第5話 2日目の午前中
ヒエイが目を覚ましたのは、ステータス画面の隅に浮かぶ時計マークが、ちょうど7時を示した頃だった。
窓から差し込む朝の光がヒエイの顔を照らし、隣からは静かな寝息が聞こえてくる。
ヒエイは隣のベッドに目をやると、白銀の髪をシーツの上にぐしゃぐしゃに散らしたクリスが、丸まって眠っていた。小さな口が半開きになっていて、これがかつての親友だという事実を、ヒエイは今さらながら飲み込み損ねる。
(可愛い寝顔だな、とは思う。思うが、あれはシンだ)
ヒエイは自身に言い聞かせるように雑念を振り払う。
ヒエイは静かにベッドから足を下ろした。起こさなければ。そう思いながらも、どこか踏み出すのを迷った。あの穏やかな寝顔を、起こすのが少し申し訳なかった。
『……クリス』
ヒエイが声をかけたがクリスからの返事はなく、やれやれとした表情で軽く息を吐き、クリスの肩にそっと手を乗せた。
『クリス、起きろ』
ヒエイは優しく声を掛けながら、肩を軽く揺らした。
「……ぅ」
「……ヒエイ……そばにいて……」
思わず心臓が跳ねかけたその時、寝言は予想外の方向へ転がった。
「……ソシャゲの周回、代わって……」
ヒエイは真顔になった。
『それただの寝言でも図々しいな』
『おい』
「……んぁ」
白銀の髪が、ほんのわずかに揺れた。それだけだった。
ヒエイは眉間に皺を寄せ、もう一度名前を呼んだ。三回目で、ようやくクリスが目を開けた。正確には、開けようとした。片方のまぶたが半分ほど持ち上がっただけで、すぐにまた落ちかけた。
「……あと、五分」
『いや、ダメだって』
「……十分」
『ダメだって言ってるだろ』
「……じゃあ三分」
『交渉する気あるのかお前……』
ヒエイが呆れたように肩を落としながら、クリスの肩を揺さぶること二回。ようやく彼女がぼんやりとした目で体を起こしたのは、それから一時間後のことだった。
一階へ降りると、昨夜の喧騒が嘘のように、食堂はひっそりと静まり返っていた。
厨房からは湯気と焼けたパンの香りが漂っている。窓から差し込む朝の光が、使い込まれた木の床の上に細長い影を落としていた。客は一人もいない。この世界の人間の朝は早い、とクリスが一般常識スキルを使い、軽くヒエイに話す。
二人が食堂へ足を進めると、カウンターの奥から、白い狐耳をぴょこんと揺らしながらユキが顔を出した。
ユキは昨夜と変わらぬ澄んだ笑顔で挨拶をし、二人は朝食のパンと肉のスープを注文した。スープは昨夜のものより薄味だったが、素直な旨さがあり、クリスは三口目で「美味しい」と呟き、ヒエイはパンをスープに浸しながら黙って頷いた。
食べ終えた後、皿を片付けに来たユキをクリスが申し訳なさそうに呼び止める。
「この街に公衆浴場とか日用雑貨を売っている場所はあるかな? その他にも見たい物があるのだけど……」
ユキは少し考えてから、白い狐耳を揺らして答えた。
「少し時間が経ったら暇になるから、良かったら街の中を案内しようか?」
『お願いします』
ヒエイが間髪入れずに頭を下げた。その反応の速さに、クリスは横でわずかに口角を上げる。
クリスがさらに「魔法やスキルを試せる場所はない?」と聞くと、カウンターの奥でグラスを磨いていたユキの母親が、顔を上げもせずにさらりと言った。
「庭を壊さないなら、使っていいよ」
その一言は短かったが、温かかった。二人は揃って頭を下げ、ユキに案内されて宿の裏手の庭へと向かった。
庭は思っていたより広かった。
青々とした芝が均等に広がり、端の方に低い木が数本植わっている。石造りの塀が四方を囲み、外の喧騒を遮っている。空は晴れていた。この世界に来て二日目の空も、やはり青かった。
ユキが「じゃあ、後でまた来るね」と言って戻っていくと、庭には二人だけになった。
クリスは芝生の上に足を崩して座り、ヒエイを見上げた。
「じゃあ、さっそくヒエイのスキル見せてよ」
『おう』
ヒエイは立ったまま、少し息を整える。
ヒエイはこの世界に来て初めて銃作成のスキルを使うからか、集中と緊張の混じったような面持ちだった。
ヒエイは自身の両手の手の平をじっと見つめ、静かに告げる。
