第10話 公衆浴場にて
薬草採集のクエスト達成報告を済ませ、冒険者ギルドの扉を出ると、空はすでに濃い藍色に染まっていた。
「このあと、お風呂行かない? 戦いの返り血で少し汚れたし」
『俺も行きたい』
二人は示し合わせたように頷き、ユキに教えてもらった公衆浴場へ向かって歩き出した。夜の石畳は昼間より静かで、遠くから食堂の匂いが漂ってくる。
路地を曲がったところで、二人は足を止めた。
瓦屋根の和風建築が、石造りの街並みの中に突然現れていた。軒先には白いのれんがかかり、「公衆浴場」の文字が染め抜かれている。建物の奥には煙突が一本、夜空に向かって細く伸び、白い湯気をゆっくりと吐き出していた。
「なんか日本の銭湯を思い出す」
『カク商会といい、なんか所々で和風要素あるよな』
二人がのれんをくぐると、木の香りが鼻をくすぐった。板張りの床に、鍵付きの下駄箱が並んでいる。靴を収めて引き戸を開けると、中央に番台があり、左右に男女の暖簾が分かれていた。脇には休憩スペースも設けられている。
番台に座るおばあさんは、二人の顔を見るなり、お風呂のマナーと料金を丁寧に説明してくれた。声は穏やかで、この場所に長く根づいている人間の落ち着きがあった。
料金を払い、二人は左右に分かれた。
クリスが女湯の暖簾をためらいなくくぐるのを見て、ヒエイは一瞬だけ目を丸くした。そして何も言わず、男湯の暖簾をくぐる。
クリス自身は気づいていなかった。自分の精神が、いつの間にか、肉体に引っ張られていることに。
クリスが脱衣所に入ると、女性客が数人、それぞれのロッカーの前で着替えをしていた。空いているロッカーを探して視線を動かしたとき、クリスは見知った顔を見つけた。
服を脱ぎ終えたユキが、こちらに背を向けて立っていた。白い狐耳が、湯気の暖かさに気持ちよさそうに揺れている。
「ユキさん、来ていたんですね」
ユキがこちらを振り向いた。
「そう、これから入るところ。良かったら一緒に入ろ」
「は、はい」
クリスは少し驚きながらも頷いた。ユキの言葉で、ふと思い出す。自分はつい最近まで男だった、ということを。
その事実がクリスの頭をよぎった瞬間、顔が熱くなった。それでも逃げるわけにもいかず、クリスはユキの隣で恥ずかしそうに服を脱ぎ始めた。ロッカーに畳んで入れる手が、心なしか早い。
着替え終えたユキが、さらりとクリスを見て言った。
「クリスは結構スタイルいいんだね」
「あ、ありがとう……」
クリスは顔を赤くしながら礼を言い、ごまかすように視線を逸らした。その先に、ユキの白いふわふわとした尻尾が、ゆらゆらと揺れているのが見え、クリスの目は釘付けになる。
「シッポ可愛い。触らせて」
クリスが目を輝かせて言うと、ユキが尻尾をぴんと立て、びくりと反応した。
「シッポは敏感なところだからだめ。同性でもだめだよ……そんなの」
耳まで赤くして、ユキが答えた。
浴場の扉を開けると、湿った温かい空気が全身を包んだ。
木の壁に石畳の床、白い湯気が天井近くに漂っている。浴槽は広く、湯の表面がゆらゆらと揺れていた。
ユキは迷わずシャワースペースへ向かい、クリスは目線を下にやり、ユキのその後ろに付いていく。蛇口の前に腰を下ろすと、ユキが使い方を教えてくれた。
「ここの丸いところをひねるとお湯が出てくるから」
ひねると、頭より少し高い位置にある竹製の口から、勢いよくお湯が流れ出した。クリスも同じようにひねり、白銀の髪を濡らして洗い始める。
しばらくして、隣で洗っていたユキの手が止まり、クリスの方へ体を向け、近づいてくる。
