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ノエル編 12

 ノエルから渡されたお忍び用の服を着たポンコツ王子フローディオ。彼が決定的な違和感を覚えたのは、王宮を抜け出る直前のことでした。

「さ、こちらへ。」

 後宮を忍び出てからノエルが勧めてきたのは、今まで乗ったこともないような荷馬車です。外出の許可はあるとノエルは言いますが、前回と違ってサラの見送りもありません。

 まるで何かから逃げるようだとは思いましたが、ノエルに限ってまさかという気持ちもありますし……。

「あの、いろいろ聞きたいんだけど……、」

「早く乗らないと市場に行けなくなりますよー!」

「でもノエル、僕は陛下に怒られることはしたくないんだよ……?」

 ノエルからすれば断腸の思いでありましたが、うまく釣れそうなネタなら考えてあります。

「その陛下のためだからこっそりしているんです!」

 自信たっぷりなノエルの言葉に、フローディオはあっという間に呑まれてしまいました。

「どういうこと?」

「もう少しで月下美人の香油がある程度溜まりそうでしょう? せっかくですから見栄えの良い香油壜でもあればと思ったんです。サラ様も、それならこっそり行って早く帰ってらっしゃいって。」

 話しながらも強引なノエルの手で、あれよあれよという間にフローディオは馬車の荷台へ乗せられてしまいました。

 実はこの荷馬車、毎朝大量の採れたて野菜を城へ運び入れてくれる商会のものです。染み付いた野菜の青いにおいがほんのり漂います。

(土と……、なんの匂いだろう……?)

 少なくとも香料とか石鹸とかの華々しさや清潔感は箱入りの鼻には感じられませんでしたので、ますますもって不審です。

 納得はさっぱりできていないのですが、残念ながらフローディオはそう簡単に人の手を振り払えるような性格ではありませんでした。

 乗り込んですぐさま、並んで重たい幌を被ります。雨除け用で蝋が塗り込んであり、とても重たくて埃っぽいです。

「ねえ、ノエル……」

「しっ。陛下を驚かせたくないんですか?」

 小声ながら鋭くそう言われてしまうと、フローディオはもう何も言えません。眉を寄せたまま黙って身を潜めていると、いよいよ御者台にがたごとと人が乗り込んできました。間もなく馬が歩き出します。

 ギシギシ、ミシミシ、不安定な揺れに悲鳴のような軋み音。温室育ちのフローディオには、とても居心地が良くありません。

(サラがこんなこと許すとは、思えないんだけど……。)

 確認をしに戻りたくとも、馬車が止まる気配は皆無です。

 城の敷地を越える時を迎えると、ノエルは思わず息を止めて緊張感を漂わせましたが、彼女の不安は杞憂でした。門番は入る者には厳しいですが、出て行く者を見咎めることは滅多にありませんから。

「お疲れ様です。」

「ご苦労、通れ。」

 顔見知りらしい簡素なやりとり一つで、馬車はスピードを緩めることすらなく、城門を越えてしまいました。

(いいのかな……? でも、すぐ帰るってノエルも言ってるし……。)

 ぎゅう。ノエルが強く手を握ってくるので、フローディオはついに声を上げるべきタイミングを逃してしまうのでした。



 その頃の後宮では、陛下の元からサラが戻ってきたのをきっかけに、フローディオとノエルの姿が消えてしまったことが発覚。

 王宮は一触即発の静けさに包まれておりました。

「申し訳ございませんッ!!」

 謁見の間にて、膝を突いたサラを先頭に頭を低くして並ぶ侍女たち。彼女らはまとめ役であるサラが報告を終えてすぐさま、玉座の赤獅子王へと揃って床へ額突きます。

 重臣たちも息を呑み、黙したまま見守るしかありませんでした。

 玉座近くに控えている熟練の騎士たちも震えを律するのに必死です。

 ここ数年ばかりこそ国は非常に穏やかでありましたが、血の獅子王と呼ばれた陛下がこの謁見の間の絨毯を禁色以外の赤で染めた日は決して少なくはありません。

 フローディオは何も知らないのです。恐ろしいのは顔と振る舞いばかりで心根は優しいと思っているこの国の王が、どれだけの屍の上に立っているのかを。

 よその国からやって来た姫君たち全てに、どうして安全な領地を与えることができたのか、考えてみれば難しい話ではありません。

 そう遠くない過去のこと、前任者たちが揃って姿を消したからです。

「サラよ。」

「はい……!」

 サラの望みはただひとつ。この場をせめて自分の首一つで済ませ、他の侍女たちを無事に帰してやることでありました。

 低く冷たい氷のような声で名を呼ばれても、覚悟をした彼女は返事一つに恐れで遅れを取るという真似はいたしませんでした。

 しかし、獲物の選別をするかのような目で御前を見下ろす陛下にも、陛下なりの筋というものがあります。

「他の者もだ。聞け、余は無駄な血を流すつもりは毛頭ない。」

 ほっとする者など、誰一人としておりませんでした。

 どうして安堵などできるでしょう。

 ならば何故、その声がそうも凍えておられるのかと……問える者もまた、この場に一人とておりません。

 これではただ単に、喰らうべき相手、咬み殺すべき相手が、目の前にいる者たちではないと、そう告げられているようにしか聞こえてないのです。

 次は自分なのでは。

 悪さひとつしていない潔白な者ですら意味もなく打ち震える空間。

 戴く王が口にして定めたことの全ては、理不尽を凌駕してただ理と化してしまう。それこそが絶対君主の金科玉条であります。

「あの小娘、情けをかけてやればいい気になりおる。」

 獲物を狩る時、捕食者はわざわざ目立って背を伸ばすような真似なんていたしません。

 肘掛に頬杖を突き斜に構え、僅か丸めた背を揺らしながら、ぽっかりと底のない闇を思わせる態でクツクツと喉を鳴らすように笑います。

 その独り言ちた声は決して大きくはありませんでしたが、纏わりつくようなぬめりとした波の如く広間に広がり、その場の誰もの耳にこびりつくのです。

(ああ、ノエル。なんて愚かな真似を……。)

