ノエル編 13
クレープに、氷菓子、飴細工に、果物の蜂蜜漬け!
「フローディオ様は甘いものが好きなんですねぇ。」
人でごった返す朝の市場を回った後、朝食を抜いていた二人は露店で売られている甘味に舌鼓を打っておりました。
なのでノエルの言葉は間違っちゃいないのですけれども、年の近い娘と二人きりとあってかフローディオはほんの少し胸の内を語ります。
「本当は甘いものじゃなくてもなんでも好きだよ。」
「そうなんですか? でもお茶の時間にはいつもケーキばかりですよね。」
「あれは陛下が選んでいるだけだもの。甘味なら僕は色のついたクリームより果物が好きだし、ああいう串焼きにも興味はあるよ。」
可愛い子が可愛いものを食べている姿が見たい、という私利私欲で結成された陛下のパティシエ団でしたが、かといってフローディオ自身に何が食べたいかとお伺いが来たことは一度もありませんでした。
国にいた時も似たようなものでしたし、姉姫は普通に乙女らしく甘味を一等好んでいたので、側にいた弟王子も気がついた時には舌が慣れていた……それだけのお話です。好き嫌いもとくにありません。
どうしてみんな菓子やケーキばかりくれるのかさえわかっておりません。
「それでしたら私買ってきますよ!」
近くで売っていた串焼きは仕事合間の男たちが一杯ひっかけるような店のものでしたが、他の客に揉まれながら逞しく買い物を果たしてきたノエルのおかげで、間もなくフローディオの口にも鶏肉が入りました。
タレがてかてかに塗ったくられた固めのもも肉でありました。
「美味しい……!」
初めての経験にパッと笑顔になるフローディオ。ノエルもまた嬉しそうに頬を綻ばせます。
しかしながら、心から楽しい時間はほんのひと時のことです。
フローディオはやっぱり、この妙なお忍びについてどうすればいいものかと、ポンコツなりに密かに考え込んでおります、
(王宮を出た時の荷馬車、途中で飛び降りちゃったし、どうやって戻るんだろう……? 迎えが来たりは、しないよね……?)
何を言っても聞いても、肝心のノエルが望みの答えをはっきり告げてはくれないことに、フローディオももう気がついております。
この場も楽しいには楽しいのですが、そのまま流されて良いものかはほとほと怪しいところです。
国にいた頃ならば姉姫と共に堂々と城門を通れば門番がにこやかに取りなしてくれました。
しかしこの国の王宮の門番はフローディオの顔をきっと知りません。
何者かもわからない人間が「陛下にお会いしたい」と言っても、果たして聞いてくれるかどうか。
(陛下が迎えに……それは、ないのかな。)
会話が途切れるたびに指輪を弄りながらそわそわ。
さっきまでは焼けるような熱を持っていたはずなのですが、今は特に変哲なく、赤い石はいつもの輝きを放っていました。
(来るならとっくに来てるはず。)
隠し事のできないフローディオに、ノエルももちろん気がついております。
「……フローディオ様、そろそろ香油壜を見に行きましょうか!」
「あ、うん!」
一番の目的が忘れられていないうちは、まだなんとかなるのではないか……身の振り方がわからない以上、フローディオには期待することしかできません。
ノエルに連れられ手を繋ぎ大通りを歩きますが、メインになっている道で広げられる品は王都に住む人たち向けの日用品がほとんどです。
目指す硝子雑貨店は、市壁へ向かって歩いて更に脇道へ入り込み、ちょっと進んだ先にある静かな通りにありました。
王宮は小高い丘の上なのでそこからでも見えますが、道がわからないポンコツ王子はますます一人で帰れそうにありません。
はぐれてしまえばおしまいですから、人の気が疎らでもフローディオがノエルの手を離すことはありません。
「おじさーん! こんにちは!」
ノエルは店を見つけると慣れた様子で中へ入っていきますが、聞き慣れないドアベルの音にフローディオは目を見開いてびっくりしていました。
チリィンチリィン、カラァンカラァン。
(綺麗……。)
銀色の薄い鐘に大粒の硝子の宝石がいくつもぶら下がり、陽の光を弾いてキラキラとプリズムを散らしていました。
繊細な楽器のような澄んだ音。それでいて見た目は小さなシャンデリアにも劣らない輝き。
足を止めて見惚れていたフローディオに構わず、手を引くノエルは商品棚の間を大股で進みます。
「おじさんいるー?」
声を張り上げること、数回。
ばたばたと上の階から足音が響き、店主らしき初老の男が現れます。
「ノエル……! 無事だったのか!!」
顔なじみの店なのだろうとはフローディオも察しがついていましたが、大仰な態度で降りてきた店主はモノクルを落としそうなくらい目を丸くしており、長閑な再会といった雰囲気でありません。
臆病な一見客は聞き慣れない大声に身を強張らせていましたが、ノエルは慣れたものです。
それどころか、しめた、とすら思っていました。
「久しぶり、おじさん。」
「久しぶりじゃないだろう。お前を探す輩がうちまで来てたんだぞ。」
「え?」
首を傾げてしらばっくれたノエルが本当に何も知らないと思っているのでしょう。店主は勝手に事情を話してくれました。
「修道院から何も聞いておらんのか……!」
「だって、勝手に逃げ出しちゃったから……。申し訳なくて、今更院長様に合わせる顔なんてないよ。」
「とにかく無事ならば良いが……。」
店主が話してくれたのは、ノエルが昨日受け取った院長からの手紙とそんなに変わらない内容でした。兄の手下と思われる男たちの話です。
修道院を問い詰めるだけでは埒が明かないとなり、外出した小間使い役の修道女を追い回して、その行動圏のあちこちでノエルの行方を聞き回っているのですとか。
