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10話 公爵令嬢VS聖女の侍女2

 


 その光景を目にした瞬間、全身の血が煮え立つような感覚を覚えた。

 華奢な肩を震わせ、濡れたまま床に伏しているコレット。周囲には花が何本も散らばっている。おそらく花瓶の水でも浴びせられたのだろう。

 そのコレットを取り囲むように、ダイアンと三人の侍女が立っていた。誰もが薄笑いを浮かべ、獲物をいたぶることに何の躊躇いもない顔をしている。


 怒りで指先が震えた。ドアノブを握る手に、思わず力がこもる。

 今すぐ踏み込んで、あの女達を引きずり倒したい。



 けれど、わたくしはぎり、と強く唇を噛み、必死にその衝動に耐えた。



 ここで飛び込めば、ダイアン達は怯むだろう。

 しかしそれでは、コレットがこの三日間どれほどの仕打ちを受けてきたのか、その全貌は見えないままだ。何よりコレット自身がどう向き合うのかを見届けたかった。


「ねえ、何とか言ったらどうなの?」


 若い侍女のひとりが嘲るように言う。


「まさか公爵家に嫁げば、もう逃げ切れるとでも思った?」

「公爵家の人達だってすぐに気づくわよ。あんたみたいな何の価値もないつまらない女、嫁にするだけ無駄だって」

「アデリーン様の影に隠れているのがお似合いなのよ!」


 どれだけ罵倒されても、コレットは俯いたまま何も言わない。

 ノヴァリス伯爵家で、この手のいじめは日常だったのだろう。そう思えば、あの異様なまでの自己評価の低さにも納得がいく。


「何とか言ったらどうなの、コレット」


 ダイアンがしゃがみ込み、コレットの髪をさらに強く引っ張った。



「言っとくけど、聖女様のご威光の前じゃ、公爵家の力だってたかが知れてるんだよ!」




 その瞬間だった。

 コレットの瞳に、ふっと力が戻る。

 次の瞬間、彼女はダイアンの手を強く払いのけた。



「公爵家のことを悪く言うのはやめて」

「はあ?」

「私のことは好きに言えばいい。でも……公爵家の人達を馬鹿にしないで!」



 はっきりとした拒絶の声だった。

 普段の穏やかなコレットからは想像もできないほど、まっすぐで、強い。


「生意気な!」


 ダイアンは顔を歪め、手を振り上げた。けれどコレットは一歩後ろへ下がり、その平手打ちをかわす。


「勘違いするんじゃないよ! あんたは卑しい前妻の娘だ。イリーナ様のご慈悲で生き延びてるだけだってことを忘れるな!」

「そんな慈悲などいりません!」


 コレットの声が、部屋に強く響いた。


「私にとって家族と言えるのは、サイラス様……それに、ブライアお義姉様です。もう伯爵家には絶対に戻りません!」


 一瞬、部屋が静まり返る。

 若い侍女達の嘲笑が止まった。ダイアンでさえ、ほんのわずかに息を呑んだように見えた。

 わたくしは扉の外で、その言葉を聞きながら心の中で快哉を叫ぶ。



 そうよ、コレット。

 よく言ったわ。



 怒りに煮えていた胸の内が、一瞬で別の熱に満たされる。

 この子はただ弱いだけではない。怯えて俯いているだけの娘ではないのだ。守りたいもののためなら、ちゃんと立ち向かう強さを持っている。

 ならばわたくしは、そんな義妹を全力で守り、支えればいい。


「ちょっと運よくサイラス様に見初められたからって、自惚れるんじゃないよ!」


 ダイアンは怒鳴りながら立ち上がり、近くのドレッサーやジュエリーケースから次々にドレスや宝石を引っつかんでは、床へ投げ捨てていく。


「高価なドレスも! 宝石も! 美しく豪華な部屋も! 全部全部アデリーン様のものだ! 返せ! アデリーン様から奪ったものを全部返せ!!」

「やめて! それはお義姉様が私のために用意してくださったものです!」

「お義姉様? ああ、あの二十四にもなって、どこにも嫁げない行き遅れの公爵令嬢?」


 ……なるほど。

 行き遅れ、ね。


 その程度の陰口、言われ慣れすぎていて今さら傷つきもしない。小物の捨て台詞としては、あまりにもありふれている。

 けれどその言葉は、コレットの逆鱗に触れたらしい。


「お義姉様を……ブライア様を馬鹿にするなんて、誰であろうと許さない!」


 コレットの声がさらに剣呑さを帯びる。


「あの方はこんな私とサイラス様の結婚を快く認めてくださったの! しかも何の教養もない私に、本気で淑女教育をしてくださる、とてもお優しい方よ! あなた達なんかに、お義姉様のことを悪く言う資格はない!」


