8話 淑女教育は華やかに
わたくしの体調が回復した翌日から、『次期ライゼンブルグ公爵夫人育成計画』が始まった。
ノヴァリス伯爵邸で貴族としての教育をほとんど受けてこなかったコレットに、十人以上の家庭教師をつけ、分刻みの予定で貴族社会の何たるかを叩き込む。
優雅な立ち振る舞いや会話術、完璧なテーブルマナーやダンスは言わずもがな。
詩や文学の鑑賞、簡単な算術で教養を深め、公爵家の名誉を支えるだけの知性を身につけさせる。
さらに我が国の主要貴族の名、紋章、領地、歴史もすべて暗記。どの家がどれほどの力を持ち、どのような役割を担っているのかを理解することは、公爵夫人として絶対に欠かせない。
さすがに少し詰め込みすぎかしら、と心配になって様子を見に行けば、コレットは終始笑顔でダンスのレッスンを受けていた。
「さあ、コレット様。気品を忘れずに。右足を前へ、そっと滑らせて」
家庭教師のマダム・エレーヌの鋭い視線の下、コレットは背筋をぴんと伸ばし、長いドレスの裾を揺らしている。
「焦らないで。舞踏は力ではなく流れです。音楽に身を任せなさい」
「は、はい!」
ダンスホールには穏やかなメヌエットが流れ、最初はぎこちなかった動きも少しずつ旋律に馴染み始めていた。
「なかなか筋がいいわね」
「ええ。元々素直な性格でいらっしゃるから飲み込みも早いですわ。リズム感も悪くありません」
マダム・エレーヌも満足げに頷いている。ノーマンを相手に懸命にステップを踏むコレットを見て、わたくしはその輪の中へずかずかと割って入った。
「ノーマン、代わって。わたくしがリードするわ」
「これはこれは、お嬢様」
「お義姉様! お手を煩わせて申し訳ありません!」
「いいのよ。コレットに本物の舞踏というものを見せて差し上げますわ」
遠慮がちに差し出された手を取り、そのまま軽やかにステップを踏み出す。ひとつ息を整え、音楽の流れに体を乗せた。
「肩の力を抜いて、顎を上げて。あなたはもうただの伯爵令嬢ではないの。公爵家の人間として、堂々と振る舞いなさい」
「は、はい!」
右、左、ターン。
わたくしが導くたび、コレットの動きは少しずつ滑らかになっていく。やがてその顔には、緊張よりも楽しさが勝り始めたらしい。
「すごい……お義姉様、本当にダンスがお上手なんですね」
「あなたも楽しそうね」
「はい。まるで魔法みたいに体が軽いです。私なんかが本当にダンスを踊れるようになるなんて……」
貴族の娘として生まれながら、一度もまともに踊る機会を与えられなかったのだろう。
その境遇を思うと胸が痛む。けれど同時に、今からでも遅くないとも思う。奪われてきたものは、これからひとつずつ取り戻せばいいのだ。
一通りレッスンを終えると、わたくしはコレットの肩にぽんと手を置いた。
「あなたはまだまだ未熟だけれど、続ければ舞踏会でも人目を引くようになるわ」
「ブライア様の言う通りです」
マダム・エレーヌも微笑む。
「楽しむ心があれば、ステップは自然と身についてまいりますよ」
「お義姉様、マダム・エレーヌ、本当にありがとうございます!」
コレットは胸に手を当て、音楽の余韻に浸るように頷いた。
その様子を見届けてから、わたくしはノーマンを振り返る。
「急いでコレットの舞踏会用ドレスを二十着、新調して。もちろん最新の流行を取り入れた最高級のものよ」
「え? そ、そんな……私なんかに、もったいないです!」
「コレット」
わたくしは先ほどより少し低い声で名を呼ぶ。
「さっきわたくしが何と言ったか覚えていて? 『公爵家の人間として堂々と振る舞いなさい』と言ったはずよ」
「……はい」
「最高級のドレスは、あなた個人を飾るためだけのものではありません。我がライゼンブルグ公爵家の権威を示すための装いでもあるの。贅を尽くしたドレスも、美貌を磨くことも、貴族社会で生き抜くためには必要な戦略であり、道具なのです」
