ノエル編 18(完)
陽が出ずるより先に目が覚めた赤獅子王。
この国で誰より早く朝陽が拝める寝室で、初めて自分以外の寝息を聞きました。
すうすう、すやすや。
腕の中で眠るフローディオは安らかな寝息を繰り返しております。
ベッドがひとつしかなかったせいとはいえ、大きな寝床でこれは間違いなくラッキースケベというやつです。寝付いた時には離れて平行に横になって、そこそこ距離もおいていたはずなのですが。
眠っている間になら求め合うこともできるのだろうか。想い人の寝顔をまじまじと近くで見つめながら思考を遊ばせる陛下は、それとなく、下心は抜きにフローディオの腕や肩に触れてみます。華奢なようでも国に来たばかりの頃よりは幾分肉付きが良くなった気がいたしました。ありがたいことです。
(妻殿が、余を好き、と……。)
いろいろあった一日ではありましたが、間違いなく一番衝撃的な言葉でした。初めて受け取った、他人からの好意……!
かつてサラに対して初めての恋心を抱いた時には、まだ陛下も行為やその先についてそこまで深くは考えておりませんでした。なにぶん幼かったですし、彼女がいつ父親のお手つきになって後宮に放り込まれるかもわからなかった時分の話、焦って想いを告げた節もなきにしもあらずでした。
今はどうかといえば、やはり愛らしい妻を一人だけ娶ってお互い幸せに暮らしたいというのもありますが、自分の幼少期にはなかった温かな家庭に憧れを抱く部分も大きいです。
お付き合いから新婚までもしっかり楽しみたいところですが、数年もしないうちに一人二人子供を抱けたらいいなぁ、とは、普通に考えてしまいます。
(大人びたフロルはまた一段と美しいであろうな……。そしてフロルとの子も……やはりさぞ可愛いであろうな……。)
まあ自分そっくりの凶相を持った子の可能性もありますが、それでもやっぱり可愛いだろうなと思います。
子供の恋をしていた頃の陛下にも、そこまでの考えはありませんでした。ではフローディオが同じような夢を抱いてくれるようになるのは、いつになることやら。
下手ににやけるのを耐えようとするせいで天変地異級の魔物もかくやの気持ち悪い顔になってしまっておりましたが、大人の恋とはこういうことではないかなと、ぼんやりながら思います。
(む? だが待て。我が国ではそもそも男の出産記録は……、)
あるわけありませんよね。当然ですよね。
「しまった……。花の王国への書簡にその点の確認も含めておくべきであったか……。」
これも当然、後の祭りでございました。
今頃は使節団もとっくに目的を果たして帰路の最中でありましょう。
独り言にわざわざ声を上げてしまったせいで、むにゃむにゃとフローディオが何か言ってます。
陛下の胸板にぐいぐい頬擦りをしてくるので、天下の赤獅子が鼻の下を伸ばしておりました。
(せめて街道を整えたいところであるな……。いつかフロルが里帰りしたくなる日も来よう。三ヶ月も会えぬのは余もつらい。)
胸の中の温もりを享受しつつあれこれ考えていたうちに、どうやら払暁を迎えたようです。
「……ん!?」
カーテンの隙間から差し込む陽の光に部屋が照らされ、うすらと輪郭が見えてきた時、赤獅子王ですら息を飲んで周囲の異変に驚きました。
ベッドの天蓋にもさぁっと木の枝が生えてます。
あっちこっちからアネモネまでわさわさ咲いているではありませんか。
「……お、おお。」
呆然と声を漏らしてから、珍しく狼狽の眼差しで妻殿のあどけない寝顔を見て、陛下は脳内タスクに急務を書き足します。
(部屋の改装……、月下美人も置いた方が良いらしい……。)
大国王陛下の寝室を荒らしてしまったとあり、目覚めたそばから「なんてこと……!」と自己嫌悪に陥ったフローディオは、更にぽこぽこと茸までいくつか生やしてくれました。
陛下もなかなか難儀な夫です。
「あの、陛下。」
