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9話 公爵令嬢VS聖女の侍女1

 

 夜の帳が落ち、柔らかなキャンドルの光が陽炎のように揺れていた。

 わたくしは自室の机に向かい、紅茶の香りに包まれながら、ある書類に目を通している。そこへ弟のサイラスが勢いよく扉を開けて飛び込んできた。顔は赤らみ、いささか目つきも鋭い。


「姉上、アデリーン様の侍女団を受け入れたっていうのは本当ですか!?」

「本当よ。ああ、声が大きいわ。きちんと扉を閉めてちょうだい」


 仕事帰りの弟をなだめつつ、わたくしは再び紅茶をひと口含む。その落ち着いた様子が気に入らないのか、サイラスは声を荒げた。


「本当に大丈夫なのですか。聖女様に近しい人間をコレットのそばに置くなんて……」

「全然大丈夫ではないわね」

「わかっているなら、なぜ!」

「嫌がらせだとわかっていても、正面から撥ねつけるのは得策ではないからよ」


 わたくしは机の上の書類を手に取り、サイラスへ差し出した。


「見てごらんなさい。急いで調べさせたダイアンの身辺調査よ」

「……これは」

「ダイアンはイリーナ伯爵夫人の手駒で、長年コレットを虐げてきた張本人。コレットにとっては恐怖そのものみたいな女でしょうね。でも聖女の名代として派遣された以上、理由なく追い返すわけにはいかないわ」


 書面を追うサイラスの表情が、みるみる険しくなる。


「聖女様への忖度ですか。くだらない」

「サイラス。あなた、アデリーンのことが嫌いなのね」


 薄々そうではないかと思っていた。問いかけると、サイラスは迷いなく頷く。


「こう言っては無礼に当たりますが、アデリーン様のコレットへの態度は前々から目に余っていました。どれほど崇高な存在だろうと、私が愛する女性を虐げるような人間を好きになれるはずがありません」

「そうよね。もっともな言い分だわ」


 そのアイスブルーの瞳に宿る侮蔑が、胸の奥にちくりと刺さる。

 かつては、その眼差しをわたくし自身も向けられていたのだ。コレットを傷つけ、弟を苦しめた姉として。


「少しだけ時間をちょうだい。いざという時は、夫であるあなたがコレットを守ってあげてね」

「もちろんです」


 サイラスは力強く頷き、どうにか怒りを収めてくれた。

 その姿を見送りながら、わたくしの胸の古傷はじくじくと疼き続けていた。



      ◇◆◇



『ブライア様。コレット様の待遇について、どうか考え直していただけませんか。さすがにサイラス様の奥様が作業棟の物置小屋に住まうというのは……』

『気に入らなければ屋敷を出ていけばいいでしょう。図々しく居座り続けているのは、あの女なのですから』


 やり直す前の人生。

 わたくしはノーマンやパウラの諫言にも、一切耳を貸さなかった。

 アデリーンに騙されていたことは事実だ。けれどだからと言って何もかもをそのせいにするつもりはない。コレットを粗末な物置小屋へ押し込み、食事も満足に与えず、使用人同然に扱ったのは、間違いなくわたくし自身だ。

 そのうち耐えきれず逃げ出すだろう――そんな最低の考えすら抱いていた。


 でもコレットは逃げなかった。

 サイラスを愛していたから。

 ただそれだけの理由で、あの人は伯爵家での虐待に加え、公爵家での冷遇にも耐え続けたのだ。


 どれほど絶望しただろう。

 どれほど心をすり減らしただろう。


 想像するだけで胸が引き裂かれそうになる。今すぐ毒をあおって死んで詫びたいとさえ思う。

 けれど、死んだところで犯した罪は消えない。

 ならば罪を抱えたまま、わたくしはわたくしにできる最大限の贖罪をしなければならない。

 それこそが、再び生を与えられた意味なのだから。



    ◇◆◇



 ダイアンを筆頭とする侍女団がコレットのそばに仕えるようになって、三日が過ぎた。

 初日はさすがに大人しくしていたらしい。けれど二日目から、早くも化けの皮が剥がれ始めたようだ。メイド長のパウラから直々に報告が上がる。


「一言でいえば、聖女様のご威光を盾にした傍若無人な振る舞いでございます。コレット様のお世話は、伯爵家時代から慣れ親しんだ自分たちがやるの一点張り。公爵家の者の手は一切借りぬと申しております」

「それで?」

「おかげでコレット様の朝食はすっかり冷めきり、内容も残り物を寄せ集めたようなひどいものに。お召しかえのドレスも、持参された粗末なワンピースへ逆戻りです」


 そこで一度、パウラは悔しさを滲ませるように唇を引き結んだ。


「ブライア様。私どもは悔しゅうございます。いつまであの者たちの勝手をお許しになるのですか」


 珍しく強い口調だった。

 気持ちは痛いほどわかる。

 だがわたくしが見極めたいのは、こういう状況でコレットがどんな行動を取るのか――そこでもある。


「それでコレットは何の抵抗もしていないの?」

「できるわけがありません。誰よりも繊細で、お優しい方なのですから」

「そう……」


 胸の内で二つの感情がせめぎ合う。



 今すぐ助けに行きたい気持ち。

 しかしただ守るだけでは駄目なのではないかという不安。



 しばし迷った末、やはり前者が勝った。


「少し様子を見に行きましょう。ただし、ダイアンたちには気づかれないように」

「かしこまりました」


 わたくしはそっと立ち上がり、サイラスたちの暮らす東棟へと向かった。

 そしてそこで目にしたのは――想像以上にひどいいじめの現場だった。



「こんな高価な宝石、お前にはもったいない。聖女であるアデリーン様にこそふさわしいんだよ!」



 東棟のアーチをくぐるなり、耳に飛び込んできたのはダイアンの甲高い怒鳴り声だった。若い侍女達の下卑た笑い声も重なる。


「本当に昔からみっともない。そんな貧相な容姿で、どうやってサイラス様をたぶらかしたんだか」

「どうせ体でも使ったんでしょ? サイラス様も、こんな女に騙されるなんてどうかしてる!」

「あんたなんかより、アデリーン様のほうが何倍もサイラス様の妻にふさわしいんだ! わかったなら、さっさと離婚しろ!」


 聞くに堪えない罵詈雑言の数々。

 東棟の入り口に控えていた当家の侍女達は、怒りに今にも飛び出していきそうだった。


「待ちなさい」

「ですがブライア様!」


 皆の顔が悔しさに真っ赤になっているのを横目に、わたくしは足音を忍ばせてコレットの部屋の前まで近づく。

 扉はわずかに開いていた。

 その隙間から、中の様子が見える。



 ――そこでわたくしが目にしたもの。

 それは全身びしょ濡れのまま床に這いつくばり、ダイアンに髪を掴まれているコレットの姿だった。









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