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恋愛編 12

 フローディオの遭難騒ぎの収束には時間がかかりました。何しろ憔悴しきった陛下自らが兵を総動員、敷地内の大捜査までしましたから、帝国が攻めてきたのでは、城が襲撃されるのでは、あらぬ噂があっちでもこっちでももちきりになって、恐慌一歩手前の大混乱を催したのです。

 では騒ぎを起こした張本人はどうしていたかといえば、目を赤くしたサラと共に静かな後宮で引きこもっておりました。人目に触れれば事情を知りたがる者たちから追い回されることがわかりきっておりましたから。

 望んだことではなかったたなりにささやかなバチが当たったのか、フローディオは二日三日ばかりしつこいくしゃみとお付き合いすることとなりました。ただの鼻風邪なのに陛下が一人で御殿医を問い詰めて、これがまた騒がしいのなんの。幸いいじめられた医師の胃に穴が空く前には、穏やかな日常が戻ってきます。

 一番災難だったのは、未熟で尊い乗り手を振り落とし帰ってきてしまった馬の方です。

 陛下が事故であると理解したためサラにも処罰は下りませんでしたが、代わりに馬が「こいつだけは許せぬ」と赤獅子王の怒りを買い占めさせられてしまいました。

 危うく美味しい馬肉にされるところでしたが、フローディオが必死になって止めたため事なきを得ております。

 もとより臆病な王子のこと、しばらくは乗馬は怖いと言って、陛下が満足するだけたっぷり半月は穏やかに過ごしました。そしてその頃になると、代わりにまた別の楽しみを見つけ始めます。馬の餌やりです。

 といってもまさか『姫君』にスコップや押し車の使用が許されるわけもなく、人参やらキャベツやらのおやつを手ずからあげるのがお気に入り。厩の馬たちであれば顔の見分けがつくようになるまで、大して時間もかかりませんでした。

「手がね、食べられそうで、すごく怖い。」

「あらあら。」

 ハマった理由の半分は、遠乗りへの憧れが捨てきれないせいでしたが、もう半分は怖いもの見たさでしょう。サラの目にもそれは明らかです。

 澄まして人を乗せる時には凛々しい馬も、人参をかじる時には歯がむき出しですし、弾力に富んだ厚い舌なんてやたら力強く手をべろんべろん舐めてきます。機嫌がいいと鼻を鳴らして嘶きながら歯茎まで見せて笑うこともありました。頑張って走れば唇もめくれて、涎も垂れますし……。

 フローディオからすれば馬も若干化け物チックです。愛嬌も感じなくはないのですが、真に打ち解けるにはまだまだ時間がかかるでしょう。

 目下の目標は、遭難した時の帰り道にフローディオを運んでくれた陛下の愛馬へ、お礼のおやつをあげること。ですが大きすぎて恐ろしくて、未だに近づくことすら叶いません。

「陛下と厩番以外には懐かない馬ですから、無理はなさらない方が……。」

 馬の方も主である陛下と同じく、威圧的な黒毛に整った強面をしておりました。馬柵越しに様子を伺う限りでは、あちらはフローディオのことを困った客程度にしか思っていないようです。

「んん、わかってはいるんだけど。」

 どうかもう無理だけはしてくださるなと厩番からは平伏の態で念を押されています。それでも困った『姫君』は、つやっつやの黒い尻尾にいつかは触ってみたくてたまらないのです、

 だから飽きずに、びくびくしながらも遠目に世話になった黒馬を眺めているのであります。

「それに、今日はそろそろお時間でございますよ。」

 口惜しい気もいたしますが、それを言われてしまっては仕方がありません。

「もうそんな時間なんだね。わかったよ、サラ。」

 ――ここのところ、赤獅子王が後宮にやってくる頻度が増えました。

 用向きがなくとも気兼ねなく顔を出せるようになったのは、恋路の前進でありましょう。サラとしては歓迎すべき変化でございました。

 基本的にはお茶の時間、来るか来ないかは昼食の頃合いに連絡が入ります。

 今日もそんな感じで報せが届いておりましたから、フローディオとサラが引き返してみれば後宮の中庭には既にお茶の席が準備済みでした。

 賓客を差し置いて席に着くのは憚られたのか、気に入りのベンチへ日向ぼっこがてら座り込んだフローディオ。サラたちと歓談を交わしつつ咲き始めの薔薇の香りを楽しんでいると、間もなく陛下の姿が見えました。

「お待ちしておりました。」

 花開く蕾のようにドレスの裾を広げ、フローディオはいつも通り優雅な会釈を披露します。

「ハッハッハッハ……!! 今日は一段と良い日であるな、妻殿よ!!」

 フローディオは心こそ許し始めているものの、今でも陛下の顔は恐ろしいし高笑いには身が竦みます。こちらも馬と同じく、真に慣れるまではまだまだ時間がかかることでしょう。

