第4話 子狐亭の中にて
「う~~ん」
クリスは宿屋のベッドの上にうつ伏せになり、白銀の髪をシーツに散らしながら、熱心に『光魔法書・下級』のページを睨みつけて唸っていた。小さな足をパタパタと揺らすその仕草は、はたから見ればただの悩める可憐な少女そのものであった。
『唸って、どうしたんだ?』
奥のベッドに腰掛けていたヒエイが、怪訝そうに視線を向けて声をかけた。
「なるほどね。この世界の魔法はプログラムと同じなんだ」
クリスはふっと顔を上げ、パタリと魔法書を閉じる。
『へー、プログラム?』
天井を見上げベッドに横になっていたヒエイは、話に興味を持ち、クリスへ顔を向ける。
「この世界のスキルは魔法を簡単にする物みたい。要するに、スキル無くても頑張れば、魔法が使えると、そう言うことみたい」
『マジ、俺も魔法使えるの?』
銃系のスキルを持つヒエイは、やはりファンタジーの王道である魔法への憧れもあるようで、ベッドから飛び起きると驚きと期待の混じった声で問いかける。
「だけど、相当難しいよ。普通、魔法は詠唱をすることで、スキルが自動で魔法を発動してくれる仕組みになってるの」
クリスはそこからさらに熱を帯びた口調になり、白銀の髪を揺らしながら早口で語り続ける。
「でも、スキル無しで魔法を使うには、体内の魔力コントロールと、魔法を構成する術式の理解が絶対に必要になるんだよね。……まぁ、逆に言えば、その術式さえ頭に思い浮かべることができれば、スキルがなくても魔法は使えるんだけどさ」
サファイアの瞳をキラキラと輝かせ、楽しそうに話すクリスに、ヒエイの頭の中に浮かぶハテナは徐々に増えていく。
「あとは本当にプログラムと同じ要領だよ! 自分でゼロからコードを組むみたいにオリジナル魔法を構築して、それに独自の『魔法名』を割り当てる」
クリスは寝転がりながらヒエイの方を向き、ベッドの上で両手で頬杖をついて身を乗り出す。
そんな可愛らしい仕草を自然とやる中、ヒエイの意識はいつの間にか、話の中身ではなく、楽しそうに喋る親友の顔にばかり向いていた。
「それに、詠唱はスキルを使って魔法を発動させる時に使うものだから、スキル無しで魔法を使う場合は術式を頭に思い浮かべて魔法名を呼ぶだけで発動できるようになるの。つまり詠唱をしなくていい!! これって凄くない!?」
『うん、わからん』
ヒエイは一秒の猶予もなく、綺麗さっぱりと思考を放棄した。だが、何かに引っかかったように、ふと顔を上げる。
『つまり、魔法を使う時、言うのが恥ずかしい詠唱をしなくていいってこと?』
「そういうことだね」
『それだけは分かった』
白銀の美少女の皮を被った親友を前にして、ヒエイは遠い目をする。
そう、シンは日本にいた頃、プログラマーを育成する専門学校に通っていたのだ。
四六時中コードだのバグだの、呪文のような専門用語と格闘していたクリスにとっては、この世界の魔法システムは馴染み深いプログラムと同じ感覚で理解できるものなのだろう。
しかし、生粋のミリタリーオタクでありプログラムに疎いヒエイには、クリスがぶつぶつと言い始めた理屈など、一ミリも理解できるはずがなかった。
その時、二人の間に流れる空気をぶち破るように、部屋の中に妙に気の抜けた音が響き渡った。
『ぐぅぅぅぅぅううう』
音の発生源は、間違いなくヒエイの腹だった。
あまりに盛大に鳴り響いた音に、ヒエイは気まずそうに頭を掻き、クリスは一瞬きょとんとした後、すぐに意地悪そうな笑みを浮かべた。
『そろそろご飯食べいこ』
ヒエイは誤魔化すように眉を寄せ力なく笑う。
「行く、行く」
クリスはベッドの上で弾むように起き上がると、白銀の髪をふわりと揺らし、声を弾ませて床に足をついた。
二人は部屋を出て扉に鍵を掛けると、両側に扉の並ぶ廊下を通り、木製の階段を降りて一階へと向かった。
一階に降りると、食堂の方はそこは昼間の静けさが嘘のような、圧倒的な熱気と活気に満ちあふれていた。
子狐亭の食堂は、すでに仕事を終えたガタイのいい冒険者や、仕事帰りの職人たちで席がいっぱいに埋まっていた。あちこちでジョッキを打ち合わせる音や豪快な笑い声が響き、厨房からは肉の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
「すごい賑やかだね……」
二人は肩を並べ、キョロキョロとあたりを見回しながら空席を探す。運よく、ガヤガヤとした喧騒から少し離れた隅の方に、一つだけ空いているテーブル席を見つけて滑り込んだ。
