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ノエル編 1

 正気を取り戻したサラが職務復帰を果たしてから一週間も経った頃、フローディオの乗馬服が完成したとの報せが仕立て屋からもたらされました。

 森での遭難騒ぎから半月以上が経っておりますが、フローディオはあれから一度も乗馬に挑めずにおります。

「だが馬は好きなのであろう?」

「え、ええ、まあ。」

 お茶の席で目線を泳がせつつ、たっぷりジャムがかかったシフォンケーキへフォークを入れるポンコツ王子。

 サラもあの日のことについては至らなかったと今でも悔いております。それもあって、とても強気に勧めるなんて真似はできず、フローディオは馬のおやつやりばかりが上達していく毎日でありました。もう少しで全ての馬の名前が覚えられそうなくらいです。

 他に最近はまっていることといえば、王宮の巨大な図書室の探検でございました。もとより箱入りなので、室内で用が足りる趣味の方が肌には合っていたのかもしれません。

 それもそれで、良いでしょう。獅子の大国の伝承ですとか、薔薇の図鑑ですとか、そんなものにも興味を示すようになり、大国へやって来たばかりの時に比べれば格段にまともになってきましたし。

 しかし王宮へ足を運ぶ回数が増えると、その類い稀なる美しさを備えた姿がお偉いさんの目につく機会も増えるわけでして。

「図書室に通うほど学ぶ意欲があるならぜひとも姫君に国の歴史を知っていただかねば!」と、陛下は大臣たちから毎日のように口酸っぱく言われております。

 もしそうなれば、獅子の大国の血生臭い歴史がフローディオの耳めがけて次から次へと飛び込んでしまう事態が発生するでしょう。陛下としてはそんな修羅場はもう少し、もっと後にしたいところ。

 別の趣味、叶うことなら体力のつく楽しみが見つかってくれればいいのになぁ、と願うばかりの赤獅子陛下。常日頃からご多忙でありながら、頭の中の公務の予定をあれこれいじくりまわしてみます。

 なんとか一日くらい空けられないものかな、と。

(思えば余はまだ、未来の妻殿と一日ゆっくり共に過ごしたことがないのではないか……? な、納得いかぬ……ッ。)

 領地拡大を目論む悪の皇帝みたいな顔で考え込んでおりますので、サラも侍女たちもそっと顔を背けます。

 結論といたしましては。

「……余と遠乗りに行かぬか?」

「!!」

 釣れました。



 そんな成り行きで決まったお出かけでございましたが、フローディオにどこに行きたいかなんて聞いてもピンとこないのは明らかです。

 この国に来ておよそ二ヶ月。その間、王宮の敷地を出たことは一度もなし。

 正式に後宮入りしたわけでもありませんし、賓客扱いにとどまっているため、立場としても中途半端。実情的にはお后候補ではございますが、赤獅子王の寵愛という名の過保護に深く囲われ、外部との交流もろくすっぽありません。

 話し相手といったら、侍女や使用人、庭師や厩番なんかばっかりです。国のお偉いさんとは廊下ですれ違った時に挨拶をするだけ。

 上辺の挨拶と社交辞令だけなら立派なお姫様の真似事で通せますから、限られた者以外はフローディオの正体どころか、彼がどれだけ臆病なのかすらいまだ知り得ません。

 知れ渡っていることといえば精々、城の敷地内の林で帰れなくなる頼りなさくらいでしょうか。不名誉なことですがそこは類稀なる美しさで「しょうがないよね」と納得させる感じです。

 か弱く溺愛されているから懐から出されない、と認識されているため、未来のお妃へ意図的に近くことはほぼタブー視されているのが現状です。これは陛下からすれば好都合な状態でした。狙いやすい、付け入りやすいと良からぬ輩に思われてしまえば、フローディオの身に危険が及ぶことだって考えられます。

 そんなですので当然ながら、遠乗りは少人数でこっそりひっそり決行することになるでしょう。適当な目的地を赤獅子陛下が見繕うことにいたしました。

(とは言え、余も道楽で遠乗りなど行ったことがないのだがな……。)

 王都周辺ともなれば尚のことです。秋には狩の腕を競う祭なんかもございましたが、お高くとまった貴族たちの集会なんてどれも陛下には楽しいとはとても思えず。

 そんな催し物が楽しくないとなれば、真に親しく打ち解けている人などサラくらいしかいない陛下に『楽しい遠乗り』なんて機会があったはずもないわけです。

(遠乗りとはいえど、妻殿の体力を考えると近場がいいのは言うまでもなかろうしな……。)

 公務の合間に熟考を繰り返し、結果として陛下が行き先に選んだのは本当に近場の行楽地でした。郊外の田園地帯をまっすぐに少し駆けた先、野原が広がる穏やかな山裾です。

 大臣を取っ替え引っ替え問い詰めたところ(陛下的はただ尋ねただけのつもりでした)、乗馬初心者にはうってつけの場所なんだとか。見通しのいい長閑な一本道だから子供でも迷うことがないそうです。

 非公式でありますから、城下を抜けるまでは馬車で密かに移動することとなります。身を窶して市壁を抜けてしまえば、そこからは自由です。

 小川のせせらぎも楽しめますし、山の森の奥にさえ入らなければ棲んでいるのは兎と小魚と虫くらい。フローディオが怖がるようなものは(恐らく)ありません。

 話を聞いてすっかり楽しみになったフローディオ。後日めでたく、にこやかに乗馬服を受け取ることができました。

 望み通りの森の緑をしたロングジャケットに、青みを帯びた艶々の栗毛の髪が良く映えております。手袋と揃いの上等な革で誂えたタイトなキュロットは膝が隠れるくらいで可愛げがありましたが、淑女(似)の足をしっかり隠す羊毛のハイソックスとシンプルなロングブーツで身だしなみもばっちり。