 赤獅子が狙うのは唯一諸悪の根源のみ。

 大国妃候補の『姫君』を拐かした娘、ノエル・シニョレただ一人でした。

「妻殿が帰ってきた時、そなたらに傷が付いていてはあれも流石に怒るであろう。打ち据える真似はせぬ。下がって沙汰を待つがいい。」

 各々の胴と首がすべて繋がったまま無事に返されるという事実が、侍女たちにはすぐには理解できませんでした。身動きするどころか呼吸ひとつすら苦しい彼女たちに、サラも振り返って下がるように視線で追い払います。

 震える手で長い裾を広げ礼を残した侍女たちでしたが、サラだけは依然としてその場にとどまりました。

 命知らずな真似をと、非難とも震駭ともつかぬ視線が束になって彼女へと向けられます。

「陛下、恐れ多くもお伺いいたします。どうなさるおつもりですか?」

 ノエルを庇うことは最早不可能でしょうが、気がかりなのはフローディオのことです。

 一番近くで見守ってきた彼女だからわかります。フローディオは陛下に逆らう意思なんてない。

「……可愛い妻殿にも、今度ばかりは少し仕置が必要のようである。」

「陛下……っ!」

 恐らくは、問題が解決しそうである状況下、そのままフローディオと引き離されてしまうことが許せなかったノエルの暴走が事を引き起こしたのでしょう。

 そこまで思いつめていたとはサラも予想だにしておりませんでしたが、若いせいなのか怖いもの知らずが過ぎたのか。

 少なくともフローディオは断りきれずに巻き込まれただけだと容易に想像できます。

 彼の性格は、陛下とてよくご存知のはず。

 なにより陛下に対して淡い恋心を抱き始めていたフローディオに罰を与えるのは、サラにはどうしても酷に思えてなりません。

「陛下はノエルではなく、フローディオ様にもお怒りなのですか? まさかご自分で出ていかれたとお考えで?」

「異な事を……。そなたが先に申したのであろう!」

 食い下がるサラに陛下はわずかに語気を荒げて答えましたが、先に申したとは何のことでありましょう。

「余は別に手を拱いてここにいるわけではない。指輪を渡したのだ、居場所はわかっておる。」

 指輪といえば、赤獅子王がフローディオに贈ったあの赤い石の指輪のことでしょう。

 錬金術師が古の術で作った特殊な石とだけ陛下は説明しておりましたが、その実態は。

「あれは始祖の炎が封じられた魔の石。同じ力を持つ余には、あれをつけている限り『姫君』の居場所も状況もだいたいわかる。」

 遭難騒ぎの折、陛下は思い出してしまいました。平穏はいつだって、何食わぬふりでやってきて、素知らぬふりで去っていく。そういう一時的なものなのだと。

 なればこそ、失って困る花は奪われないよう、いつ何時であれ慎重に管理するまで。

 柳眉を逆立て寄せて皺を深くするサラには構わず、陛下は遠い目になって城下へと視線を送りました。

「……今もどうやら楽しくお過ごしらしい。」

 それがこの場にいないフローディオのことであると、わざわざ告げられずともサラにも理解ができました。

 語った陛下の苦々しい笑みは相変わらずの悪役然。問題ごとのタネを今すぐにも始末したいと言わんばかり。

 それは生まれつきで仕方ないのですから、周囲が慄こうが震え上がろうがサラは今更気にしません。

 しかしそんな代物を断りもなく身につけさせるというのは、いかがなものでしょう。

「ずっと、監視しておられたということですか?」

「余のものを余がどうしようと勝手であろう。」

「……! 見損ないましたっ!!」

 言い捨てたサラは柄にもない乱暴な礼を一つ残してツカツカと退室してしまいました。

 しかし火つけ人はあくまで彼女です。

 万が一のことなんて説かれて、いざノエルと抜け出してしまったフローディオが今も城下で楽しんでいて、助けを求めてすらいない。そこでようやく陛下は気がついたのでした。

 所有するつもりなく、自由に生きてほしいと願っていた対象が、あっけなく誰かのものになってしまう可能性に。

 どれだけありのままのフローディオを望んで、彼の成長を待っていたところで、早く自分のものにしなければ、誰かのものになってしまうかもしれない。

 それくらいなら、何を待つ必要もなく、ただちに自分のものにしてしまうべきだと。

(あれは、余のものだ。フロル……。)

 迎えに行こうと思えばいつでも行ける。それをしないのは、抜け出た二人が並んで楽しそうにしているところを直接目にしてしまえば、自分が理性を欠いた行いをすることが最初からわかっているからでした。

 お忍びくらい、心配はしますが殺気立つほど騒ぐことではありません。沸騰した頭の隅では陛下とてそれをわかっています。大国王の膝下である城下は、そこまで物騒な場所でもないのですから。

 ノエルもまた、フローディオがおかしなことをしないようきちんと手を取っているでしょう。

 それがますます腹立たしくて仕方がない。

 いっそ泣いて呼んでくれれば、良き夫の皮を被って迎えに行けるのに。

 忿怒の理由はただの嫉妬とはいえ、陛下の手はとっくに人の命の軽さを知っておりました。

(あの小娘だけは生かしておけぬ。)

 そうすればフローディオも、善悪の区別がつかないとしても誰かの手を取ることはしなくなるでしょう。

 軽い命一つで可愛い想い人が逃げ出せなくなるのなら、安いものではありませんか。

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