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ノエル編 10

 金より貴重な月下美人の香油をノエルから受け取ったフローディオは、それを赤獅子陛下へ贈ろうと早々に決めてしまいました。

 これならば大陸の覇者にも相応しい立派な贈り物となるでしょう。ただし、まだまだ量が足りません。

 できるだけ新鮮なうちに摘んですぐ蒸留する必要があるのだというノエルの話を聞き、フローディオはついに深夜寝室に入る許可まで出してしまいそうになる始末。話を聞いていたサラは流石に慌てました。

「フローディオ様。それには陛下のお許しがなければ、私は認められません。」

「そうなの?」

「まだ公にこそなっておりませんが、やはりフローディオ様はたったひとりの大国妃候補でいらっしゃいますから……。」

「ああ……、それもそっか。」

 親しみという点ではノエルが頭角を現しておりましたが、フローディオは世話役のサラを(ししりん中毒の点以外では)全面信頼しておりますから、諫言には素直に従いました。

 ノエルはひどくがっかりしておりましたが。

「陛下への贈り物であるなら、私も協力いたします。お休みの時に花を集めればよろしいのですね?」

「それだとサラが寝不足になってしまうよ。」

「大丈夫ですよ。ご心配でしたら、私の侍女たちと交代でやります。」

 それなら大丈夫かなと納得したフローディオは満足げでしたが、ノエルはやはりおもしろくないようです。結果的には自分だけ除け者にされたようなものでしたし。

 彼女も顔に出すまいとはしておりましたが、年上の女性であるサラの勘にはやはりひっかかるものがありました。

 しかし煙たがられてしまったとしても、サラはあくまで大国妃候補のフローディオの世話役。

 フローディオ本人も嫌がっていない以上、サラには陛下の恋路を応援する義務があるのです。

「ノエルも寝不足には気をつけるんだよ。」

「は、はいっ。ありがとうございます!」

 フローディオの心遣い一つで態度急変、この喜びようですから、サラの頭は痛むばかりでした。

 それからしばらくの間、お茶の席でのフローディオはたまににこにこ思い出し笑いをするようになりました。

「余の妻殿は最近ご機嫌であるな。」

「そのように見えますか?」

 赤獅子陛下へ贈るに相応しいものがやっと手に入りそうというたった一点からの笑みでしたが、なにしろ秘密の計画です。うっかり口を滑らせるわけにはいかず、向かい合ったまま終始ヘタクソなだんまりを決め込みました。

 まだまだ陛下の凶相にも慣れきってはおりませんでしたから、フローディオは俯きがちにケーキをつつきながら笑うばかりです。それだって、相変わらずこの王子に首ったけの陛下から見れば百合が花首を傾けているようなものであります。

(今日も我が妻殿が愛らしい……神は偉大であるなッ!!)

 神に感謝を捧げる時こそ神に牙剥く悪魔の様相になってしまうのは、考えものでございましたが。

 フローディオはまったく知らないのですが、彼が小鳥の啄ばみのような動きでケーキを切り分け口へ運ぶ度、未だに陛下は興奮気味のギラギラした目でそれを眺めています。一挙手一投足を見逃すまいと、捕食者の眼光を宿らせて。

(はあ……、美しい……ッ!!)

 愛でるのに熱中するあまり、たまに紅茶のカップに罅を入れてしまうくらいです。パキン。

「あのですね、陛下。」

「なんであるか。」

「……やっぱり秘密です。」

「余に隠し事とは大層なことだな。」

「楽しみにしててください。」

「う、うむ……。」

 甘酸っぱい会話とそぐわない凶相と、見慣れた風景には侍女たち一同常に生温かく苦笑い。

 ただ一人、ノエルだけを除いて。

(んんんん。)