木製の使い込まれた机の上には、木の板に手書きで簡素なメニューが書かれていた。見慣れない異世界の文字だったが、『言語理解』のスキルのおかげで、まるで日本語のようにスラスラと頭に入ってきた。
メニューに一通り目を通した二人は、空いた食器を両手に抱え、忙しそうに店内をパタパタと駆け回っているユキの姿を捉えた。
「注文いいですか?」
クリスが小さく手を挙げると、ユキは「はーい!」と白い狐耳をぴょこんと揺らして、こちらへと小走りでやってきた。
二人が注文したのは、この宿の名物らしいボアの定食だ。
それからしばらく、周囲の冒険者たちの会話を環境音楽代わりに待っていると、ユキが大きなトレイを器用に操りながら、二人分の定食を運んできた。
「お待たせしました! ボアの定食二名様です!」
二人が定食の代金を渡すと、どん、と小気味よい音を立てて机に並べられた料理を見て、二人は同時に目を輝かせた。
鼻を突き抜ける、食欲をそそる香ばしい肉盛りの匂い。野菜スープからふわりと漂う、優しくも濃厚な出汁と塩の匂い。そして、湯気と共に広がる焼き立てのパンの芳醇な香り、それらが絶妙に混ざり合い、空腹が限界に達していた二人の鼻を激しくくすぐる。
その中央で、ひときわ圧倒的な存在感を放っていたのが、大きな木皿の上に小山のごとく盛られたお肉だった。
一口サイズに丁寧にカットされたお肉からは、肉の焼ける匂いと共に、白い湯気が立ち登っている。お肉の表面は鮮やかな茶色に染まり、所々に食欲をそそる綺麗な焦げ目が付いていた。そこへ、肉汁がたっぷりと絡み合う焦げ茶色の特製ソースが満遍なく掛けられており、ランプの光を反射して艶やかにしたたり落ちている。
メイン料理以外の料理もとてもおいしそうだった。
木で出来た深めの器には、目にも鮮やかな黄色の野菜スープがなみなみと注がれ、小さめの木籠には、素朴ながらも温かそうな茶色い丸パンがいくつか載せられていた。
「美味しそうだね」
『うまそうだな』
二人は示し合わせたかのように揃って呟くと、ごくりと同時に喉を鳴らした。そして、習慣のままに、自然と両手を合わせる。
『「いただきます」』
クリスが最初に口に運んだのはメイン料理のボア肉だ。
野生特有の、ほんの少し野生味のある癖を感じるものの、驚くほど中は柔らかくてジューシーだった。噛み締めるたびに溢れる旨味と、焼肉のタレに近い濃厚なソースがお肉の癖を口の中で打ち消して完璧なハーモニーを奏でる。
「ん、美味しい!」
『美味しいな、なんか、米が欲しくなる味だなこのお肉』
「わかる~~」
ヒエイは籠から茶色い丸パンを一つ掴み取った。パンは触ると少し硬めのしっかりとした質感だったが、これを鮮やかな黄色の野菜スープへと大胆に浸してみる。スープの旨味をたっぷりと吸い込んだパンを口に放り込むと、じゅわっとスープの出汁と絶妙な塩気が加わり、硬めの生地が程よく解けて極上の味わいに変化した。
クリスがスプーンでスープを掬うと、ゴロゴロとした具材が顔を出した。よく煮込まれた芋、キャベツによく似たクタクタの葉っぱ、そして人参のようでもありカブのようでもある、丸くて黄色い一口サイズの不思議な野菜。どれもスープの出汁が芯まで染みていて、お腹の底からじんわりと温まる。
ヒエイはボアの定食を食べ終えると、満足そうにお腹をさすっていた。
しかし一方で、クリスにはそれではまったく足りなかったらしい。華奢な体格に似合わず大食いな彼女は、なんと定食を2回もおかわりし、平然と平らげてしまった。
その凄まじい食べっぷりには、配膳をしていたユキだけでなく、周囲のガタイのいい冒険者たちさえも、若干引き気味の視線を送るのだった。
「どんだけ食うんだ、あの嬢ちゃん……」
『結局、2回もおかわりしているし』
空になった大量の皿と木籠を見つめながら、ヒエイは若干引きつつも、呆れたような視線を眼の前に座るクリスに向ける。
「いや~~ 食べた、食べた」
クリスはぽんぽんと自分の平坦なお腹を叩きながら、実に幸せそうな笑みを浮かべる。
可憐な白銀の美少女の、ギャップのある大食いっぷりに、近くの卓で飲んでいた冒険者の一人が、ジョッキを傾けたまま動きを止めていた。だが、クリス本人はそんな視線など気にする様子もなく、満足げに空になった皿を眺めていた。
二人共、満足そうに食べ終え一息ついたところで、満足そうな可愛い笑みを浮かべて机に肘を突くクリスに、ヒエイはふと真面目な表情になる。