『銃作成』
静かに告げた瞬間、空気が変わった。
ヒエイの両手の間に、微かな光の粒が現れ、その光は徐々に膨らんで行き、少しずつ銃の形へ変化し始めた。形の変化が落ち着くと、金属の質感と重さが生まれ、次の瞬間には、黒光りする拳銃がヒエイの手の中に収まっていた。
クリスはヒエイの持つ銃を真っ直ぐと見つめ、すぐに鑑定をする。
M1911―コルト・ガバメント
ランク☆☆☆
口径 .45
ヒエイのスキルによって作れた。
制作者 ヒエイ
「成功だね」
クリスは音もなく小さく小刻みに拍手をする。
ヒエイが慣れた手つきで手早くマガジンと薬室を確認する動作は、どこか頼もしかった。
『弾、入ってないな……』
ヒエイはそう言うと、左手を受け皿のようにして出す。
『弾薬無限』
ヒエイがそう告げた瞬間、手のひらに拳ほどの大きさの柔らかな光が現れ、光の中には八発の弾丸が浮いていた。
光が落ち着くと弾丸がバラバラとヒエイの手のひらに落ちた。
次の瞬間、ヒエイの視界がぐにゃりと歪み、体に力が入らなくなった。芝生の上に膝から崩れ、そのまま横倒しに倒れて、意識が遠のいた。
薄れゆく意識の中で、クリスが前のめりで立ち上がり、駆け寄って来る姿が見え、そのまま意識を手放した。
「ヒエイっ!」
地面を蹴って駆け寄るクリスはヒエイの隣に膝をつき、肩を揺さぶる。ヒエイは反応せず、目を覚さない。
クリスは急いでヒエイの胸の上に手を乗せる。心臓から脈打つ振動がクリスの手に伝わり、気が抜けたように深い息を吐いた。
クリスは落ち着くように自身にいい聞かせて、ヒエイを鑑定し、事態を理解した。
MPとSPが0だった。マジックスキルは、MPが尽きると代わりにSPを消費する。ヒエイは弾を8発生成した時点で、MPとSPを両方空にしてしまったのだ。
死にはしない。でも、心臓はまだ速く打っていた。
クリスは小さく息を吸って、意識を集中した。
ヒエイが目を覚ますと、そこは木漏れ日が差し込む木の根元だった。
『う…… 何が起きたんだ?』
ヒエイは何が起きたのか、困惑しながら、頭を押さえて体を起こす。
「ヒエイはMPとSPを全て消費して倒れたんだよ」
ヒエイの隣に座るクリスはそう言いながらほっとしたようすで安堵の息を洩らす。
「だから私が光魔法の《マナトランスファード》と《スタミナトランスファード》をヒエイに使ったの」
『クリスはMP切れ、大丈夫か!』
ヒエイは、はっとした様子で体ごと振り向く。
「うん、大丈夫」
クリスは安心させるように、ニコリと笑顔を向ける。
「MP切れの心配は無いよ、《マナトランスファード》と《スタミナトランスファード》の改良をして大気中からマナ元素を集めて回復出来るようにしたから。時間がかかるんだけど、まあ、ゲームのチャージ技みたいなものだね」
クリスはエッヘンと言わんばかりに自身の胸に手を乗せ、どうだとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「そう、そう、ヒエイが倒れている間に魔力操作と魔法の練習をしてたんだけど。頭の中でピッ、て音が鳴って、もしやと思ってステータスを確認したんだけど」
クリスは一拍置き、ヒエイはゴクリと喉を鳴らす。その目が、ほんの少しだけ潤んでいるように見えた。
「なんと……スキルを獲得したんだよ!!」
軽快な音楽がなりそうな雰囲気に、ヒエイは少しウズウズした様子で食い気味になる
『どんなスキル?』
「魔力操作」
『ええやん。ナイス』
ヒエイはそう言いながら親指を立てて、グッドハンドサインをクリスに向ける。
クリスは「ありがとう」と呟いて、口角を上げた。その笑顔があまりにも自然で、あまりにも見慣れない顔でするものだから、ヒエイはあさっての方向へ目を逸らした。芝生の端に植わった木の、葉っぱの枚数を数えるふりをしながら。
「二人共、おまたせ」
ユキが給仕服ではなく私服姿で庭に現れたのは、しばらくして後のことだった。クリスは立ち上がり、笑顔で答えた。
「大丈夫だよ」
「じゃあ、さっそく案内するね。どこ行きたい?」
