただろう。
だが、今は少し違った。
数値にできるものは、数値にすればいい。
けれど、数値にしにくいものを、なかったことにする必要はない。
ノエルは、画面の最後に一文を書き加えた。
**「食事を楽しむことも、食事の大切な一部である」**
「……これも、検証結果のひとつですね」
そうつぶやいた彼の顔には、いつもの効率至上主義の表情とは少し違う、穏やかな笑みが浮かんでいた。
一方、そのころ。
アスカは自宅の台所で、油揚げの残りを冷蔵庫にしまっていた。
「いやあ、今日もおいしかった!」
そこへ、ロズマリンさんの声が聞こえてきた。
「アスカさん。ノエルさんは、少しずつ変わっていきそうですね」
「そうね。でも、効率を考えるのをやめる必要はないと思うわ」
アスカは冷蔵庫を閉めた。
「効率がいいと、面倒くさがりの私でも、おいしいものを食べられるもの」
「ふふふ。アスカさんらしいお答えですね」
「ただし!」
アスカは、びしっと指を立てた。
「効率を考えるあまり、おいしいものを食べる楽しみまで削るのは、絶対にダメ!」
「はい。胃腸町の住民たちにも、伝えておきますね」
ロズマリンさんは、紫色の扇子を広げた。
「食事は、楽しくて、おいしいから、うれしいのですものね」
アスカは、にっこり笑った。
「そういうこと!」
その夜、胃腸町のあちこちで、食卓を囲む笑い声が聞こえていた。
そして、ノエルのタブレットには、新しい検討項目がひとつ追加された。
**「効率よく、楽しく食べる方法」**
それが、彼にとっての第一歩だった。
けれど――。
胃腸町の平和は、まだ完全には戻っていなかった。
町のはるか向こう。
冷たい紫色の光が、ゆっくりと渦を巻いていた。
氷のように冷えた液体。
砕かれた果実。
そして、底知れないほど大きな影。
「……効率よく、すべてを凍らせればいい」
低い声が、暗闇に響く。
「食事に迷いなど必要ない。味わう時間も、考える時間も、すべて凍らせてしまえばいいのだ……」
紫と青の光が、ぎらりと輝いた。
氷点下のスムージーから生まれた、謎の怪物。
**アイス・アサイー・クラーケン。**
その触手が、ゆっくりと胃腸町へ伸び始めていた。




