恋愛編 5
陛下とフローディオがお茶の席を囲んでおりますと、気がつけばテーブルのあたり一面にはまたももこもこと花の大軍が迫っておりました。
「うひっ……!? なんでこんなにラベンダーがッ!?」
込み入った話を始めたあたりで気を利かせて退出していた薬学者が、様子見に戻ってくるなりびっくりしてます。
(ラベンダーの花言葉は確か……、期待?)
そろそろ異常現象にも慣れてきた赤獅子王がそんなことを思い出している向かいで、原因になっているフローディオはぽつり。
「これ、ラベンダーだったんだ……。」
「そなたラベンダーも知らぬのか!?」
というより、花の子が花の名前を知らないというのが謎といいますか。
「……オイルとか、お香とかの花です。」
知ってるもん、とでも言わんばかりに唇を尖らせてツンとして、フローディオは花の穂を摘んでみます。
匂いを嗅いでみますが、眉を寄せているのでこれもまた頭の中でうまく繋がらない様子。蒸留後のオイルと実物とでは香りの濃度もだいぶ違いますから。
「勝手に生えてくるのであまり気にしてなかったといいますか……。」
ありがたみが薄くなる気持ち、陛下にはわからなくもありませんが。きっと、花の子にとって花草は手足や空気みたいなものなのでしょう。赤獅子王にとっては炎がそうです。あって当然。
だとしても、花の国にいながらラベンダーも知らないというのが異な事であるのに変わりはなく、陛下からすれば、ますますのことフローディオがどんな風に育てられてきたのかが不思議でたまりません。
「これは……、どうやってオイルにするんですか?」
「はい、姫様。蒸留機を用いて精油を抽出するのです。」
「上流? 聖油?」
薬学者の説明も初心者にはちょっと不親切な気がいたしますが、それにしたってかけらも伝わっていません。
ただ「好きにして良い」と言われたばかりなせいか、フローディオはいつもより口数多く薬学者を質問責めにしておりました。
「最近の植物の異常には我々もほとほと参っておりますよ。」
「異常?」
その話題さえ出なければ、陛下もそっと見守るに徹することもできたのですが。
「不穏な話を姫君の耳に入れるでない!!」
「「ひっ!?」」
慣れているサラはこけおどしに動じることはありませんが、あとの二人にはしっかり効いたみたいでした。
「申し訳ございませんッ!!」
「余の妻殿の前では以後慎め。……『姫君』よ、興味があるならば、蒸留機を見てくるがいい。」
「!!」
硬直していたフローディオでしたが、それはそれで興味をそそられたらしく、道もわからないのに「行ってきます!」と駆け出して行きました。
「姫様お待ちください!! 逆でございますーッ!!」
慌ててそれを追いかけていく薬学者を見送ってから、静かになった温室にはサラと陛下が二人きりです。
「ふう……、サラよ。」
「はい。」
空のカップを差し出されて、サラもちょっと疲れた気持ちになりながらポットに残っていたハーブティーをお注ぎします。
「妻殿に一番必要なものとはなんであるか。余にすらわからんぞ。」
物知らずもここまでくると重症でしょう。
濃いめの明るい緑に染まったハーブティーの底、花びらの一枚が踊るように揺蕩いました。それを細目で眺めながら呟くと、赤獅子陛下はやけっぱちに飲み下します。
「時間と経験でしょうか……。」
「妻殿は何を望んでおる。」
「思うにやりたいことを想像する材料がそもそも欠けて見えるのですが。」
逆に経験のあるものについては、フローディオはそこそこ聡明に見えました。
自国の風習には明るいようでしたし、生活のそこここで行き届いた躾や教育の気配が伺えます。手紙の宛名に記された字も綺麗でしたし、仕草ひとつとっても非常に洗練されています。
ただただ単純に、どこまでも自発性がない。
「生活ぶりを見ていると、どちらかというと木石に混じって修行する僧侶です。静かすぎるくらいですわ。反面、気持ちが乱れると何をするかわかりませんが。」
「『穏やかに過ごせ』か……。やはり何か意図があってあのように育てられたのだろうが、もったいないではないか。」
赤獅子陛下としては、もっとこう、あれが欲しいとか、どこに行きたいとか、なにを見たいとか、あれこれ我儘を言われてみたかったのですが。
「しかしですねぇ、『剣や乗馬を嗜む妻が欲しいのですか』とは……。」
信じられないけれども求められれば努力しましょう、とでも言わんばかりのあの反応。様子を窺う限りではフローディオもまんざらではないようでしたが、自分が嬉しいか嬉しくないかについては、そもそもあんまりわかっていないみたいです。
「余は従順など一切求めておらぬ! 妥協せぬからなッ!!」
「それを聞いて安心いたしました。」