 サラの不安は募るばかりです。

 恋する乙女からすれば、意中の人に使ってもらうために手間暇かけて作ったものをすんなり陛下にプレゼントされてしまうのは、どうしても楽しくないのでしょう。

 誰より早起きして、忙しく掃除をこなして、主が起床したと同時に花を摘み、密かに毎朝小難しいことをしてきたのですから。

 ですが……サラはもう、これ以上ノエルを野放しにしておくことはできません。

「ノエル。今日は片付けは私たちでやりますから、フローディオ様をお部屋までお連れして頂戴。」

 お茶会がお開きになってすぐさま、サラは予定変更を告げます。

「あ、はい!!」

 見てください、あの上機嫌な笑顔。

 その恋心がよりによって大国妃候補に寄せられたものでさえなければ、サラも全力で応援してあげられたのですが。

「……陛下、戻りながらで構いませんのでどうかお話を。」

「構わぬぞ、どうした。」

 片付けは他の侍女たちに任せ、早速王宮へ歩みを向けながら、サラは小声で申し上げます。

「ノエルがどうも、フローディオ様に恋心を抱いてしまったようで……。」

「……な、なに?」

 我が耳を疑う、とでも言わんばかりに問い返され、まあそうだろうなとサラも溜息を零します。

「それは……アレにバレた、ということであろうか……?」

 誰が聞き耳を立てているかわからない表での会話ですから、陛下は言葉を濁しつつ尋ね返しました。

 柳眉を寄せていた彼女はその問いに遠慮なく渋面を作るしかなく。

「陛下……、世の中の恋愛に性別なんて、意外と関係ないものなんですのよ?」

 かつての後宮しかり、騎士団や兵団しかり。

 特にちょっと普通でない環境下であれば、なおのことコロリと、人は条理を易々と飛び越えます。

 陛下は男女以前に子が産めるか否かで判断した上でフローディオを見初めたので、いまいちピンときていないようですが。

「フローディオ様はあの通り陛下のことしか対象に考えていらっしゃいませんが、」

「……ふむ。」

 ニヤッ。貢物に満足した悪代官みたいな表情を浮かべて陛下はご満悦ですが、主題を聞けよとサラは語気を強めました。

「へ、い、か! ノエルがこのままフローディオ様に片思いを続けていると、いつかどこかで万が一が起きるかもしれないとは、お考えにならないのですか……!?」

「万が一……だと……?」

 サラはびっくりしました。

 この極悪人ヅラ陛下、唖然と鸚鵡返しになりやがりました。見てください、とんでもない阿呆面ですよ? あろうことか意味をご理解いただけていない?

 腕を組んで首まで傾げて、万が一とは具体的に何を示すのか悩んでいるのが丸わかりでございました!

「申し上げておきますが……フローディオ様が花の子である以上、男でも女でも陛下のライバルになり得るってこと、忘れないほうがよろしいですよ?」

 これには赤獅子王もハッとして、みるみる真っ青です。考えたこともなかったと言わんばかりでしたが、首を取られた魔物みたいな心臓に悪い表情はサラの目にも毒で見ていらませんでした。

 これがあの美姫(男)を娶るのかと改めて考えてみると……、陛下には気の毒なことですが、ぱっと見だけならノエルのほうがよほどフローディオに釣り合っています。残念ながらサラですら違和感を覚えてしまうくらいです。

 だってノエルの方がずっとずっと歳も近いですし、普通に整った愛嬌のある顔立ちをしております。なにより異性同士です。

 ノエルがフローディオを異性、同性のどちらと認識しているのかはわかりません。しかし男女カップルの方が収まりが良いのは事実です。動物的には恋愛の最終目標は子をもうけることでありますし、同性愛は生き物としては不合理でしょう。だからこそそこには人間的な純粋な愛が芽生えるのかもしれませんが、ノンケのサラにはそのあたりの機微まではわかりません。

 たまたまフローディオが子を産めるから陛下に召し上げられたわけですが、陛下も本来ノンケであることをサラはよく知っておりました。

 だからこその疑問が、彼女には前々からあったわけです。今こそその辺りをはっきりさせる好機でした。

「それに、……前から気になっていたのですけど……その……、」

 サラだって、付き合いの長いよその殿方にこんなことお伺いしたくありません。でも、だって、気になるじゃありませんか……!

「いざ閨に入って……、ちゃんとその……できるんですか?」

 人間誰しも、勃つ相手、勃たない相手がいるものですからね!!