「その洗い方だと髪の毛を傷めるよ」
ユキはそう言いながら、クリスの髪へ手を伸ばした。指を通しながら、丁寧に、根元から毛先へ向かって泡を流していく。その手つきは慣れていて、クリスは何も言えずされるがままになっていた。
一通り洗い終えると、二人は浴槽へ移った。
湯に肩まで浸かった瞬間、クリスの口から声が漏れた。
「あ〜〜 染み渡る〜〜」
ユキがくすっと笑う。
同じ頃、壁一枚隔てた男湯では、ヒエイが天井を見上げながら湯に浸かっていた。
壁の向こうから、女湯の話し声と、クリスの明るい笑い声が時折漏れ聞こえてくる。何を話しているのかまでは分からないが、楽しそうなのだけは伝わってきた。
(女子会って、こんな感じなんだろうか)
ヒエイはぼんやりそんなことを考えながら、湯船で大きく伸びをした。
クリス達は湯気の中、しばらく無言が続いた。遠くから他の客の話し声が聞こえ、湯の表面がかすかに揺れている。そんな中、ユキが唐突に尋ねる。
「クリスはヒエイとどんな関係なの? やっぱり彼氏?」
クリスは盛大に吹き出し、口に含んでいた湯を思い切り撒き散らした。
ゲホッ、ゲホッと咳き込みながら、涙目でユキを睨む。
「な、なに、急に……!!」
悪びれる様子もなく、くすくす笑うユキ。
「いや、いや、全然違う、ただの親友だから!! 独りぼっちの私に話しかけてくれた、大切な親友なの」
「本当かな〜〜 でも一緒に居ればそう言う感情も湧くんじゃないの」
ユキはにやけながら疑いの目を向けてからかうと、クリスはすぐに首を左右に振った。
「絶対にない!!」
高校時代からの親友で、元は同じ男だったのだから。
それ以上でも、それ以下でもない。
「そっかあ」
ユキはあっさり引いた。湯の中で膝を抱え、天井を見上げる。その横顔が、何かを考えているように見えた。
しばらく間があった。
「でも、冒険者で同じパーティーを組んでいれば、いつかそう言う感情が湧くかもよ。」
「え」
「クリスは鈍感だから気づいてないかもしれないけど、ヒエイは割とクリスの事を意識してるような気配はあるよ」
その言葉が、じわりと頭に入ってきた。
顔が、じわりと熱くなった。お湯の熱さとは、明らかに別の熱だった。
「そ、そ、そんなこと……」
だめだ、と思った瞬間には遅かった。動揺と湯の熱さが一気に重なって、視界がぐらりと傾く。
クリスはそのままユキの肩に倒れ込み、意識が遠くなった。
「ユキ……」
まぶたを持ち上げると、ユキの顔があった。
体が横になっている。頭の下に、柔らかい感触がある。休憩スペースのベンチに寝かされていて、ユキにひざ枕されていた。
「目が覚めたんだ。のぼせて倒れたんだよ」
クリスはゆっくりと体を起こした。頭がまだ少しふわふわしている。
そこへ、男湯の暖簾をくぐったヒエイが歩いてきた。二人の姿を見つけて近づいてくると、クリスの顔色に気づいたのか、眉を寄せた。
『顔色悪いけど大丈夫か?』
「少しのぼせて……」
クリスは顔を真っ赤に染めながら、静かに話す。
『大丈夫か? 少し休んでから帰る?』
「そうする」
三人はベンチで少し話しながら休んだ。ユキの笑い声が一度、休憩スペースに響いた。何がツボに入ったのかは、クリスには分からなかった。
宿屋に戻ると、一階の食堂でさっと夕食を済ませた。
部屋に戻ったクリスは、歯を磨き終えるとそのままベッドに倒れ込んだ。白銀の髪が枕に広がる。
ヒエイは割とクリスの事を意識してるよ。
「……そんなわけない」
誰に言うでもなく呟いて、目を閉じた。
その日はそのまま、ぐっすりと眠りについた。