「気にせず座るがいい!」

「は、はい。」

 陛下の姿を直視できないままささやかに頬を引きつらせて従うフローディオにはいつも通りにしか感じられなかったかもしれませんが、傍らで様子を伺っていたサラはなんとなく違和感に気がつきました。

(……陛下の声のトーンがいつもより高いし、うるささもおよそ二割増し。)

 きゅぴーん、と、彼女の女の勘が働きます。

 さてはまたなにか、よからぬ……いえ、目新しいことをおっ始めようとしているな、と。

(何より疑わしいのは、あの膨らんだ胸ポケット……。)

 サラが頭の中で算盤を弾きながら観察を続ける目の前で、侍女が紅茶を淹れ、続いてケーキを運び込みました。その間にも俯きがちのフローディオへ、陛下は何やら挙動不審の忙しなさを匂わせつつペラペラせっせと話しかけ続けている様子。

 不意に悪戯な風が吹いて、薔薇の花びらが数枚舞い上がりました。

「あ。」

 一枚の赤い花弁は、ひらひらとフローディオのカップの中へ。

 琥珀の水面に丸い波紋を立てて、ゆらゆらと揺れておりました。

「薔薇でさえ……、そなたの唇を望むのであるな……。」

「……。」

(アーーーーーーッ!!!! これぜっっったいダメなヤツ!!!!!!)

 ちょっとラリラリ恋愛脳が復活してしまっている!!

 サラにだけは明白な緊急事態であります。頭を掻き毟りたくなるのを、すんでのところでなんとか自制。しかしそれでも、今までの数多い苦労をまた水の泡にされてしまうのではあるまいかと、とても気が気ではありません。

 もちろんフローディオにはそのテンションについていけるようなサービス精神も陶酔もなく、ただただ無言でカップを見つめて反応に困っているようでした。

 花弁に関しては普通にティースプーンで取り除き、ソーサーの彩りも兼ねて適当に避けております。が、陛下のラリった脳味噌についてはスプーンで取り除くわけにも参りません。

 ちら。

 戸惑いを浮かべて、フローディオの菫青石の瞳がサラを見上げました。

 サラも難しい表情で答えます。

(今日は何かあっても叩いて許される日ですわよ! フローディオ様!!)

 その容赦のない心の声がそのまま届いたかどうかはわかりませんが、フローディオはかすかに二、三度頷き返してから改めて佇まいを正しました。

 躊躇いながらも意を決した様相で息を吸い、どもりそうに歪んでいた小さな口をそっと開きます。

「陛下……。」

「なんだ!?」

 くわ! と前のめりに詰め寄られると、フローディオはまたも身が竦んでしまいそうです。

 やたら良い笑顔の陛下は、献上品の奴隷を見定めする魔王にも似ていて、なんともおぞましい雰囲気。サラも一歩僅かに後ずさってしまったくらいです。

(フローディオ様! 今日は好きに言ってやって良いのですよ……!!)

 また変にこじれるくらいなら、ぐさっと言い返してもらった方がサラとしても安心でございます。それにラリラリ恋愛脳の陛下についても、そろそろあしらいかたを覚えてもらいたいところ……。

 正当防衛を認める旨を必死のアイコンタクトで送信されたばかりだったフローディオでしたが、再度口を開いた彼の反撃法は。

「なにか、ございましたか……?」

「……。」

 極めて正攻法でありました。

 この強面陛下の幼馴染で、人より苦難多く生きてきた麗しの公爵夫人にくらべ、田舎の平和な花の王国で温室栽培されてきたフローディオは、そもそも積極的防衛とか口撃とかには通じておりませんでしたので。

 ついでに言うと陛下からしても、幼馴染の言葉より想い人の言葉の方が重いし無視できません。意気込みは、真正面から受けたふんわり感に拍子抜けです。

「私ももう、何もわからないわけではありませんから……、何かあるならおっしゃっていただいたほうが……。」

「う、うむ……。」

「それともまた私が何かいたしましたか?」

「いやいやいやいや。」

 サラから見れば陛下が急に再びラリった原因なんて明白です。あの胸ポケットにある何かです。大抵の人間ならば『あからさますぎる!!』と指で示して叫びたくなるくらいに察しがつくはずでしょう。

 欲がないというか洞察力がないというか、もしくは経験が少ないせいか、まさか無関心なのか。フローディオは陛下のポケットには一切触れようとせず、気付いた素振りさえも見せず、口許を押さえたままおどおどしてしまいます。

