云々
――翌日……実質的な学院の初日は、緊張と不安で一杯だったけれど……呆気ないくらいあっさりと過ぎた。昨日は貧血で倒れた(ということになっている)からか周囲には「病弱キャラ」に見られたようで多少心配の声を掛けられもしたものの、男と疑われるようなこともなく、ごく自然に。普通に女子としか思われなかったのは幸いでもあり悲しくもあり……複雑。
(……肝心なのはこれからだけど……)
放課後、お姉さまに連れられてキャンパスの奥へ。そこには多少古びた様子のお堂のような建物があった。
「第二武道場。今日からここで稽古を行うわ」
「ここは?」と僕が尋ねるより早くお姉さまが答えた。
「以前は使われていたけれど、体育館の改築・大型化に伴って利用する部もなくなったの。他の施設から離れていて移動がめんどくさいのも要因でしょうね」
なるほど、近寄る者がそういないというのは僕等にとって好物件だ。
「最低限は清掃やメンテナンスはされている筈だから床が抜けたりの心配はしなくていいわ」
……中は長いこと使われていないようではあったが、特別ホコリっぽいとまではいかない。奥に神棚が見えたからの印象か、人気が無いのを加味しても静かな、なんとなし厳かな場所に思えた。
「……てと、今日はまず掃除から始めましょう。それじゃ着替えるわよ」
と僕を更衣室へ連れて行くや隣で着替えを……って――
「えーーー!?」
僕の叫びを意にせず、むしろ、不思議そうな表情を浮かべ。
「ここは女学院。男子更衣室があると思う?」
(……そうだった……)
今更だろうがとんでもないことに気が付いた。つまり今後体育の授業のときは……頭が重い。
「そういうわけだから、私程度で動じない」
僕の心を見透かしてだろう、淡々と着替えを進めるお姉さま。……にしても、僕を「妹」としか見ていないせいかお姉さまに躊躇いの素振りが皆無なのは微妙な心境になる。……パンツを脱ぐときくらい恥じらってくれても……え? ――
「……って、パパパ……!! ななっ、なんで裸になってるんですか!?」
「着替えるためだけど?」
大慌ての僕と対照的に、意に介さずといった風のお姉さま。
「だからってその……パン……ツ……まで脱ぐことないじゃないですか」
勿論、視線は逸らしているものの、僕の前にはその……女の人が一糸も纏わない姿でいるわけで……。動揺するなというのが無理な話だ。
「そういう服だから……――」
相変わらず僕のことはお構いなしに――
「……着替え終わったわ」
黒を基調とした……すごくタイトなスポーツウェア? スーツ? に身を包んだお姉さまの姿があった。……シルエットやボディラインが際立ってなんていうか……正直エッチだ。スポーティなんだけど……フェティッシュというか、陰性の何かが漂うよう感じられて、露出度は低いにも関わらず下着姿……ひょっとしたら全裸よりも……いやらしくさえ思えた。
「……見とれてないで早く着替えて」
我に返り急いで着替える僕の後ろで――
「ファールカップが届いたら貴方も同じの着てもらうから」
(えぇっ!?)
「私だって楽しみたいもの」
僕の振り向きに「お見通し」とばかりの微笑みを返してきた。
道場に上がるとまず一礼。僕もそれに続く。
「……私に『道』を説く資格はないけれど、これくらいは……ね」
自嘲気味のお姉さまに適当な返事が見つからなかった。少なくとも、「はい」でも「いいえ」でもないだろう。
――掃除と準備運動を終えて、いよいよ稽古本番。……どういうことするんだろう。格闘技の経験なんてまるでないから想像もつかない。……掌がじわっとする。
「安心して、今日は大して身体動かすことはしないから。あぁ、でも教えるのは大事なことよ」
見透かすようにお姉さま。……なんでこうも心の内を……完璧星人なのは確定として、この人やっぱりエスパーなのかな……。
「……そうね……脚を軽く開いて。手は横。無駄な力は抜く」
「ふぅん」と僕を見回しながら一周し呟く。
「……意外といいわね。背筋が曲がっていないし、体の軸も悪くない。重心がやや高いけれど、未経験者なら仕方ないでしょうし……。……ごめんなさい、なんのことやらよね」
「最初は基本の立ち方から入ろうと思ったわけ。武術と聞くと突きや蹴りを真っ先に想像するでしょうけれど、それらは立ち方・構え方があってこそ。……言ってしまえば、立ち方だって極めれば立派な『技』。それくらい大事なの。…………といっても実感湧きにくい……わね――」
――言うやスッと伸びたお姉さまの腕に胸を軽く押されて僕はグラつく。
「今みたいに……多少強くてもいいから……私にやってみて」
言われたようお姉さまの肩を押し……――
「え!?」
……僕の手が押し返された。お姉さまはただ、肩幅程度に脚を開いているだけに見える。でも、壁に当たったみたいな強い抵抗を確かに感じた。
「まぁ、こんなカンジ。貴方と私、その後の展開を考えれば……どう?」
バランスを崩した僕、軽くでももう一撃加えられたら倒れていたかもしれない。比べて微動だにしなかったお姉さま。追撃を受けるどころか僕に反撃すらできていただろう。……違いは歴然としていた。
「よく……解りました」
驚きとともに受け止める他ない。
「よかった。……でも……――」
グッと何かに全身を押されるような感覚。瞬時に空気が重く、それでいて硬くてなんだか息苦しい
。
「どうして胸でなく肩を押したの?」
口調は静かであっても、彼女から放たれるオーラは間違いなく怒気。何故の答えは当然……――
「私を女扱いするつもり?」
威圧、というよりも僕の存在をそのまま消し飛ばしてしまいそうだ。
「瑞祈、私がどれだけの男性の金的を蹴り上げてきたと思ってるの? 私の足元にのたうつ彼等はSMクラブの客じゃない。全員が今の貴方を秒殺できるファイターよ。私がいたのはそういう世界。貴方と私を子どもと大人くらいの差に思っているなら大間違い。そうね……実際のカマキリと人間サイズのカマキリ。それくらい違うわ」
衝撃だった。
現実のカマキリと人間サイズのカマキリ……荒唐無稽なようで異様な説得力に思えてくる。字義通りでしかない僕の蟷螂の斧に対して、彼女のそれは処刑人の持つ大斧や鬼の金棒の意味になるだろう。
僕の眼前には、人間サイズのカマキリが……いや、実際のカマキリな僕からすれば怪獣のように巨大なカマキリがそびえ立つのを想像し戦慄した。僕とお姉さまの途方もない力の差。
「私は貴方を『金的の付いたか弱い少女』と思えても、貴方は私を女として見る資格なんてないの」
二度目の衝撃。けれど、何も言い返せない。本当にぐうの音も出ない。反省よりも自分を呪いたくなった。
「私と本気で戦いたいのなら、貴方には少しの余裕も許されないの。僅かでも勝機に繋がるのならなんでもしなさい……躊躇わず、私の股間を蹴り上げてでも!!」
三度目の直撃。その一言で、僕の膝がふらついた。心まで崩れていきそうだった。
「……ごめんなさい」
「私こそ。……休憩にしましょう」
お姉さまが姿を消した後、僕はその場に崩れ落ちた。まるで、全身の骨が抜け落ちたかのように。