恋愛編 7
籠城二日目ともなれば、フローディオもようやく寝室の鍵を開けました。
飢えと脱水なんかで倒れられても困りますから、用意周到なサラは敢えて無人の居間に軽食と水を残しておりました。フローディオは警戒しながらも、食べ物と飲み物を寝室に運び込んで、空いた皿を返してを繰り返します。
顔も合わせず会話もせず、もう一晩が明けて、三日目。
そろそろよかろうと思い立ったサラは、全ての手配を万全に済ませた夕刻、ついに再び寝室の扉をノックしました。
「フローディオ様? フローディオ様?」
コンコンコン。コンコンコン。
飽きずに布団を被っていたフローディオも、きたか、という思いであります。
赤獅子王を二度も引っ叩いておいて何事もなく話が終わるとは考えておりませんでしたし、今となっては怒りより処されるのではと怯えている部分の方が大きいです。
コンコンコン。コンコンコン。
「お客様が見えておりますので、出てきていただきたいのですが……。」
(お客さん?)
ということは、もしかするとここから自分をつまみ出すための手続きとか確認とかなのかもしれません。
そう考えてみると、二日目三日目とほぼ放置されていたのとも辻褄が合うような。
もう恐ろしい赤獅子陛下なんてこりごりです。
今ならば、出て行けるもんなら進んでそうしたいフローディオ。最悪なんとかして自力で国に帰ればいいのだし、とやはり思慮足らずなことすら考えておりました。
恐る恐る息を殺してそろりそろり、彼は居間に続く扉へと向かいます。
「フローディオ様?」
少なくとも、サラは怒ってなさそうです。
「……わ、わかった。」
そういえば気の利くサラが居間に置いてくれていた寝間着の薄絹のネグリジェしか着ておりませんでしたが……、どうせ出て行く身だと早合点しているフローディオ、恐る恐る扉を細く開いて居間の様子を伺い……
――バタン。
「いやいやいやフローディオ様出てきていただきませんとっ!?」
「ヤダヤダヤダっ! だってそれどう見ても陛下だよねッ!?」
鍵を閉められるより前に間髪入れずドアノブを掴んだサラは扉をこじ開けようと試みます。
「いやですわフローディオ様っ! 陛下なんていませんよ!?」
もちろんノブの引っ張り合いに持ち込まれますが、プルプル震えて抵抗するフローディオに対し、サラは向こう側から無茶苦茶な主張。
こうなるのがなんとなくわかっていただけに、無を貫く心構えで応接用のソファに腰掛けていた陛下、ひそりと寒々しく引き攣った笑いを浮かべます。
着ぐるみの被り物を頭にだけ装着させられた奇怪な姿でありました。体格がよろしいせいでスーツの方は入らなかったのです。
「よく見てくださいフローディオ様ッ!! あれは陛下ではありません!! 『ししりん』ですッ!!』
「僕そんなの知らない、知らないよォォオっ!?」
ちなみにししりんとは、帝国の侵略を退けた獅子の大国が新たな侵略国家となるのではと周辺諸国に恐れられた時期、悪いイメージを払拭するべく王宮で考案された広告塔用のゆるキャラです。
きな臭い話に疲れ切っていた大臣たちがいたって真面目に頭を突き合わせてアイディアを出し合ったのですが、完徹三日目みたいなおかしなテンションで戦後ハイになりながら酒気を交えて練られた案だけあって大失敗した履歴を持つ、国の黒歴史の塊みたいなヤツです。
獅子の大国なんだから獅子モチーフなのはいいのでしょうが、どこか疲れた感のある垂れ目が病んでおり、絶妙にバランスが狂った口は笑っているというより何かの中毒患者みたいな雰囲気を醸し出しております。
全体的に幸薄な空気で気味が悪い。
ところがこのキャラ、我に返った陛下が『最高にヤバイ』と判断して封印してなお、たまに熱狂的信者が現れるという謎の魅力を持っております。
「そんなこと言わずにご覧になってみてくださいっ!! 可愛いから! 絶対フローディオ様も好きになりますからッ!?」
その筆頭が、――サラでありました。
「ごめんなさいごめんなさいッ! サラを疲れさせてごめんなさいッ!!」
「私は元気ですよっ!? いいから出てきてくださいましーっ!!」
まさか彼女が本気でそんなこと言っているとは思ってもみないフローディオは「無理無理無理無理ィッ!!」と半狂乱になる始末。
「……さ、サラよ。……そのくらいにせよ。」
「お断りいたします!!」
「どう見ても怖がっておるぞ……。」
「ししりんの可愛さが伝わるまで諦めませんッ!!」
主題は、大きくずれ始めておりました。
「そもそも陛下に常識人みたいな口の利き方されたくございませんんんんッ!!」
力比べの最中に放たれたなんとも酷い言い種に、フローディオはグフッとくぐもった音を立てて噴き出してしまいます。
引っ張り合いになっていた二人の腕力勝負、決着の瞬間です。
「フローディオ様ァッ!!」
「ひいいいぃッ!!」
バァン!!
大きな音を響かせて扉を叩き開けたサラは乙女みたいにキラキラした若々しいお顔でございましたが、腰を抜かしたフローディオは哀れなばかり。
「さあさ、こちらへ!」
「いやぁあああッ!?」
これでは何をしに来たのか、さっぱりわからない感じです。
「ほーら、よくよくご覧になってくださいね。まつげが長くて可愛いでしょう?」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……、俯いたまま呪詛のように謝り続けるフローディオですが、お灸を据えるにはもう十分でしょう。
サラも実際、おつかれなのです。精神のバランスを崩すのも致し方ないことなのやもしれませんが……。
少なくとも赤獅子王は、こんな光景が見たくてわざわざ足を運んだつもりは毛頭ありません。
「――サラよ。」
冷たい声で呼ばれればサラとてスッと背中が冷えました。おまけにフローディオまで縮こまるので、部屋は水を打ったように冷ややかに静まり返ります。
「……し、失礼いたしました。」
箍が外れていたとしか見えなかった彼女ですが、特別親しい仲だとしても陛下を本気で怒らせるような愚は犯せません。
「茶の用意を。」
「ただちに。」
いそいそと己の領分へ立ち戻っていく彼女を見送り、フローディオはスンッと鼻を鳴らしておりました。
助けられたのが悔しいような、もしくはここから先の方がよほど酷い目を見るか。
怪しい装いをしたまま姿勢良くどっしり腰掛けた陛下は、呪いの被り物のせいも相まって負のオーラたっぷりです。
しかしフローディオ自身にも理屈はよくわかりませんが、表情すら読み取れないのに、酷い目に遭わされるという感じはしませんでした。沈黙の間に、恐る恐るながらも不思議そうに首を傾げてしまいます。
「……ししりん、取るか?」
「いえ、そのままでッ!!」
上目に様子を窺っていたフローディオは、声をかけられた瞬間にぶるぶると顔を左右に振り回しました。
ししりんより実の顔の方がヤバイと言われているようで、陛下としてはちょっと憂鬱案件です。
とはいえ、なんとか向かい合って座ることが叶いました。
「妻殿よ。余の話を、聞くがいい。」




