第16話 クリスのクラス
翌日。
クリスの髪色はやはり元に戻らず、鏡に映るのは昨日と同じ、淡く輝くような色を帯びたままの姿だった。
そして、彼女のステータスも、常識を遥かに超えた数値のまま変わらなかった。
クリス
種族:人間族
クラス:?????
Lv:12
HP:2,147,483,647(※一時的)
MP:2,147,483,647(※一時的)
SP:2,147,483,647(※一時的)
筋力:2,147,483,647(※一時的)
防御力:2,147,483,647(※一時的)
敏捷性:2,147,483,647(※一時的)
器用値:2,147,483,647(※一時的)
精神力:2,147,483,647(※一時的)
幸運値:2,147,483,647(※一時的)
スキル:?????
鑑定分析
一般常識 Lv2
光魔法 Lv10(※一時的)
言語理解
アイテムボックス Lv2
魔力操作 Lv2
気配感知 Lv1
称号:なし
遅めの朝食を終え、宿のベッドに腰掛けたクリスは、半透明のステータス画面をじっと見つめていた。
その肩はわずかに震え、唇からは同じ言葉が繰り返し漏れる。
「私は大丈夫……私は大丈夫……私は大丈夫……」
どう見ても大丈夫ではない。
むしろ、緊張が形になって漂っているようだった。
『クリス……本当に大丈夫か……?』
隣のベッドに座っていたヒエイは、そんなクリスの様子に眉をひそめ、心配そうに声をかける。
クリスはぎこちなく振り向き、どこか遠い目をしたまま答える。
「だいじょうび……我が力、見せてくれる……」
『いや、そのセリフ……どこかで聞いたことある気がするんだが……』
ヒエイは思わず苦笑した。
その軽いツッコミが効いたのか、クリスの表情にほんの少しだけ落ち着きが戻る。
クリスは深呼吸をして、今度はヒエイに問いかけた。
「それはそうと……ヒエイはどうなの? やっぱり緊張してる?」
『正直、俺もすごく緊張してる。異世界に来て初めての緊急クエだし……』
「乱入とか……ないよね……?」
クリスが冗談めかして笑うと、ヒエイは吹き出してしまった。
『モ〇〇ンじゃないんだから、あるわけないだろ』
二人の笑い声が部屋に広がり、張り詰めていた空気がようやく和らいだ。
それでも、胸の奥にある不安は完全には消えていない。
今日の緊急クエストが、二人にとって大きな転機になることを、この時はまだ知らなかった。
緊急クエストの準備を整えるため、クリスとヒエイは宿を出てポーション類の調達に向かった。
しかし、二人はこの街に来て日が浅く、どこで買えるのかまったく見当がつかない。
大通りは避難する人々でごった返していた。
荷物を抱えた住民たちが押し合いへし合いながら行き交い、通りには焦りと不安のざわめきが満ちている。
夕方までには避難が完了する勢いで、街全体が緊迫した空気に包まれていた。
二人は道行く人に道を尋ねて遠回りしながら進み、ようやく目的の魔法具店がある通りへと辿り着いた。
そこは大通りとは対照的に、薄暗く狭い路地だった。
建物の影が重なり、昼間だというのに光がほとんど差し込まない。
人通りも少なく、風が吹くたびにどこかの看板が不気味に揺れる。
クリスは思わず身を縮め、警戒心を露わにした。
不安を隠しきれず、前を歩くヒエイの服の裾をそっと掴む。
対照的に、ヒエイはまったく動じた様子もなく、いつも通りの落ち着いた足取りで進んでいく。
やがて、古びた木製の看板が目に入った。
魔道具店かすれた文字が、薄暗い路地にぼんやりと浮かび上がる。
二人は顔を見合わせ、息を合わせるようにして恐る恐る店内へ足を踏み入れた。
中は外観からは想像できないほど広く、棚には所狭しと魔道具や薬瓶が並んでいる。
薬草の匂いと古い木の香りが混ざり合い、独特の空気が漂っていた。
「いらっしゃい」
突然、奥から無愛想な声が響いた。
振り返ると、皺だらけの顔に鋭い眼光を宿したおばあさんが机に向かい本を読んでいた。
クリスは驚きのあまり肩をビクッと震わせる。
ヒエイが一歩前に出て、丁寧に声をかけた。
『すみません。ポーションを売っていると聞いて来たのですが』
