恋愛編 9
病みゆるキャラ『ししりん』の頭部だけ被った陛下とフローディオの話し合いから、十日も過ぎた頃でしょうか。
春が盛りを迎える時期、急ぎで世話をされていた後宮の庭園は無事に完成の日を迎えます。それからほどなく、苦労した庭師たちが泣いて喜ぶくらいに見事な花盛りの光景が目を楽しませてくれるようになりました。
庭師の頑張りももちろんあるのですが、実際には花を咲かせているのはフローディオの力だったのかもしれません。
おまけと呼ぶにはもったいない話ですが、彼が陛下に頼み込んで譲ってもらった雪蓮もまた、月下美人に混じって寝室でひっそりと氷細工のような花をつけておりました。
陛下が寝小便と称していたのはすこぶる微妙ですが、とくに寝ている間は意図せず力が垂れ流しのようです。それもまた放っておけば寝室が荒れてしまいますし、月下美人と同様に雪蓮も良い受け皿になってくれたと見えます。
「薬草園の人たちにも見せてあげられたらいいのに。」
それが叶ったなら学者たちはたいそう驚き喜ぶでしょうが、花の子の力が無闇に求められることのないよう、赤獅子王は薬学者たちに箝口令を敷いてしまいました。東からやってきたこの薬草も、表向きにはもう枯れたことにされております。
だからその美しさを愛でてやれるのは、フローディオとサラとその侍女たち、たまに陛下くらいです。
「仕方がありませんわ。それにフローディオ様、そろそろお時間でございますよ。」
「はーい。」
好きにせよ、との赤獅子王の言葉について、いったいどこからどこまでのことなのかをなんとなく理解し始めたこの王子、最近ちょっと積極的になってきたようです。
剣や乗馬を教えてほしいと陛下に申し上げたその翌日から、わずかなひとときではありますが、昼下がりの温かい時間に厩へ連れられていくようになりました。
理由は簡単。乗馬なら乗っているだけで体力がつくからです。
強いて言うなら、多忙な赤獅子王が毎日つきっきりになるわけにもいきませんし、馬の扱いならサラでも教えられますから、フローディオも退屈しなかろうとのご判断もありました。
お姫様抱っこで姫君と馬に乗る、なんてロマンスも陛下はこの機会にぜひとも実現させたかったのですが、強面の主に臆さず懐いてくれるのは強面の馬ばかりでありまして、フローディオは怖がって近寄れませんでした。無念。
これがきっかけになったのか、普段からちょこちょことフローディオの要望が増えました。
好きな本を読む、という発想が今までなかったようなのですが、「馬の本が読みたい」と控えめに言えばサラがすぐ見繕ってきてくれましたし、「どれがなんだかわからない」と馬具の資料を持ってきては、いろいろ話をねだるようになりました。
そんなお口から「ちゃんとした乗馬服が欲しい」という言葉が出てくるようになったのは、昨日のことでございます。
なので本日二人が足を運ぶのは、厩ではなく王宮の客間です。
「それでは、失礼いたしますね。」
フローディオが案内された一室では、サラの手配のとおり恰幅の良い仕立て屋の女将がメジャーを持って待ち構えておりました。
侍女たちに手伝われながら、さっそく採寸が始まります。いうまでもなく、憧れの乗馬服を仕立ててもらうためです。
「姫様はおいくつでいらっしゃいますか?」
「十五になります。」
「左様でございますか。ではまだ背丈もお伸びになられるかもしれませんねぇ。」
鋲打ちされたビロードの分厚い衝立に囲まれて、絹擦れの音を立てながらの朗らかな会話。
サラに紅茶を淹れてもらいながら蚊帳の外で聞き耳を立てているのは、立ち会いを所望した赤獅子陛下でありました。
「陛下……、スリーサイズどころじゃありませんわよ。なんでいらしたんですか?」
「よ、余が余の王宮で何をしようと余の自由である!!」
そりゃあフローディオは表向き『姫君』とはいえ、実際には世にも稀な『子を生める王子』でありますし、同じ男の陛下がスリーサイズを聞いたところで世間的にはまったくセーフです。仕立て屋の者たちにしても、歴代の王様に比べたらずっと思慮深い陛下の振る舞いには「よほどこの姫君をご寵愛なさっているのだなぁ」くらいにしか思っておりませんでした。
ですがサラとしては、恋人前提のお付き合いがやっとこさ始まりかけたかなといったこの微妙な時期に、いずれ子を産ませるつもりの相手の採寸を盗み聞きしている陛下のデリカシーのなさについて、疑念を抱かざるを得ません。
「サラよ……、余はだな……、」