「お似合いでございますよ、姫様。」

「ありがとう。」

 まさか仕立て屋の女将も、目の前で女性ものを着こなした人物が実は男だなどとは夢にも思わなかったでしょう。

 さらに数日の間、決意の末にフローディオ断ちをした赤獅子王はいつもにましてのハイスピードで執務処理装置の役をまっとうしました。

 変なテンションに任せて時折王宮に高笑いを響かせたため、いよいよついにご乱心なのではと心配する者まで現れる始末。

 フローディオが来てからこっち、わりかししょっちゅうご乱心気味なものですから、兵たちがずいぶん深刻に悩んで夜警を増員したりもいたしました。まあそんなことはつゆ知らぬ大国王でございましたが……。

 そしてついに彼は、無事に待望の休日を手に入れたのでした!

「妻殿!! さあ行くぞ!!」

「ひゃ、ひゃいっ!!」

 先に馬車に乗っていた陛下が重苦しい黒革のマントを靡かせて、後宮で待っていた想い人へ手を差し伸べるその様相は、行楽地へ遊びに行くというよりは戦場へ血の川でも作りに行こうかとするような態でございましたが、変わった返事を素っ頓狂に響かせたフローディオは目を瞑ったままながらちゃんとエスコートに従いました。

 自前の紫の乗馬服姿で同行の準備を済ませていたサラは二人の様子に困り笑いを浮かべております。ですが今は、赤獅子王とフローディオの恋路についてはそんなに悩んではおりません。呆れることはあっても、なんとかうまくいきそうだと安堵しているくらいです。

「サラ、早くー。」

「はいはい、只今。」

 お忍びには御誂え向きの飾り気ない馬車は、見た目に反して内装の質は上等です。座席の座り心地は快適でした。

 前方に陛下が腰掛けて、その向かい側にはフローディオとサラが座ります。

「窓の外を見てもよろしいですか?」

 中を隠すように絹のカーテンが引かれているのでフローディオは念のため確認しました。

「城下に入ってからにするがいい。」

 城門で御者が門番をあしらってすぐさま、「カーテンの隙間からになさってくださいね。」というサラの言葉に従い、フローディオはそっと外を伺います。

「やはり城下は栄えておりますね。」

「なんだ、王宮に来た時にも見たのであろう。」

「あの時は緊張していたので、私にはあまり記憶がないのです。」

 無理からぬ話です。

 フローディオは花の王国では、赤獅子王が人質として後宮に入る姫を求めていると聞かされていましたから。

 獅子の大国が帝国を退けた直後の時期、辺境の小国はどこも大国からの侵略に戦々恐々としておりました。代わりに差し出されたのが安全保障と同盟でしたから、陛下が言葉を尽くしてもあっさりとは信など得られません。「どういうつもり? どういうつもり? 油断した途端に攻めてくるんでしょ? え? え?」って感じでした。

 担保として姫君を所望されたとて、待遇の保証のない哀れな人質と解釈した国は花の王国だけではありません。赤獅子王は冷酷無慈悲で名が通ってしまっておりましたからなおのことです。

 国交に重みを持たせ、なおかつ強制的に長い付き合いをさせるための手段として手っ取り早いのもあり、姫君を所望したわけです。臣下が盛り上がってただけで、陛下自身にとってはお見合い的な要素はおまけのつもりでもありました。手荒に扱うなどという発想は最初から皆無だったのですが、そのあたりの都合が諸国にきちんと伝わり始めるにはまだまだ時間がかかることでしょう。

 国内にさえとどまってくれれば異国の姫君たちは国交の担保という役目を果たしてくれるのですから、彼女たちがある程度幸福に過ごせるようにと手を回すつもりでさえおりました。

 蓋を開けてみればこんな愛らしいのが飛び込んできて、青天の霹靂とはまさにアレ。

「並んでいる尖塔は教会ですか?」

「うむ。今では古いばかりだが、現在の王宮が完成するまではあれが王城であった。」

「だからあんなに大きいのですね。ちょっとうちの城みたい。」

「水道橋も見えるであろう。」

「すいどうきょうとはなんですか?」

「水を運んでおる。背の高い石橋が見えよう。」

「すごい……。僕の国じゃ水路だったのに。」

 ぽろっと、素が出ています。「私」ではなく「僕」になっていました。

(まあまあ。)

 あれだけ恐ろしがっていた赤獅子王の前で子供のようにはしゃいでいるフローディオを眺めていると、この方はいつか本当に大国妃になるのだろうな、と陛下の夢物語でしかなかった未来がサラの目にもうっすら見えてくるような気がいたします。

 ただひとつ問題を挙げるならば。

(ウワァ……。)

 うきうきしているフローディオが外に夢中なのをいいことに、赤獅子王は取り繕うなんてことも忘れて微笑んでおりました。

 それはそれは凶悪で不吉な、小鳥でも握り潰して滴る生き血を飲み始めそうなくらいの、魔王の笑み。

 視線に気付いたのか、陛下はサラへと振り向きます。彼女ですらその場でびくりと跳ね上がりました。

「やらぬ。」

「欲しいとか……言っておりませんよ……。」

 小声でのやり取りに、幸いフローディオは気がついておりません。

 くつくつ笑いながら初デートに浮かれきっている赤獅子王と、この国に来て初めての外出にきゃっきゃしているフローディオ。

 まだまだ完全にすれ違っている二人の本日の恋愛模様は、いったいどうなってしまうのでしょうか。

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