おばあさんはじろりと二人を見回し、何かを値踏みするように目を細めた。
おばあさんはぶっきらぼうな態度で、店の奥の棚を指した。
「そこの棚だよ」
指さされた棚には、色とりどりのポーションがぎっしりと並んでいた。
ガラス瓶に反射する光が揺れ、薄暗い店内に小さな虹色の粒子を散らしている。
クリスとヒエイは並んで棚に近づき、一つひとつを鑑定していった。
下級ライフポーション
ランク:☆☆☆
HPを回復する緑色の魔法薬。色が濃いほど効果が高い。
水で薄めれば傷薬としても使える。
効果:HPを100回復
品質効果:追加でHP50回復
制作者:アイム
下級マジックポーション
ランク:☆☆☆
MPを回復する青色の魔法薬。色が濃いほど効果が高い。
効果:MPを100回復
品質効果:追加でMP50回復
制作者:アイム
クリスとヒエイは、下級ライフポーションと下級マジックポーションをそれぞれ二本ずつ手に取った。
だが、値札を見た瞬間、二人の表情が同時に引きつる。
一本、5000リス。
緊急クエストのためとはいえ、懐にはかなり痛い出費だ。
それでも必要なものは必要だと覚悟を決め、おばあさんの所へ向かおうとしたその時だった。
「お嬢ちゃん。昨日の光の柱……あれ、あんただろう」
不意にかけられた声に、クリスはビクリと肩を震わせ、一歩後ずさった。
おばあさんは本を読む手を止めてクリスの事を見ていた。その目は細く鋭く、まるで心の奥まで見透かすような光を宿している。
その警戒を読み取ったのか、おばあさんは深々とため息をついた。
「そんなに身構えなさんな。取って食ったりしないよ」
その声音は先ほどよりも柔らかく、どこか達観した者の響きを帯びていた。
「それと、先人からの忠告だよ」
おばあさんは本に手を添えながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「これからお嬢ちゃんは、たくさんの人と出会うだろうけど、人との関係を利害でしか見ないやつと、出会ってすぐ距離感が近すぎるやつ。そういうのには気をつけな」
その言葉は、まるで未来を見通しているかのように重く響いた。
クリスは一瞬だけ目を見開き、すぐにその意図を理解した。
これは、おばあさんの経験に基づく助言なのだと。
けれど、クリスには同時にある疑問が浮かんだ。なぜおばあさんは、あえて今この忠告を口にしたのか。それだけがどうしてもわからなかった。
ポーションの購入は、意外にもすんなり終わった。
店主のおばあさんは今後も贔屓にしてくれるならと条件をつけ、ほんの少しだけ値引きをしてくれた。
浮いた分の金額で、クリスは前から気になっていた珍しい光魔法の魔法書をついでに購入することにした。
店を出た二人は、緊急クエストに向けて着々と準備を進めた。
夕方が近づく頃、城門前にはすでに多くの兵士と冒険者が集まっていた。
空気は張りつめ、誰もが口数を減らし、武器の手入れや装備の確認に集中している。
それでも、ざわめきは完全には消えず、緊張と不安が混じった声があちこちで飛び交っていた。
そのざわめきを割るように、重い足音が響く。
冒険者ギルド支部長のガルと、立派な鎧を身にまとった男が門の前へと歩み出た。
鎧の男は無言で剣を鞘ごと地面に突き立てた。
金属が石畳を叩く鋭い音が、場の空気を一瞬で凍らせる。
ざわついていた兵士や冒険者たちが、まるで糸が切れたように一斉に静まり返った。
ガルが前に出て、腹の底から響く声で告げる。
「俺は冒険者ギルド支部長のガルだ。今から作戦の概要を話す!」
その声は、緊張で固まった空気をさらに引き締めた。
「基本作戦は城壁の上からの遠距離攻撃。ボスが現れた場合は、別働隊が接近して撃破する。これが基本だ」
兵士たちが息を呑む音が聞こえる。
「次に人員配置だが、城壁上の攻撃はBランク以下の冒険者と兵士に任せる。そして、ボスはAランクの中でも限りなくSランクに近いキマイラだ」
その瞬間、場が大きく揺れた。
「キマイラだと……!?」「無理だろ……」「なんでそんな化け物が……!」
どよめきが一気に広がり、恐怖が波紋のように広がっていく。
