恋愛編 6
「余は辞世の句を書く。」
「陛下、何がございましたか!?」
「そのお顔はいかがなされましたか!?」
今度こそフローディオに嫌われたと絶望して戻ってきた赤獅子王。
今までにない真っ暗な様相は聖徒に討たれる直前の魔王そのもので、まこと恐ろしいまま時が止まってしまったようにございます。
そんなこんなで城は騒めき立っておりましたが、後宮も後宮でめんどくさいことになっておりました。
「フローディオ様! ここを開けてくださいませっ! フローディオ様ーっ!!」
手を痛めてしまうのではと侍女たちに心配されながら、サラがどんどこ叩いていたのは客間の寝室の扉です。
ヒールの折れた泥んこの靴が居間に放ってあった上、ここだけ鍵がかかっている。なればここにフローディオがいるのは間違いないのですが……。
サラの目星どおり、薄暗い寝室のベッドにて、ドレスを脱ぎ捨てたフローディオは布団をかぶり籠城を決め込んでおりました。
(叩いちゃったけど、叩いちゃったけど……、あれは陛下が悪い!!)
だって陛下は、「好きにして良い」と言っていました。
そういえば剣も馬も子供の頃なら憧れていましたし、兄王子がめきめき上達していくのを遠目に眺めて羨ましいと思っていた日々もありました。
遠くへ出かけてもいいし、狩りに参加することまで勧められて、後から考えてみれば確かにどれも嬉しいことのはずでした。
なのに「好きにして良い」という言葉を直後に反故にするとは、なんて人でなしなんでしょう!
(怖かったけど、でも、でも……、今回は絶対謝らない……ッ! 恐ろしい陛下なんて大嫌い……!!)
お察しな事実なのですが、さんざ甘やかされて育った花の子の王子は叱られるということに慣れておりません。例外があるとすれば姉くらいです。怖い顔をした絶対者から頭ごなしに叱られた経験が皆無なのは確かでした。
誰だって直情的になればまわりが見えなくなるものでしょうが、ポンコツで頑固なフローディオの態度は完全に拗ねた子供と一緒。十五にもなっていながらです。
これには温厚なサラもほとほと呆れたし、参ってしまいました。
(せっかくちょっとうまくいきそうでしたのに……。ああー。)
このまま、打ちひしがれてしまいそうです。
拗ねた子供が相手なら、強引に連れ出して話をするのも、逆に放置するのもありでしょうが、生憎と相手は扱いにくいツキモノ持ちの王子です。
放っておけばまた城が大惨事になるかもしれません。かといって強引な真似をしてもどうなることか……。
サラだって我が身は可愛いのです。
様子を見るより他に、ありませんでした。
――案の定、夜にもなればまた後宮には異変が起き始めます。
再び庭の草花が枯れていくのかと思いきや、今度は逆に生えてきました。
一晩のうちにもっさり、後宮の壁はイラクサに覆われてガサガサの緑色。周囲にはリコリスが咲き乱れます。
植物に造詣が深くないサラでも、なんだか縁起が悪い感じだとはすぐ察しがつきました。庭師たちも大わらわです。
はたから見れば、どう考えても呪われているのは王宮本殿ではなくここ後宮。場所が場所だけに怪しさ満点で、ただでさえ人手が足りていないのに何人かの庭師が恐怖に負けて退職願を出す騒ぎとなりました。
「枯れたり生えたり、もう王宮中がしっちゃかめっちゃかですわ……。」
「うむ……。」
待つしかない一番めんどくさい立場に立たされてるサラが定例の報告のため執務室へ赴けば、引き籠もりたくとも引き籠もれない赤獅子王は仕事に逃げている真っ最中でした。
「……予想は……つくがな。」
言葉の節の区切り区切りに印を捺したり署名をしたりしながら、執務マシーンと化している陛下は語ります。
「大方……前回のアレは……、……、自己否定のせい、……なのだろうな……。」
「自己否定、ですか?」
「うむ……。――大臣よッ!!」
補佐の役目もろくに果たさず見猿聞か猿言わ猿になっていた大臣が隅で跳ね上がります。
「……誤字だ……。」
「は、ハハッ! 直ちに!!」
ぺらんと渡された書類に飛びついて、大臣は恰幅のいい腹を揺らしながら走り出していきました。残されたのは陛下とサラの二人のみ。
天下の赤獅子ともあろうお人も今やすっかりやつれてきっており、その酷いご尊顔はサラでも直視に悩むくらいの有様です。普段よりアンデット系の気配が濃いせいで、顔の恐ろしさにより拍車がかかってございます。
視線を逸らしたサラは、いつもならないはずの間食用サンドイッチがワゴンに乗せっぱなしになっていることに気付きました。つまり陛下は食事も喉を通らない状態なのでしょうか。即身仏だって今の陛下に比べればもっと良いお顔で旅立つものを、たった一晩でコレとは恐れ入ります。
「フローディオ様の自己否定で草花が枯れるというなら、今度はなんだって不吉なものばかり生えてきたというのですか。」
少しは休む気になったのか、厳めしい表情のまま、陛下は椅子に深く腰掛け直してため息をこぼします。
「妻殿は制御を知らないわけであろう。きっかけがなんであれ、感情が高ぶれば本人の意図とは関係なく周囲は影響を受ける。幼子の寝小便と同じだ。」
