第11話 ユキの稽古
「ヒエイ、起きて。ユキの稽古に行くよ」
返事は来た。
「うん〜」
眠そうな声だったが、ヒエイは起き上がった。ステータス画面の時計は朝の5時を示している。窓の外はまだ暗く、鳥の声だけが静かに響いていた。
二人は無言のまま身支度を整え、一階へ降りた。食堂はちらほらと人がいるだけで、ユキの姿は無かった。厨房の奥から微かに火の熱気がするだけで、静かな雰囲気が漂うだけだった。
庭に出ると、夜明け前の冷えた空気が肌を刺した。
ユキはすでにそこにいた。ポニーテールにまとめた白い髪が、素振りのたびに揺れている。木剣が空気を切る音が、規則正しく庭に響いていた。朝霧の中で一人黙々と振り続けるその姿は、宿で給仕をしているユキとも、街を案内してくれたユキとも、どこか違う顔をしていた。
二人の気配に気づいたユキが、木剣を下ろした。
「二人ともおはよう。さっそく始めるよ」
クリスとヒエイは顔を見合わせ、揃って頭を下げた。
『「よろしくお願いします」』
「二人にはまず、始原魔法について覚えてもらおうかな」
「始原魔法?」
クリスが聞き返すと、ユキは木剣を脇に置き、説明を始めた。
始原魔法とは、魔物が使う魔法のことだ。現代の魔法の元になったもので、呪文と術式で発動する現代魔法とは異なり、魔力操作とイメージだけで発動させる。より原始的で、より直感的な魔法体系だという。
「それだけ聞くと、始原魔法の方が優れているように思えるんだけど」
クリスが首をかしげると、ユキは静かに首を横に振った。
「始原魔法は属性魔法スキルがないと使えないし、現代の魔法と違って細かいことができない。魔力操作とイメージの感覚は教えにくいし、感覚は人それぞれだから習得に時間もかかるよ」
一拍おいて、ユキは続けた。
「現代の魔法にもデメリットはあるよ。クリスは魔法名だけで発動できているみたいだけど、本来は長い呪文を唱える必要があるから。熟練した人は高速詠唱のスキルで補っているけどね」
「なるほど」
クリスが頷くと、ユキは「そろそろ始めるよ」と言って二人の前に立った。
まずクリスへ目を向け、ユキが告げた。
「クリスは魔力操作を持っているから、後は感覚を掴むだけ。まずは初歩の魔力防御から。強い魔物も使う必須の技術だよ。身体全体を魔力で覆って、固めるイメージ」
クリスは目を閉じ、意識を内側へ向けた。
最初に意識を集中させると、何かが体の中を巡り始める感覚があった。ホースの中を水が流れるように、それは血管を伝って体中をめぐっていく。
(これが、魔力……?)
その液体のような感覚のまま外へ広げようとしたが、うまくいかなかった。試しに魔力を蒸発させるようにしてみると、今度はその液体が形を失い、風船の中の空気のように、体の内側にふわりと満ちていく感覚に変わった。
(液体にも、気体にもなる……)
クリスは戸惑いながらも、これを応用できないか考えた。魔力を液体のようにして血管で魔力を全身に送り、気体へと変化させて全身を包み込む。そして再度、魔力を液体のようにして皮膚の表面へ薄く広げる。
そこまでは、うまくいった。
問題は、そこから先だった。広げるだけでは防御にならない。固めなければ。
(液体でも気体でもないなら……)
何度も意識を集中させるうち、力を込めて圧縮すれば魔力が徐々に重さと硬さを持ち始めることに気づいた。粘土を握り固めるときの感覚に近かった。
防弾ガラスの原理だ。柔らかい層と硬い層を交互に重ねることで、単一の硬い層より衝撃を分散できる。魔力でそれを再現できないか。
固める強さを変えながら、圧縮の度合いを調整する。強く固めた層の上に、わずかに緩めた層を重ね、その上にまた強く固めた層を重ねる。何度か崩れながらも、少しずつ層の数を増やしていった。
試してみると、できた。
クリスは内側から手応えを確かめながら、少しだけ口角を上げた。
一方でユキはヒエイの前に立ち、真顔で指を差した。
「ヒエイは魔力操作を覚えること。上位冒険者の中では当たり前の技能だから、早いうちに身につけた方がいい」
ヒエイは頷き、目を閉じた。
しかし、うまくいかなかった。
『難しいな……心臓近くにある温かいものを動かす感覚なんて言われても……』
眉を寄せて呟くヒエイの横に、ユキが近づいてきた。
「ヒエイは魔法を使ったことがないから、習得が難しいかもね」
そう言ってユキはヒエイの両手を、両手でそっと包んだ。ヒエイの動きが一瞬止まる。
「目を閉じて」
言われた通りに目を閉じると、ユキが静かに続けた。
「今、ヒエイに魔力を流してるのを感じる?」
ヒエイは集中した。ユキの手のひらから、温かい何かが流れ込んでくる感触があった。それはMPの回復とも、体温の伝わりとも違う、不思議な感覚だった。
『分かります。これが魔力……』
「うん、それがヒエイの中にもあるものだよ」
ユキはそう言って、静かに手を離した。
途端に、さっきまで確かにあった温かさが、すっと遠くなる。ヒエイは慌てて目を閉じ直し、自分の内側に意識を向けた。だが、見つからない。あると分かっていても、掴めない。
「分かるけど……動かせない」
「うん、今日はそれで十分だよ。感じられるようになっただけでも、初めてにしては上出来だよ」
ユキがそう言って笑うと、ヒエイは少し悔しそうな顔をしながらも、額に薄く汗をかきつつ、もう一度意識を内側へ向けた。
そうしているうちに、厨房の方から朝食の匂いが漂ってきた。
ユキが「朝ごはんの時間だね」と言い、木剣を棚に戻してから宿の中へ戻っていく。その背中を二人で見送り、クリスとヒエイも食堂へ向かった。
夜ほどではないが、 先程よりもそれなりに人がいた。二人は隅のテーブルに腰を下ろし、硬いパンを注文した。
『今日どうする?』
「午前中は魔法練習したい。午後からクエストに行くのはどう?」
『いいよ、そうしよう』
パンを食べ終えると、二人は示し合わせるように立ち上がり、再び庭へと向かった。