「え? はい。」
指で呼び寄せられて、しぶしぶサラは身を屈めました。本当は怖い顔にはあんまり近付きたくないのですが、普段から地獄にまで響きそうな声で高笑いしているような陛下が敢えて小声になるのでは、付き合ってさしあげるしかございませんから。
「余はだな、その……、将来の妻殿の、指輪のサイズが知りたい。」
「……んんんっ?」
おかしな話です。
フローディオがこの国にやってきて三日が経った時、陛下はたしかに言っていました。
『もう指輪もドレスも式場も用意したし結納の品まで発送準備済みであるぞ!?』とかなんとか。
「準備済みだったのではなかったのですか?」
「昔のことなど知らぬ。」
「それは駄目でしょう!? そんなでよく突撃できましたね!?」
「言うな。わかっておる。」
オラオラ恋愛脳も、今となっては陛下にとって黒歴史みたいです。
笑うべきか呆れるべきかもう少しシメておくべきか、一瞬悩んだサラでありましたが、最終的には時間が無駄なだけと判断しました。どうせ陛下の黒歴史なんて現在進行形で更新中ですしね。衝立の隅から採寸現場へ入り込み、仕立て屋へ耳打ちで追加の依頼を伝えます。
「え? ……ええ、かしこまりました!」
女将の明るい声が聞こえてきたので、指まで採寸してくれるみたいです。「手袋もご入用でしょう?」と、それとない言葉と共にメジャーをしゅるしゅるいわせています。
一人胸を撫で下ろす陛下の姿がありましたが、ほっとしたというよりは悪巧みしている悪鬼にしか見えませんでした。してやったり。
しかしそれも一瞬のこと。
「姫様、こちらもお脱ぎいただいてもよろしいでしょうか?」
「へっ!? えっ!? やっ!! 僕ちょっとそれは困るんですけどッ!?」
(待て待て待て待て何を脱がせる気だッ!?)
まだ一度二度くらいしか触れたことのない愛しのフローディオに対し、女将が何か無理強いしています。
「いやいやいや僕はちょっとですね!?」
「しかし綺麗なラインを作るためには」
「女将よッ!!!! 余計な真似をすれば承知せぬぞッ!?!?」
「ヒャッ!?」
「ヒィッ!? かかかかしこまりましたッ!!」
こういう時の抑止力も兼ねての立ち会いでしたが、雷鳴のような陛下の怒声にはフローディオも跳ね上がっておりました。なかなかうまくはいかないものです。
「それでは姫様、完成を楽しみにお待ちくださいませ。」
「よろしくお願いします。」
いくらか打ち合わせを交わしてから、仕立て屋集団は無事に帰っていきました。
「楽しみだなぁ。」
「ええ、楽しみでございますね。」
るんたっるんたっと小躍りするように上機嫌で廊下を歩んでいくフローディオと、それににこにこと答えるサラでございましたが。
「サラよ。」
「はい、陛下?」
マントの裾を揺らしながら珍しく最後尾を歩いていた赤獅子王に呼び止められ、彼女は振り返ります。果たしてそのご用件はといいますと。
「妻殿は普段、自分のことを『僕』と呼ぶのか。」
「ええ、そうでございますが……。それがなにか?」
二人の間にはふと、乾いた沈黙が流れました。
「……『姫君』よ!!」
だいぶ遠くまで行ってしまっていたフローディオは、陛下の大声に「ぴゃっ!!」と跳ね上がってから、ドレスの裾を持ち上げると小走りに戻って参ります。
「は、はい、陛下。私に何か?」
陛下の顔が恐ろしいのは相変わらずのフローディオ。
上目遣いと、俯くのと、目を泳がせるのと、せわしなく繰り返しながらもじもじしてのご返答です。
(ははあ……。)
赤獅子王が何を気にしているのか、サラにも理解できました。
「いや。乗馬服は何色にしたのかと思っただけだ。」
「緑にいたしました。だって狩りもいつか連れて行ってくださるのでしょう?」
伏し目がちに斜め下へとやや俯き加減。睫毛の長さが一等よくわかる角度で、ぎこちなさを少し和らげてはにかむように笑うフローディオ。
「森に入れば緑なら目立たなくなりますし、良いのではないかと、思ったので……。」
(――必ず娶るッ!!)
拳を握った陛下の心の声がどんな内容かまではサラにさえ細密にはわかりませんでしたが、とりあえず聞こえなくてよかったとだけ判断がつきました。
「余も楽しみにしておるぞ!! ハッハッハッハ……!!」
大音声の高笑いにピシャリと固まってしまうフローディオでしたが、その隣を悠々と闊歩して先へ行く陛下が楽しそうだったので、しばらくすると「まあいっか。」とにこやかにまた歩き出すのでした。