身支度を済ませてから、食堂の広い長机で、角を挟んで隣り合っての二人きりでの朝食です。
スープを飲んでいたフローディオが弱り顔で口を開いたので、陛下も匙の手を止めます。
「……ノエルの処遇はどうなるのでしょうか。」
「ああ。」
忘れておったな、とは、口が裂けても言えません。そういえば、地下に入れておけと告げてそのままでしたね。最早どうでもよかったもので。
「陛下。ノエルのしたことは許されないことだとしても、彼女は悪くないんです。」
まだ肩を持つか、とも思わなくはないのですが、陛下の口許に浮かんだ苦みのある笑みは自嘲が含まれておりました。
仲直りしてからは取り留めなくことの顛末を聞かされていたため、陛下も既に全てご存知です。フローディオが陛下への贈り物のために後宮を忍び出てしまったこと、迂闊なことを言えば帰れなくなるのではと流されてしまったこと、連れ込み宿に入ってしまった理由、などなど。フローディオはそもそも連れ込み宿がどういうものなのかを知らなかったため、説明するのには陛下もかなり苦心いたしましたが。
雨降って地固まるとは言いますが、陛下の昨日の殺る気も、もはやどこへやらです。
「人を疑いたくはないけれど……、一番悪いのは彼女の兄上かもしれません……。」
「それはどういう意味であるか。」
肝心の悪さについてぼかされた上申に当然問いが返されますが、フローディオは毅然として首を横に振ります。
「彼女の名誉のために言えません。」
言わないと断言しつつ、言外に含むもののある物言いで、どんな事情かは陛下の察するところとなります。
「彼女は他のやり方を知らなかったのかもしれない。広い御心で見てやって欲しいのです。」
懇願の口調で頼み込まれてしまった陛下は、フローディオがノエルに重ねていたものがなんなのか、なんとなく悟りました。
昨夜の素振りからすれば、望まぬ伽の経験があるとはとても思えませんが……、それを覚悟させられる環境で育った故にノエルが不憫でならないのでしょう。
そしてこの願いを無視すれば、フローディオはきっと深く傷付くのでしょう。
「……何を望む。」
想い人の不遇な生い立ちに怒りを覚えた陛下でしたが、それがフローディオに伝わってしまうより先に皿へ視線を落とします。
「女子修道院には、もう戻れないのですか?」
戻れるならばそれが一番よかったのかもしれませんが、ノエルはそこから脱走した身ですそう簡単にはいきません。
「あそこは戒律が厳しい。そしてその戒律に保護されている。己の足で禁を犯した者を再び受け入れれば、他の修道女たちは困るであろうな。」
「そうですか……。」
沈んだ声色には陛下も気の毒に思いますが、少なくとももう一緒にはいられないのだとフローディオも理解しているようです。命があるならば、穏やかな暮らしをさせてやりたいと、そういう考えからの提案だったのでしょう。
「妻殿はまだ聞いておらぬだろうが、」
「はい。」
返事を聞きつつ肉にナイフを入れながら、昨日一日で別所でも話が進んでいたことを陛下は説明してくれました。
「昨日、そなたが不在だった間、修道院へ不届き行為を繰り返す不埒者を『偶発的』に発見した憲兵が捕らえた。」
不埒者と聞いてフローディオが思い出したのは昨日の硝子雑貨店の店主の話でした。
「調べたところあの娘の兄の配下であった。間もなく小娘の兄の爵位は剥奪される。」
「!!」
本当に偶発的であったのかどうかは疑わしいところですが、そこから先はフローディオにもわかります。
「これで娘は故郷に領主として帰れるであろう。そなたが気にするならば、信頼できる者を補佐に送ろう。」
「……ありがとうございます。」
穏便な処遇に満足したらしくらほっと安堵の笑みを浮かべたフローディオ。大きな窓から差し込む清々しい朝の光に白魚の指を輝かせ、美しく匙を運びます。そんや未来の妻に、陛下が見惚れずにいられるはずがなく。
(神よ……今日も我が妻殿が麗しい……ッ!!)