「それ、絶対フローディオ様に言わないでくださいね。」
講釈を聞いて顔をしかめたサラは一応サンドイッチの盛り合わせを差し出しましたが、首を振って断られてしまいました。
「ツキモノつきは、血脈の祖である神獣や聖霊の力を持つのであるから、余も妻殿も一部人間ではないようなものだ。」
常人にはよくわからない話です。ましてサラからすれば、陛下は生まれた時から知っている弟みたいなものです。今更人間でないと言われましても、って感じです。
そもそも理屈の部分は聞いてもわからないと早いうちに諦めてしまったのか、サラは黙って紅茶を淹れ初めておりました。陛下は講釈が真面目に聞かれていないことにも気付かず、たまに顔をごしごししながら続けます。
「その人ならざる部分に呼応した精霊が勝手に仕事する。……今回の場合はイラクサとリコリスの精霊であるな。ちなみに、種や根があれば、呼び出す前から精霊の宿る媒体がそこにあることになるからな、……些事に反応してすぐ咲いてしまう。だが……余が知る限りあのあたりではイラクサもリコリスも見たことがない。呼び出されて生えてきたと考えるべきであろうな。ああー……、つまり……、現状を見るに今回の妻殿は……、」
長い長い語りがようやっと終わるかと思われたタイミング、半眼のサラの手で湯気が濛々と立ち上るカップを差し出された陛下は、それを一気飲みしてから焼けた喉で、覚悟を決めたように続けます。
「……怒髪天だ。」
この世の終わりみたいな顔をアンデット属性の魔王がしてるんじゃ、ホントに世界が終わってしまいそうです。
「……陛下。お尋ねしたいのですが……、」
サラが久しぶりに苦い声を上げれば、陛下は「なんだ。」と覇気のない声で先を促しました。
「私、非常に疑問に思っていることがございまして。」
「だからなんだ。」
ここで彼女の抱いている疑問とは、至極簡単。
「どうしてフローディオ様には何もお伝えにならないのですか……?」
むしろ、「直接話せよ」と。
「私に言ったって何にもならないだろ」と。
「愚痴聞かされるためにここにいるんじゃないんだけど」と。
「……。」
「何故なのでしょう……?」
赤獅子陛下相手ともなれば、どの国の君主でもどの土地の金持ちでも前線の英雄でも頭を垂れてかしこまってお伺いの態になることでしょう。ですが現実、彼がこうして普通にまともに会話できる相手は、城ではサラのみでございます。
幼馴染ですし、二百三十七回、いえ記録更新して二百三十八回もブロークンハートしたところを見られておりますし、気兼ねないといいますか、なんでも話せる気の置けない仲なわけであります。
しかしサラは陛下の伴侶にはなれませんし、なりたくないです。
「腹を割って話す相手、間違っておられません?」
「……。」
将来的にはこういう会話はフローディオとしてもらわないと、サラも困ります。
彼女もあくまで『大国妃候補のフローディオ』の世話係なのですし。
「……サラよ。」
「はい。」
「そなた、忘れたのか。」
「何をでしょう?」
赤獅子陛下、ちょっと脂汗をかきながら、項垂れて震える声で答えました。
「妻殿が国に出した、手紙……。」
「はあ。」
サラも思い出しました。ちょっとした字引みたいな分厚さをしておりました。
「アレを一日で書き上げるくらい家族を信頼している妻殿に、余の言葉が通ずると僅かでも思うたかッ!?」
くわっと瞳を見開くなりガタガタ椅子を鳴らして立ち上がる陛下。机越しに詰め寄られサラも思わず「ヒッ」と息を呑み後ずさります。
彼女はやっと理解しました。
陛下はフローディオに遠慮しているのです。
すさまじく。
「余としても花の王国の方針には疑問しか持たぬがっ、愛する祖国を疑われたとなればまた嫌われるであろうッ!? 余がッ!!」
「怖いからそれ以上近付かないでくださいませっ!?」
フローディオの好感度メーターで比較すれば陛下なんて自国の一割にも届かないでしょう。なにせあっちは生まれ故郷です。
とはいえ結婚経験者のサラからすれば、腹を割って話せぬ夫婦など夫婦に非ず。
「第一ッ! それって遠慮じゃなくて逃げじゃございませんかっ!?」
「うぐゥッ……!!」
銀の杭で胸を貫かれたみたいに胸を押さえて硬直する赤獅子王。
やはりこの大国の頂に立つのはサラなのかもしれません。
「……うう。」
どっすん。力なく椅子に腰掛け、陛下は顔を覆っておりました。血の獅子王なんて呼ばれていたのは誰のことだったのやら。
「フローディオ様はどうして陛下に叱られたのかもわかっておりませんのよ? きちんとお話にならなければ……。」
「ぬう……。」
修復を計ろうとして失敗しては、今度こそ夜逃げでもされてしまわないでしょうか。フローディオは一度思い切ると、何をしでかすかわかりませんから。
「大丈夫ですよ、陛下。」
ところがサラには、ひとつ妙案がございます。
「私に任せてくだされば、お話の機会くらい作れますとも。」
やけににこやかに微笑んで胸を張る幼馴染を前にして、失意の赤獅子陛下はなんとなく、嫌な予感を覚えておりました。