あの様子ではフローディオは、自分で自分を陛下の所有物と言い出した時のように、教えられた歌を唄って、与えられた楽器を弾いて、座れと言われたら日がな一日そこに座って長閑に過ごしそうでしたので、鬼気迫る凶相で無茶振りを口にした陛下の剣幕にサラは胸をなでおろすのでありました。
それにしてもあの王子は、一向に戻ってくる気配がありません。
さっそく何か興味を引かれるものを見つけたのなら、それもひとつの機会でしょう。止めるつもりはありません。それに恐ろしの赤獅子陛下のおわす近くでいかがわしいことが起きるとも思えません。
とはいえあの王子のポンコツ具合を理解したばかりだった陛下からすれば、自由にさせすぎるのも若干心配であります。
様子を見に行くべく立ち上がる陛下と、黙ってそれに従うサラ。
二人が少し歩いた先で見つけたのは、異様な熱気に囲まれてはにかむフローディオの姿でございました。
「これもっ! これもお願いいたします、姫様ッ!!」
「これだけはどうか!!」
フローディオへ差し出された鉢には萎れかけて縮みきった草が植わっておりました。
陛下には見覚えがあります。
東の国から姫君と共に贈られてきた、果ての霊山に自生する幻の薬草。その土地の王家に代々伝わってきたという、選ばれし高貴な者にのみ許された花。
「これだけは枯れてしまったでは済まされないのですっ……!!」
熱気に押され気味のフローディオは、気の毒に思っているのが丸わかりの表情でした。おろおろとツルツルした青磁の鉢を受け取ってしまいます。
「陛下、あの姫君は何者でございますか!?」
「枯れかけていた薬草を癒して株まで増やしましたぞ!!」
「これで何人の命が救われることか……!」
陛下の登場に気付いて、何人もの薬学者たちが大慌てで群がってきました。それもそのはず。
ここにしかない貴重な薬草がいくつも駄目になりかけていたのはほんの数日前のことなのです。
薬草がなければいかに薬学者といえども苦しむ人々を救うことなどできません。元の栽培規模を取り戻すまでにも、たくさんの時間が必要になるところだったのです。
はたしてどれだけの月日を無力感に苛まれたことか。
鉛の雲のようだったそんな憂いが、たった一人の姫君の力により晴らされたのですから、フローディオの奇跡を前にして、薬学者たちが狂喜乱舞したのは当然のことだったでしょう。
取り巻きに高貴な顔ぶれが増えているとも気付かず、フローディオは受け取った鉢の重みに驚いています。
なんとなくではありますが、大事にされてきた物だと直感でわかったのかもしれません。
(役に立たないと思ってた力でも、使い道ってあるものなんだな。)
花の子であることをありがたられることはあっても、見目を褒め称されることはあっても、この力が求められたことなんて今まで一度たりともありませんでした。
だからフローディオは、求められることに対して悪い気持ちにはなれません。いっそ初めて認められたような気すらしていました。
奇跡の業を待ち望む好奇の目に囲まれた中、菫青石の瞳に白い目蓋が伏せていきます。
使うなと言われていた力でも、生まれた時から備わっているものでありましたから、フローディオはできるとわかっていることをただ願うだけでその通りに為すことができるのです。
しかし物知らずな王子が知っているのは力の使い方の話だけで、その源が何であるかまでは知りませんでした。
(――咲いて見せておくれ。)
語りかけた心の声が届いたとわかるより、ほんの一瞬先のこと。
青磁の鉢を抱いていた腕が軽くなった刹那、――ガシャァン!!
「ッ!?」
地面の揺れに合わせて酷い音が響き、驚いたフローディオが喉を鳴らして息を飲みます。
何が起きたかもわからないうちに手痛く腕を掴み上げられ、怯えの表情で目を見開けば、目と鼻の先の距離で真っ黒な影を宿した顔が迫り、金色の双眸が輝いているのでありました。
「そなたは自分が何をしているかわかっておるのかっ……!?」
「ひッ!!」
赤獅子王からすれば、ただただ心から、娶るつもりでいる想い人につまらないことで命を削いでほしくないだけでありました。
全容の知れない力をか弱い身体で無闇やたらに使っては、いつ何が起きるかわからないからと、当然のことをしたまでです。
一方で即座に青褪め頭の芯まで真っ白になってしまったフローディオには、無論そんなことはわかりません。
ひたすら、怖いだけでした。
「いやアアアァァァァッ!!」
パァン!!
火事場の馬鹿力というやつでしょうか。
二度目の平手打ちは容赦がなく、吹っ飛んだのはなんと赤獅子王の方でございました。
見守る誰もが予期し得なかったその光景に空気が凍りつきましたが、やらかしたフローディオだけは火のついた速さで走り出してしまうのです。
「うわああああぁぁんっ!!」
「フ、フローディオ様ァッ!?」
我に返ったサラが叫んだ時には遅すぎました。
まさか後宮までのあの距離を、ヒールのまま走って帰るつもりなのでしょうか……。