捕食予定の兎が肥えるのを待ち望みつつ虎視眈眈、といったギラつきが陛下から迸っておりましたので、寝所を共にした二人の夜について下世話な期待を寄せていた大臣たちは「駄目だったんだろうなァ」と揃って遠い目をしておりました。
それでも一歩前進、昨日の嵐は嘘のように静まり平穏です。彼等は良しとせねばなりません。
食後には、陛下の朝の公務が始まる前、呼び出されたサラがフローディオを迎えに上がりました。
一晩中心配していた彼女もいつも通りの様子をしたフローディオの姿を見て、やっと人心地ついたとばかりにため息をこぼします。
ノエルが地下から出されるのはもう少し先、昼下がりの話でございました。
その頃には既に陛下もシニョレ家の爵位継承と領主交代について書類の確認を済ませておりました。
ノエルはすっかり怯えきっていましたが、お膳立ては十全。あとは準備さえ整えば不自由のない旅支度の物資だけ持たせて穏やかなお別れの場となる……
――はずでありました。
「だから、もうノエルに悪いことをする人はいないんだよ。」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!!」
長らく彼女を悩ませていた兄の問題についてフローディオが顛末を説明すると、もう不遜なことは考えていないらしいノエルは泣きながら感謝を示します。
「ノエル、よく頑張ったね。もう普通に過ごして大丈夫だよ。ちゃんと素敵な人と出会って、自分を大事にして生きることを考えてね。」
抱きしめてやることはフローディオにはもうできませんでしたが、頭を撫でてやるくらいは叶いました。
人に言えない苦労をたくさんしてきたのだろうと思うと、ついもらい涙をしてしまいます。
彼はきっと、慈悲深い偉大な優しい大国妃として名が広まるに違いないでしょう。二人の別れを見守る陛下とサラもそれを心から信じ、未来に思いを馳せることができました。
「フローディオ様……、私、私っ……!!」
感極まったノエルの宣言が、部屋に響き渡るまでは。
「これからは誠心誠意!! 真心を尽くしてお仕えいたしますッ!!!!」
「「「……。」」」
がばちょ、と、三人の目の前でおさげの金髪が振り下ろされました。
それきり、沈黙。
(む?)
(あれ?)
(えええ?)
話のオチが、予想からだいぶずれております。
「……待って、ノエル。故郷に帰らなくても、その、領地大丈夫なの……?」
風を切って綺麗な直角の角度でお辞儀したきり、そのまま一向に動こうとしないノエル。彼女の感奮に水を差すようで申し訳なく思いつつも、固まりきっている陛下とサラが黙っているため、珍しくフローディオが空気を読んで尋ねました。
「ぐすっ……、いえ、姉がおりますから、序列で言えば次の当主は……、」
(姉、だと……ッ!?)
絶句のまま面食らう陛下ですが、実はこういうのってたまにある話でした。
先王の時代まで国政が長らくいろいろと杜撰だったため、貴族でもたまに血族構成の把握が行き届いていないことがあるのです。田舎貴族ともなればなおのことであります。
「フローディオ様は私の恩人……いいえ、むしろ私の神様です……! 二度とご意思に逆らう真似は致しませんッ、今後ともよろしくお願いします!!」
初耳の話に重ねて畳み掛けるように感涙のままぺっこぺこ頭を下げられると、ぶぉんぶぉんと風圧で髪を煽られているフローディオにはその言葉の撤回は不可能でした。
(へ、陛下ぁ……!!)
ちらと、助けを求める目で妻殿から視線を送られて、力が抜けてしまっている赤獅子王。
本音を言うなら――もうどうにでもなれ。
「……仕方あるまい。」
「本気ですか陛下。」
「余の妻殿が望んでいる。」
「甘すぎじゃありませんか陛下。」
話が違う、とサラはギリギリ首を回して訴えますが、動じぬ魔王面もいつもに比べるとかすかに顔色が悪く見えました。
とはいえ陛下が見たところ、どうやらフローディオはノエルの中で恋愛対象から信仰対象に格上げされてしまったようなので、もはや愚かなことはそうそうできないでしょう。主に心酔した従者は、落胆さえさせなければ扱いやすい。
(それに、あれだけ騒がしいのが一人もいれば、フロルも人形のままではおれまい。)
陛下からすれば鳴き声の騒がしいカナリアを飼う程度の扱いではありましたが、少なくともフローディオはぱーっと、向日葵より眩しく笑顔を輝かせておりました。
彼はこうしてまた少し、未来の夫のことを好きになってしまうのでございます。