『明日はどうする?』
「一応、私の計画ではね、昼ごろまでは宿に籠もって『光魔法』の勉強と、さっき言ってた『オリジナル魔法』の開発を進める予定。で、12時になったら教会に行って、クラスへ就いて、その後冒険者ギルドかな〜〜」
『いや、予定は分かった。分かったが……12時って言われても、時間の測りようがなくないか? この世界、街中に時計塔があるわけでもないし、腕時計も持ってねえぞ』
「自分のステータス画面を開いてみて。その左上の隅っこの方をよーく見ると、小さく時計のアイコンがあるでしょ? そこをタップするみたいに意識をすると、現在の時間がデジタル表示されるよ」
クリスはそう言いながら、ヒエイの目の前で、彼から見て左上の空中に向けて小さな人差し指をツンと向けた。
ヒエイは言われた通りに自身のステータスを呼び出し、クリスの指先が示すあたりに視線を向けると、確かに視界の端に小さな時計のマークが見えた。言われた通りにそこを意識してみると、現在の時刻がくっきりと浮かび上がった。
時間の確認方法という、ちょっとした情報共有を終えると、夜ご飯後のひとときは、ひとまずお開きとなった。
二人は席を立つと、配膳で忙しそうにしているユキに、声を揃えて気持ちのいい挨拶を告げる。
『「ごちそうさまでした!」』
ユキは「ありがとうございました! ゆっくり休んでくださいね!」と満面の笑みで白い狐耳と尻尾をパタパタと揺らして見送ってくれた。
ガヤガヤと賑わう食堂の熱気を背に受けながら、二人は静かな階段を上がり、自分たちの部屋へと帰っていった。
部屋の扉を閉めるなり、クリスは「ふにゃぁ……」と緊張の解けた声を漏らしながら、ベッドへとなだれ込むようにダイブした。白銀の髪がシーツの上にふわりと広がる。ヒエイもまた、慣れない異世界での一日に溜まった疲労を吐き出すように、自分のベッドへとゆっくり腰を下ろした。
枕に顔を埋めたまま、クリスが掠れた声でヒエイに呼びかける。
「ねえ、ヒエイ……。疲れたし、そろそろ寝よ? ランプ消すよ……?」
その言葉を聞いた瞬間、ヒエイはハッと何かに気づき、突然声を上げた。
『あ……歯磨きとお風呂入って無い……』
ベッドの上に横たわるクリスは、ヒエイの言葉で思い出したかのように、ハッとして確かにというような表情を浮かべる。
「そんなの無いでしょ、この中世ファンタジーみたいな異世界に……。まあ、お風呂は公衆浴場とか、ならありそうだけど、どっちにしろ今日はもう夜遅いし無理だよ。……明日の午前中に魔法の開発と、ヒエイのスキルの実験をしたら、街に出てお風呂とか生活雑貨を探しに行こう」
『そうだな……』
ヒエイは渋々ながらも諦めて、そう呟く。
「それじゃ、おやすみ」
クリスが枕元の魔法のランプの小さなレバーを下げると、部屋全体を淡く照らしていた不思議な石の光が消え、一瞬にして深い静寂と闇が広がった。
二人はそれぞれのベッドに潜り込む。しかし、昼間の興奮の余韻と、どこか落ち着かない環境のせいで、すぐには眠気が訪れなかった。闇の中で天井を見つめていたクリスは、ふと高校時代の懐かしい記憶を思い出し、隣のベッドの親友へと言葉を投げかけた。
「ねえ、覚えてる? ……高校の、修学旅行の時のこと」
『覚えてるよ』
ヒエイは暗闇の中で小さく笑った。
『確か、寝る前に将棋やってたよな。お前も俺も引かなくてさ、なかなか決着がつかなくて夜遅くまでやってたら、先生にそろそろね寝ろって怒られたっけ』
「うん、うん、懐かしいよね。確か航一、あいつは先に寝たんだよね」
『航一、元気にしているかな…………』
懐かしい故郷の友人の名前を呼び、二人はほんの少しだけノスタルジーに浸っていた。
だが、そんな男女のセンチメンタルな旅情は、最悪のタイミングで、無残にも打ち砕かれることになる。
木壁の一枚隔てた隣の部屋から、明らかに大人の時間を愉しんでいると思わしき、艶めかしくも激しい喘ぎ声が聞こえてきたのだ。
「っ!?」
『っぶ!?』
静まり返った夜の宿だからこそ、その声は遮るものもなく、二人の鼓膜へとダイレクトに、そして鮮明に響き渡る。
暗闇でお互いの顔は見えなかったが、二人の顔が文字通り一瞬で「真っ赤」に染まったのは言うまでもなかった。
どちらも声を発することもなく、しばらく経つと、疲れがどっと来たのか隣の声なんて気にならず、二人はあっという間に深い眠りに就くのだった。