 燃えるようなその眼差しに押され、侍女達が思わず口を噤む。

 小さな背中なのに、今はひどく大きく見えた。



 ――うん。そろそろ、頃合いかしら。



 ダイアン達の悪行も、コレットの覚悟も、十分見届けた。

 わたくしは勢いよく扉を押し開けた。

 重い木の扉が大きな音を立て、部屋の空気が一変する。ダイアンたちの顔が、見る間に強張った。


「そこまでよ。これは一体、何の騒ぎかしら」

「ブ、ブライア様!」


 ダイアン達は一瞬にして青ざめた。けれどその動揺はほんの一瞬で、すぐに取り繕うように居住まいを正す。


「ブライア様。いきなりお越しになるなんて……。私どもはただコレット様に伯爵家時代と同様の教育を施していただけですわ。聖女様の名代として当然の務めかと」

「聖女?」


 わたくしは一歩踏み出し、冷たく笑った。


「聖女の名を盾にして、わたくしの大事な家族を侮辱する資格が、あなたたちにあるとでも?」


 ダイアンは一瞬言葉に詰まる。だがよほど後ろ盾に自信があるのだろう。すぐにふてぶてしく唇を歪めた。


「私どもは聖女様のご命令で、コレット様を正しく導いているだけです。こう申しては何ですが、たかが貴族令嬢でしかないあなた様が口を挟むのは、少々お門違いでは?」


 若い侍女達がくすくす笑う。

 コレットが再び言い返そうと身を強張らせたが、わたくしは片手を上げて制した。


「ダイアン、といったかしら?」

「……はい?」

「覚えておきなさい」


 わたくしはゆっくりと象牙の扇を開く。



「あなたの言う『たかが貴族令嬢』が、この屋敷では絶対の法律よ」




 次の瞬間、わたくしは躊躇なく扇でダイアンの頬を打った。

 ぱしん、と乾いた音が響く。

 ダイアンの体が大きくよろめき、白い頬に赤い筋が浮かんだ。細くにじんだ血を見て、他の侍女達が息を呑む。



「な……何を……!」



 頬を押さえたまま、ダイアンは信じられないものを見る目でこちらを見上げた。

 わたくしはにっこりと微笑み、扇についた血を軽く払う。


「お、お義姉様……」

「コレット様、こちらへ」


 呆然とするコレットを、パウラが素早く引き寄せて背後へ守った。

 一方、若い侍女達はダイアンを支えながら後ずさる。つい先ほどまでの傲慢さは消え、目にはっきりと恐怖が浮かんでいた。


「こ、こんなことが許されるとでも……!」

「許す?」


 わたくしは小首を傾げる。


「一体誰が? ああ、あなた達の言う聖女様かしら。聖女様は奇跡の力で今すぐここに駆けつけ、あなた達を守ってくださるの?」



 そのまま、わたくしは再び扇を振るった。

 一発、二発。

 容赦なく。



「きゃあぁぁっ!」

「や、やめて下さいっ!」


 ダイアンを庇おうとした侍女達もまた悲鳴を上げて床に崩れ、逃げかけた最後の一人も部屋の隅まで追い詰めてやった。


「ひ、ひぃ……っ! こんな……こんなことって――!」


 ダイアンの声が震えている。ようやくライゼンブルグ家を怒らせるということの意味がわかったらしい。


「あなた達、よほど自分達は聖女に守られているという自信があるのね」

「あ、当たり前です……! こんなことをして、ただで済むと……」

「でもアデリーンは犯罪者まで守ってくれるかしら?」

「……え?」



 そこで、わたくしは取っておきの切り札を出すことにした。

 ダイアンの身辺調査で判明したのは、実にありふれた不正――聖具の横流しだ。



「ねえ、あなたが先日届けてくれた結婚祝い……【祝福の聖樹の枝】と【愛の誓いの聖水】だったかしら?」