 陛下としては、ちょっとくらい物欲しがってくれたら嬉しいのにな、という欲目も多少ありました。そうであったならば、どれだけ楽であったことか。

 緊張と浮わつきが先に立ってしまってうまいこと本題に辿り着けずいる陛下ですが、それ以前に、中を見せたところで欲しがられるどころか拒否される可能性だってありますしね。

「んんッ! ……そなたに、これを。」

 フローディオのピュアの前では正直にならざるを得ないと諦めた赤獅子王。咳払いひとつ響かせるや、いつになくかしこまった声になって、胸のポケットからあるものを取り出します。

 サラの予想通り、ベルベットの小箱。色は真紅でした。一目しただけでもアクセサリーが入っているに違いないと確信させてくるような、シンプルなデザインです。

 びっくりしているのなんてフローディオだけ。

 察しの悪いポンコツが目を丸くして、おどおどと差し出された小箱を受け取ります。

 細い指でパカンと開かれた小箱の中には、ピジョンブラッドを垂らしたようなうるりとした石がはめられた、金の指輪が入っておりました。

「ルビー、ですか?」

 宝石には人並み以上に詳しいはずの王子にも、なんの石だかわかりません。それも仕方のないことだと、陛下は否を告げてから説明します。

「かつて錬金術師が古の術で作った特別な石である。」

 よく見ると、小指の爪くらいの赤い石は仄かに自ら輝いておりました。

 人工物ではありますが、歴史ある貴重な宝石です。なにしろちょっと前まで、宝物庫に仕舞われていた指輪のてっぺんに輝いていたような逸品でした。

 陛下は最初こそ古の指輪のまま贈ろうかとも考えたのですが、渡す機会を一度失い冷静になってみるとデザインの古さが目に余ったため、先日の採寸の数字を頼りに急ぎでリフォームに出していたのであります。

 これ以上は説明されずとも、不思議で貴重な石であるとフローディオにも理解できました。摘み上げてまじまじと眺めてみれば、なんとも美しい。

「指にはめるのに抵抗があるならば、鎖でも通して首からかけるがいい。護符のようなものであるからな。」

 内側には赤獅子王の名前と王子の名前の刻印が並んでおります。

「今後は肌身離さず身につけておけ。」

 指輪を上から下から眺めていたフローディオがふいに考え込むそぶりを見せるので、陛下は……。

(余はまた何かしくじったのであろうか……!?)

 賢者と駆け引きをする大悪魔が嘘を見破られはしまいかとポーカーフェイスを貫こうとするような、悪どさのある張り付いた笑みでギラギラとフローディオを眺めておりました。

 もちろん、本当はただ単に受け入れてもらえるものかと肝を冷やしているだけなのでございますが。

「……陛下は」

「なんであるかッ!?」

 食いつくのが早すぎるし勢いがありすぎます。

 抑えて抑えて! と、久々にサラがジェスチャーで必死に制止を試みていました。

「……あの雨の日、私の名前をお呼びでしたね。」

「む!? ……あ、ああ……。」

 雨の日、というのが遭難騒ぎの日のことだとは、陛下もすぐに思い当たりました。そういえばあの時は呼んでおりましたね。名前。大声で。

 それが蒸し返される理由については皆目検討がつかず、陛下はちょっと慌てておりました。

「指輪には名前が彫ってあります。」

「うむ。」

「でも普段は、私の名前なんて陛下は口にされませんし。」

「う、うむ……。」

 フローディオの話のこころがいまいち見えない陛下、紅茶を飲みつつ平常心を保つ努力をしておりましたが、続けられた言葉には思わず吹き出してしまいました。

「私の名前が長すぎるのがお嫌で、忘れてしまったとかなのだと思ってました。」

「ブフぅッ!?」

「ひゃッ!!」

 また変な勘違いを起こされていたものです。

 慌てた侍女が拭き始めたテーブルへ放るような素振りで茶器を返す陛下。向かいでは胸に手を当てて深呼吸をしているフローディオ。

 しかしサラからすれば、これはあれです。

 赤獅子王がフローディオについて、素の時の「僕」という言葉を聞いてみたいと願うのと、同じような話なのです。

「やはり名前で呼んでいただくほうが落ち着くのですが……。駄目ですか? 長くて面倒なら、フロル、とでも」

「呼ぶッ!!」

「ひッ!?」

 がっつきすぎの陛下がすごい形相でテーブルを叩いて前のめりに即答するのでサラはため息をこぼしましたが、一瞬びっくりしたフローディオの方は、やがてほっとしたように伏し目がちに笑っておりました。



 調子に乗った陛下から一分に三回は名前を呼ばれ、恥ずかしさに耐えきれなくなったフローディオが泣きだし、寝室へダッシュして籠城を始めるまで、――あとちょっとでございます。


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