真南風姫
夫の女が身重になったと知り、真南風姫は産着を縫い始めた。
夫の母は、島守屋敷の外れに建てられた寡婦の隠居所に真南風姫を招き、茉莉花茶を手ずから振る舞いながら、注意深く切り出した。
もちろん、この先あなたが嫡男をみごもることがあれば、外腹の子は速やかに跡継ぎから取り外される――と、夫の母はふくよかな手を伸ばして真南風姫に触れながら、やんわりと約束した。島守の按司の家に嫁いでから三年余り、一度も膨れたことのない真南風姫の腹に目を走らせることはしなかった。
見送られながら隠居所を辞すと、真南風姫は胸を掻きむしりたくなるほどの酷い渇きに苛まれた。夫の母の茉莉花茶は、飲み下せば飲み下すほどに煮えたぎった油のごとく胃の腑を焼いた。
よろめくように母屋の苑に植わった柘榴の木に歩み寄ると、紅く熟れた実をもぎ取り、引き裂いて噛みついた。歯と歯に潰されて爆ぜた果汁の涼しさが、舌から喉へ伝い落ちていき、姫はようやく震えの収まった指で、濡れた唇をぬぐった。
島守の正夫人の住まいに戻ると、真南風姫は手を叩き、侍女を呼び集めて一棹の長櫃を運び出させた。蓋を押し開けると、一反の苧麻織の上布がこぼれる。王宮に献上しても遜色のないほどの逸品に、固唾を呑んで見守っていた侍女たちは思わず感嘆のため息を漏らした。
真南風姫の生家は、島の祭殿に奉仕する神女や巫女たちを数多く輩出してきた指折りの名門であり、嫁入り道具にも極上の品が揃えられた。高く結い上げた髷に花を挿し、青葉を飾った輿に乗って嫁ぐ前夜、生家の母と祖母とに懇々と言い含められた訓戒を、姫は昨日のことのように心に思い返した。島守の奥方となるからには、あなたはこの島で神女様に次ぐ地位の女として島民たちに仰がれることになります。我が娘よ、賢い子よ、婚家で取り乱した姿を見せてはなりません、何があろうとも――
この上布の使い道についても、母はなごやかにほほ笑みながら言い添えた。婚礼から数年の月日が過ぎても長櫃の蓋が固く閉ざされたままとは、母も祖母も考えなかったに違いない。
真南風姫は島守屋敷の女主人らしい命令に慣れた声で指示を出し、五色の糸を用意させた。生成りの白のほかは、染色の巧みな侍女たちがそれぞれ受け持った――蘇芳から赤を、藍から青を、福木から黄を、櫟から黒を。
染料が乾き、出来上がった色鮮やかな糸束を手元に手繰り寄せると、姫は惜しげもなく上布に鋏の刃を滑らせた。そして、針に糸を通し、ただ一人、一心不乱に縫い始めた――夫の女が産み落とす子どものための産着を。
姫の指がすばやく踊ると、こきまぜられた五彩の糸を導く針は、閃光のように布の上をひた走り、飛魚のように布の下を突い潜った。蜘蛛、蠍、百足、蛇、蟇蛙の紋様が次々と縫いとられていく。かよわい赤子にあらかじめ毒をまとわせることで、毒から守る。邪をもって邪を祓い、新しい命を言祝ぎ、嬰児の無病息災を願うのだ。
姫の水際立った針さばきは、糸を絡ませることもなく、布を傷めることもなかった。島の女は、身分の貴賤に関わらず、幼い頃から糸紡ぎと機織り、針仕事を叩き込まれて育つ。真南風姫が姉妹をさしおいて島守の妻に選ばれたのも、家柄のほかにその縫織の腕で夫の母に見込まれたからだ。針を運んでいると、頭の芯が泉のように澄んでいく――たとえ手を止めるやいなや、窒息するような煩悶の泥に呑まれるとしても。
目もあやな産着が縫い上がると、真南風姫はすぐさま召使いを遣わせ、女の家に届けさせた。錐にえぐられるようなこめかみの痛みをなだめようと、草臥れきった体を引きずって、姫は夕暮れの苑に出た。拗くれた幹を絡ませあう榕樹の木蔭に腰を下ろすと、蕩けるように瞼が落ちる。
務めは終わったというのに、夢の中ではまだ針を持った手を忙しなく動かしていて、だが、それは五色の糸でもなければ、禍々しい毒蟲の紋様でもなかった。
暗天の月明かりを紡いだようなまばゆい銀糸で、真南風姫は膝に広げたこよなくきららかな絹の布に、匂やかな蝶の紋様を描き出す。心満たされる思いで、馥郁とした翅の一枚一枚を夢中になって縫いとった。
端糸を結び、針を置いた後も、縫い上がった蝶が途方もなくいとおしく、姫は飽きもせずつくづくと眺めた。妙に清らな羽模様を、幾度も幾度も掌で撫で慈しむ。すると、指の下で何かがちらちらと蠢き、手を離した瞬間、本物の大帛斑蝶が薄様のような翅をはばたかせて、ひらりと絹布から飛び立った。
淡く光を振りこぼしながら虚空へ脱け出した蝶は、慕わしげに姫の膝にとまって呼吸するように翅を開け閉じしたり、打掛をまとった肩に鱗粉を散らして戯れたり、まるで童のようにたあいなく、姫をおのずとほほ笑ませた。落ち着きのない蝶の前肢がふわりと耳朶に掴まった時、ふいに真南風姫は靄がかったかぼそい声を聞いた。
『かの女の産む息子は次代の島守となるが、一代で絶える。そなたの産む娘は、いと高き家系と血を和し、王国の滅ぶ日まで子々孫々栄える』
榕樹の木蔭で目覚めた時、日はとうに落ちていた。姿の見えない真南風姫を捜して慌てふためく侍女たちの呼び声を遠音に聞きながら、姫は瘧のように痙攣する肩を抱くのに精一杯で、返事もできなかった。頭上の雲を押し分けて煌々と月影が降り注ぎ、木間を透かして姫の胸腹を照らす。
真南風姫はこの時、己がみごもったことを知った。