「そ、それが何だと……」

「どちらも聖女由来の特別な聖具で、本来は値段などつけられない希少品のはずよね。でも不思議だわ。同じものを闇市で手に入れたという貴族や巡礼者が、複数いるのだけれど」

「!?」


 ダイアンの顔から、すぅっと血の気が引いた。


「な、何のことです。そんな証拠は……!」

「証拠?」


 わたくしは血のついた扇を優雅に揺らす。


「あなたが本来非売品であるはずの聖具を、闇市を通してブライト子爵やキルシュ伯爵に売り渡したという証言は、すでに取れているわ。みな、ありがたがって金に糸目はつけなかったそうじゃない。聖具ひとつで領地一年分の税収に匹敵するほどにね」


 言いながら、わたくしはダイアンの胸元のレースを指先でなぞる。


「侍女に似つかわしくない立派なお召し物も、そういう汚いお金で買ったのかしら?」

「――っ!」


 とうとうダイアンは堪えきれず、顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。


「ち、違います! 全部、アデリーン様のご指示で……!」

「まあ」


 わたくしは大げさに目を見開く。


「聖女様が、このような汚い金儲けを侍女に命じていた、と?」

「……!」


 しまった、と言いたげにダイアンの顔が引きつる。

 言い逃れのつもりだったのだろうが、むしろ事態をさらに悪化させただけだ。本来、特別な儀式でしか用いられぬ聖具を金儲けの道具にしていたなど前代未聞である。

 おそらく本当にアデリーンの指示なのだろう。だからこそ、なおさら都合がいい。


「それならそれで問題はさらに大きくなるわね。聖女様ご自身が立場を利用して聖具を密売していたことになるのだから」

「やめて……やめて! お願い、見逃して! こんなことが知られたら、私……!」

「聖女様に見捨てられてしまう?」


 握りしめていた扇を閉じ、その切っ先でダイアンの顎を持ち上げた。


「そうよね。アデリーンは、都合の悪くなった駒を簡単に切り捨てるでしょうね」

「……っ!」


 ようやく自分の置かれている立場が見えたのだろう。ダイアンの顔が絶望に染まっていく。


「そんな……私は、そんなつもりじゃ……」

「覚えておきなさい」


 わたくしは冷ややかに言い放つ。



「あなたが馬鹿にした我がライゼンブルグ家は、その気になれば、いつでも聖女の化けの皮を剥がせるのよ」

「――っ!」



 この瞬間、ダイアン達の命運は完全にこちらの手中に落ちた。

 コレットを侮辱し、いたぶり続けた報いは、きっちり受けてもらう。


「お義姉様……」

 

 背後からおそるおそる声がする。

 振り返れば、コレットが目を潤ませたままこちらを見つめていた。


「よく戦ったわね、コレット。今の気持ちを忘れないように」


 わたくしは扇を下ろし、今度は少しだけ柔らかく微笑んだ。

 パウラ達も主人の意図を察したのか素早く動き出し、荒らされた部屋を片付け始める。



「さあ、ダイアン。お帰りはあちらよ。聖女様にどうぞよろしくお伝えくださいまし」



 わたくしは部屋の出口を扇で示した。

 魂の抜けたような顔になった女達は、そのまま屋敷から力ずくで追い出される。



 ――ライゼンブルグ家を甘く見た代償、これからたっぷり払ってもらうわ。


 

 そう思いながら、わたくしは花がほころぶように微笑んだ。




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