「問題ないッ!!」

 サラの不安なんてこれっぽっちも理解せず、陛下はやたらと声を張り上げ、幼なじみの憂いを一蹴します。サラからすればその気迫こそが不安材料なのですがり

「当然絶壁ですし……、お尻とか、キュッてしてるタイプですよ……?」

「余は妻殿以外はいらんッ!!」

 これだけ即答する勢いがあれば大丈夫、と、思いたいところです。本当のところは、その時が来るまでわからないものでありますし……。

 それはさておき。

 フローディオは王子、男です。

 ノエルは言うまでもなく女です。

 その二人の、取り返しがつかなくなるような『万が一』について考えて欲しいのだと、もし大国妃候補が実は男であるとバレた場合に事態が急転する可能性を危ぶんで欲しいのだと、サラはどうしても警鐘を鳴らしておきたかったのですが……。

 赤獅子王が理解したかしていないかも定かではないこのタイミングで、二人のやりとりは一時休戦を迎えます。

「陛下、よろしいでしょうか。」

 本殿に入ってまず最初、赤獅子王の御前に歩み出て美しく跪いたのは甲冑を着込んだ若者でした。

 いえ、良く見れば女性であります。日焼けした赤髪は襟足に届かぬほど短く切り揃えられておりましたが、男性にしてはあまりに肩幅が狭い。

「何用か。申せ。」

「ハッ。恐れながら申し上げます。先日視察に向かった修道院より、個人的に呼び出しを受けまして……、」

 話から察するに、ノエルのいた女子修道院へ使いに行ったのはこの女性だったのでしょう。

「手紙の返事を送りたいと院長から切に頼まれたので、預かって参りました。」

 こちらになります、と恭しく差し出されたのは一通の手紙。宛名には流暢な字でノエルの名が記されております。

「届けられるかについてはわからないとあらかじめ断ってありますが、いかがなさいましょう。」

「預かろう。」

 陛下や城を通さなかったのは、教会と王室の微妙な関係性に触れたくなかったためでしょう。もしくは正規の手順に則って闇雲に時間を取られたくなかったからか、あるいはノエルの居場所を他者に悟られないようにするためか。

「今後の対応についてはまた沙汰を出す。」

「ハッ。」

 話がひと段落すると、やりとりを黙って見ていたサラへチラと視線を送った陛下。何を思ったか「ちょうど良い」と呟きます。

「サラよ、紹介する。……面を上げよ。」

 精悍な面立ちを上げる所作に、陛下への恐れはありませんでした。

「アナイス・オリヴィエ。騎士見習いだ。」

 涼やかでキリリとした曇りのない黒瞳には、サラが久しく見ていなかった種類の輝きがあります。未来を真直ぐに見据える、しなやかな強さを併せ持った、希望に満ちた目。

「お初にお目にかかります、サラ様。」

 王宮の裏の顔役でもあるサラのことは当然知っていたらしく、アナイスと呼ばれた騎士見習いははきはきと挨拶を口にいたしました。

「さっさと叙任してやりたいのだが、こうも平和だと武勲も立てさせてやれぬ。」

 武勲がなければどんなに優秀な騎士見習いでも十八までは叙任を受けられません。ということは、年頃は十六か十七くらいといったところでしょうか。

「とんでもございません。騎士も兵もただ飯喰らいと罵られるくらいがいいのだと、父にもよく言われておりました。」

「ではやはり、あのオリヴィエ将軍の……?」

「娘です。」

 先の戦争にて惜しくも命を落とした、勇猛と名高かった将軍の娘。

 それだけ聞けば、軍事には疎いサラにもアナイスがどれだけ将来を期待されているかがよくわかります。

「順当にいけば我が国最初の女性騎士となるわけだが、優秀すぎて見習いのまま遊ばせるのが勿体ないのでな。近々、妻殿の護衛役に付けるつもりだ。」

 陛下がサラに紹介した理由はそれでした。そうなれば、サラとアナイスは管轄違いの同僚みたいなものになります。

「近々お世話になりますゆえ、まずはお見知りおきを。」

「ええ、頼もしく思いますわ。お待ちしております。」

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