「そっか……、迷惑かけてごめんね。」
「この辺りはお前には危険だ。安全に住める場所ができたなら早くお帰り。」
「わかった。」
買い物なんてゆっくりとしていられないらしいと、フローディオでもなんとなく危機意識を持ちます。温室育ちの箱入りはものものしい会話だけでも不安に駆られてしまうのです。
身内話をしてしまったとノエルからは詫びが入りましたが、「早く帰ろうね」と答えるのが精一杯でした。笑顔ばかりで相槌ひとつ返っては来ませんでしたが。
ならばさっそく用を済まそうと、何も知らないフローディオは外套の胸許を内側から握り合わせながら陳列棚を眺めて歩き回ります。
ノエルが言うにはこの店は、国営ギルドの支店のひとつだそうです。
王都から遠く離れた場所にある山間の工房で作られた硝子細工が運ばれてくるとか、修道院でもよく世話になっているとか、ちょっと興味深い話が聞けました。しかしフローディオの急いた気持ちを紛らわすことまではできずじまいでした。
職人が一つ一つ丹精込めて作り上げたという煌びやかな化粧壜も、陳列棚の一角に大小並んでおります。
だいぶまともな量になったとはいえ、香油は少ししかありません。フローディオが目を向けたのは、一番小さな、手のひらに収まるようなサイズのものです。
「フローディオ様、これはいかがですか?」
水晶の花が咲いたような蓋をした、薄紫のグラデーションで輝く透けた小壜をノエルが指差します。ですがフローディオはちょっと考え込んでおりました。
「フローディオ様にぴったり!」
「ノエル。陛下に差し上げるものだよ。」
やんわりと小声でそう言われて、ノエルはしゅんとしてしまいます。
「それに香油は、陽に当たると香りが落ちちゃうよね。」
花に囲まれて生きてきたくせに花には詳しくないフローディオですが、そういうお国の王子である以上、香油には一家言くらいあるというものです。真新しい薔薇香油の香りと傷んだ薔薇香油の香りとの差は、やはり普段から気になってしまったり。
フローディオがまともな理由で選んだのは、濃瑠璃の小壜です。浮き上がるアラベスク模様に金泥が塗られ、色石があしらわれたものでした。
ブリリアンカットの頭をした蓋はしっかり閉まるし、形もシンプルなので使いやすそうに見えます。
そこそこ高価ではありますが、持ち合わせでなんとか足りるでしょう。これでも陛下に相応しいかどうかと悩むくらいですが。
とはいえ大事なのは、壜に入れる中身の方でした。前回のお忍びの時に余っていた小遣いをはたいて、大事に包んでもらいます。
「ありがとうございます。」
「いやいや。良いお買い物をしていただきました。……ノエル、くれぐれも気をつけて帰るんだぞ。」
「はぁい。じゃあまたね!」
ノエルは手を振って店を後にしましたが、本当はまたここに来る日なんてこないとわかっています。
いつもと違う雰囲気の別れの笑みでしたが、意味を理解し損ねた店主は彼女が気丈に不安に耐えているのだろうと勘違いをしておりました。
「フローディオ様。近道をして帰りますが、足場が良くないので気をつけてくださいね。」
それとない言葉で再び手を繋ぎ、正念場だとノエルは決意します。
人気のないじめじめした道なんて通ったことのなかったフローディオも、自然と強く握り返してしまいます。
「寄り道とかは、いりませんか?」
「いらないよ。もう帰ろう。」
にべもなく断られてしまい、がっかりではありますが、ノエルには勝算がありました。
「サラが心配しちゃうし、お茶の時間に間に合わせたいよ。」
そもそもお茶の席が今日も用意されているかとて怪しいものですが……、何日も秘密にしていた贈り物、渡せるものなら早く渡して喜んでもらいたいではありませんか。
帰路についたはずだとほっとしてしまっていたフローディオはそんなことをぺらぺら喋ってしまいます。
ノエルは相槌少なく笑みを保っておりましたが、フローディオにとっては他愛ない話でも彼女にとっては心穏やかに聞けるものではなかったもので、黙っているうちにフローディオをまた不安にさせてしまったようです。
「ねぇノエル。ちゃんと、帰れるんだよね?」
「……ええ。一緒に行きましょうね。」
帰る、という言葉は意図的にぼかしてしまいます。ノエルには意中の人を無事に帰すつもりなんてないのですから。
てくてくとしばらく歩き、会話も途切れた頃になれば、いよいよノエルの一芝居が始まります。
「あっ!!」
角を曲がった瞬間にわざとらしく叫んだ彼女は、大袈裟な身振りでばたばたと物陰まで後ずさります。
「ど、どうしたの?」
引き摺られて一緒に後退するフローディオが尋ねると、口許を押さえて弱り顔を繕ったノエルは視線を逸らし、用意していた言葉を口にしました。
「兄の手下が……。」
「……!」
見つかればノエルはただでは済まないでしょう。騙されたフローディオの顔色は一瞬で青褪めてしまいます。
「……フローディオ様。表通りへ出ればきっと鉢合わせしてしまいます。」
「う、うん。」
「よろしければ、少しの間、近くの宿にでも隠れてから戻りませんか? フローディオ様にまで何かあったら、取り返しがつかない……。」
「……わかったよ。」
ノエルの誘導に素直に従ってしまったフローディオは、すぐ近くの裏通りに運良く宿があったことになんの疑心も抱けませんでした。幸いとすら思ってしまいました。
危険なことは嫌いですし、ノエルに何かあるのもやはり嫌でしたから。
ただ安宿に泊まるという経験がなかった温室育ちには、そこがどういう宿であったかまでは想像がつきません。
人目を避けて、道ならぬ恋をした者たちが入っていくような、特殊な宿泊施設……連れ込み宿だったといいますのに。