二人はお互いに顔を見合わせ、ヒエイは任せるよといった表情をクリスに向け、それを察したクリスはユキの方を向く。
「日用品からかな」
「いいよ。質の良い物なら、この街一番の商会だね。それ以外なら露店かな。たまに掘り出し物とかあるよ」
にこやかな顔で答えるユキを前に、クリスの目が、掘り出し物、という四文字のところで、ぱっと輝いた。
「両方行きたい」
クリスは即答だった。ワクワクして前のめりに乗り出すクリスに、ユキがくすっと笑い、三人は連れ立って宿を出た。
大通りに踏み出した瞬間、二人は思わず足を止めた。
昨夜、夕暮れの中を急いで歩いた石畳の道が、今は全く別の顔をしていた。
色とりどりの天幕が左右に立ち並び、その下に所狭しと商品が積み上げられている。焼き菓子の甘い香りが漂ったかと思えば、なめし革の獣臭さがそれを上書きし、香辛料の刺激的な匂いがさらにその上に重なる。馬の蹄が石畳を叩く音、行商人の怒鳴り声のような売り口上、どこかで子供が笑っている声。
中世ヨーロッパを切り取ったような石造りの建物が両側に並び、その真上から昼間の光が差し込んでいた。
「うわ……」
『……すげえな』
二人の声が、珍しく静かに重なった。昨夜の疲れと緊張の中では見えなかったものが、今この場所に全部あった。
ユキが「この辺は露店が多いんだよ」と告げながら先を歩くが、クリスとヒエイはほとんど止まりながらしか進めなかった。目につくものすべてが、見知らぬ形をしている。知っているようで知らない野菜。見たことのない染め物。鑑定をかける間もないほど、目が追いつかない。
やがて、ある一角でクリスの視線が止まった。
使い古された武器が雑然と積み上げられた、小さな露店だった。傷だらけの剣、歪んだ槍の穂先、錆の浮いた短刀。どれも安そうで、どれも使い物にならなそうで、どれもひどく汚れていた。
クリスは立ち止まったまま、鑑定を走らせた。
並んだ武器の情報が次々と流れ込んでくる。どれも大したことはない。ランク1か2。鑑定するまでもないものが大半だ。
その中で、一本だけ埃の積もり方が薄い剣が目に留まった。誰かが最近になって一度、手に取って戻した跡だ。クリスはその違和感に引かれるように、もう一度その一本へ意識を向けた。
白く細長い、ガードのない剣だった。汚れが染み込み、刃こぼれが目立つ。値札の数字が他のものより一桁少ない。売れ残りの、誰も見向きもしなかったのだろう一本だ。
鑑定が、弾けるように情報を返した。
ステータス
聖女の宝剣
ランク☆☆☆☆☆
決して折れる事はなく、使用者とともに成長していく剣
効果 斬れ味回復
聖女スキル威力アップ
光魔法威力アップ
クリスはそれを手に取った。汚れていても、思ったよりブレイドの厚みが薄く、軽かった。
「おじさん、これをください」
クリスが声を掛けると、露店の主人はそっけない態度でこちらを見た。
「いいぞ、3000リスだ」
財布から銀貨三枚を取り出し、手渡す。釣りを受け取って、クリスはヒエイに剣を差し出した。
「これ、すごい掘り出し物」
ヒエイが鑑定をかけた瞬間、その場でヒエイは固まり、目を丸くして瞬きする。
『すご……』
ヒエイは鑑定分析で表示されたウィンドウの数値を凝視し、感心したように声を漏らし、ゆっくりとクリスに視線を戻した。
『確かに掘り出し物だな』
「でしょ」とクリスが笑った。だが、すぐに首をかしげた。
「でも、聖女って剣を使う前衛キャラだっけ…… 絶対に違うよね!」
『だな、聖女が剣を使うなんて、聞いたことねえ~~』
二人は顔を見合わせて笑いながらそんな会話をしていると、後ろに立っていたユキがぽつりと言った。
「確か、大昔に剣を使う聖女がいたよ」
クリスとヒエイはほぼ同時にユキを振り返った。
「いたんだ……」
『まじか』
二人は笑いと驚きが入り混じったような苦笑いを浮かべ、それを見たユキは花が綻ぶように笑った。
「掘り出し物、見つかって良かったね」
「うん」
クリスの口角が上がり、ユキへにこやかな顔を向ける。
「じゃあ次は、商会だね」
ユキの声に背を押されるように、三人は大通りの先へと歩き出した。