ガルは怒号に近い声で叫んだ。
「静まれ!!」
場が再び静まり返る。
「別働隊はAランクパーティーと精鋭兵士のレイドパーティーで編成する。回復ができる者は仮設救護室へ行き、教会の聖職者と共に治療に当たれ。以上、全員配置につけ!」
「じゃあね、ヒエイ。私は回復要員だから仮設の救護室に行くよ」
『おう、頑張れよ』
短い言葉を交わし、二人は別れた。
クリスは門から少し離れた広場へ向かう。
そこには仮設の白いテントがいくつも並び、周囲では聖職者たちが慌ただしく木箱を運んでいた。
箱の中には包帯、消毒用アルコール、ポーションなど戦場の準備が着々と進んでいた。
クリスはその光景を見て、何か手伝えないかと近くを通ったシスターに声をかけた。
「何か手伝えることは」
「あなたは……」
振り向いたシスターは、エリスシアだった。
その瞬間、突風が吹き抜けた。
クリスのスカートが舞い上がりそうになり、慌てて両手で押さえる。
だが、運命の悪戯は別のところに落ちた。
風に煽られ、クリスのローブのフードがふわりと外れたのだ。
露わになったのは、光を帯びたように輝く髪。
「しまった……!」
クリスが小さく呟いた瞬間、周囲の聖職者たちが一斉に動きを止めた。
木箱を運んでいた者も、包帯を用意していた者も、準備していた者、全員がクリスを見つめていた。
その瞳には驚愕と、深い畏敬の念が宿っている。
クリスが逃げようと一歩下がった瞬間、全ての聖職者が、その場で跪いた。
そして、まるで神に祈りを捧げるように、両手を胸の前で組み、クリスへ向けて祈り始めた。
年配の聖職者の中には、涙を流しながら祈る者までいる。
「えっ……あの……なんで祈って……?」
クリスは完全に状況を理解できず、ただ立ち尽くすしかなかった。
その異様な光景を見た冒険者たちがざわめき始める。
「なんだあれ……?」「あの子、光の柱を出した子じゃない……?」「聖職者が全員跪いてる……?」
まるで神の降臨を目撃したかのような、異様な静寂とざわめきが広場を包み込んでいった。
突然の祈りの光景に完全に取り残されたクリスは、唯一見知った人物のエリスシアへ助けを求めるように視線を向けた。
「エリスシアさん……あの……えっと……状況がわからないので、説明してもらえますか……?」
声は震え、言葉はたどたどしい。
恥ずかしさと困惑が入り混じり、クリスの頬はほんのり赤く染まっていた。
エリスシアは、初めて会った時の柔らかい雰囲気とはまるで違う、深い敬意を帯びた声音で答えた。
「はい、わかりました。ご説明いたします」
その丁寧すぎる態度に、クリスはさらに混乱する。
エリスシアは跪いたまま、祈りの姿勢を崩さずに顔を上げ、静かに口を開いた。
「クリス様。先日のクラスの件ですが、あなたのクラスが判明いたしました」
「私の……クラス……?」
クリスは思わず息を呑む。
クリスのクラスはずっとハテナのまま、誰にも判別できなかった。
エリスシアは深く頷き、続けた。
「先日の光の柱。そして、今こうして光り輝く髪……クリス様のクラスは……聖女です」
「聖女……? それは、なにかの間違いじゃないですか。私のクラスはハテナで、わからないままですし……」
クリスは必死に否定しようとするが、声には自信がなかった。
エリスシアは揺るぎない口調で言い切った。
「間違いありません。光の柱、光り輝く髪……すべて伝承の通りです。そして伝承によれば、クリス様は現在、覚醒の途中なのです」
「覚醒……?」
「はい。覚醒を完了させるには試練を乗り越える必要があると伝えられています」
クリスは眉を寄せ、息を呑んだ。
「試練……その内容は?」
エリスシアは静かに首を振る。
「詳しいことはわかりません。ただ、伝承にはこう記されています。己と向き合えと」
その言葉は、クリスの胸の奥に重く沈んだ。
己と向き合うそれが何を意味するのか、まだ誰にもわからない。
しかし、周囲の聖職者たちは祈りを捧げ続けている。
まるで、クリスという存在そのものが救いであるかのように。
クリスはその光景に圧倒されながらも、逃げ出すこともできず、ただ立ち尽くしていた。