コレットはハッとしたように目を見開いた。
「だから『私なんか』などという言い方は許しません。あなたは自分を何だと思っているの? その言葉は、あなたを妻に選んだサイラスも、二人の結婚を認めたわたくしも、まとめて軽んじることになるのよ」
「……はい。申し訳ありません」
しゅんと肩を落とすコレットを見て、胸の奥が少し痛む。
厳しく言いすぎたかもしれない。けれど、ここは絶対に譲れないところだ。
(公爵夫人としての教養や見栄えは、教育でどうにでもなる。けれど自己肯定感の低さだけは、コレット自身が変わろうとしなければどうにもならないわ)
新たな課題が浮かび、わたくしは思わず眉を寄せた。
どうしたものかと考えていた、その時。
「お嬢様!」
パウラが慌てた様子でダンスホールへ駆け込んできた。
「どうしたの?」
「実は、聖女様からの使者が到着しておりまして……いかがいたしましょう?」
「またアデリーン?」
「いえ、本日は聖女様ご本人ではなく、侍女のダイアンと名乗る方が」
「え……!?」
その名を聞いた瞬間、コレットの顔色がさっと変わった。血の気が引き、目に見えて体が震え出す。
その反応だけで充分だった。
どうやら、とんでもない招かれざる客が来たらしい。
「コレットはここにいて」
短く言い残し、わたくしは応接室へと急いだ。
◇◆◇
公爵家自慢の応接室の真ん中で、その女は悠然と腰を下ろしていた。
聖女の侍女を名乗るダイアンは、四十を少し過ぎた頃だろうか。けれどその装いは、神殿に仕える者とは思えぬほど派手だった。
「公爵令嬢ブライア様、初めてお目にかかります。わたくし、アデリーン様の侍女を長らく務めておりますダイアンと申します」
慇懃に一礼し、口元だけで笑う。
「本日はアデリーン様の名代として、サイラス様とコレット様のご結婚を祝う品をお届けに参上いたしました」
「それはわざわざありがとうございます」
ダイアンの衣装は絹の光沢を帯び、胸元には贅沢なレース、裾には金糸の刺繍。神殿の清貧とはまるで縁のない、貴婦人じみた華やかさだった。
(今さらながら、聖女の周りも好き放題贅沢しているのね……)
しかも彼女の後ろには、さらに三人の若い侍女が付き従っている。どの顔にも妙な自信と不遜さが浮かんでいて、第一印象からして最悪だった。
「まず一つ目のお祝いの品は、アデリーン様自ら神殿で育てられた【祝福の聖樹の枝】にございます。永遠の愛と繁栄への祈りが込められております」
「まあ、そんな素敵なお品をいただけるなんて、当家の誉ですわ」
祈りというより呪いでも込めていそうだわ、とはもちろん口に出さない。
後で全力で処分するだけである。
「二つ目は【愛の誓いの聖水】。満月の夜に神聖な泉より採取した、悪しきものを浄化する万能の聖水にございます」
「本当に素晴らしい贈り物だこと」
はいはい、悪しきものはそちらではなくて? というツッコミも、優雅な笑顔の奥にしまい込む。
「そして最後の贈り物が、わたくし達侍女団でございます」
「……侍女団?」
「はい。わたくし達は長年にわたりアデリーン様とコレット様、ノヴァリス伯爵家のご令嬢方にお仕えしてまいりました。公爵家へ嫁ぎ、心細い思いをしているであろうコレット様をお支えせよと、聖女様より特別に命じられております」
「…………はあ?」
さすがに本音が漏れた。
つまり何。
このどう見ても胡散臭い侍女達を、公爵家へそのまま置いていけと?
アデリーンの息がかかった者を?
正気なのかしら。
「姉君を大切に思う聖女様の、何よりのお心遣いでございます」
ダイアンはにこやかに言う。
「まさか、お断りにはなりませんわよね?」
無言の圧だった。
理由もなく追い返せば、王家や神殿に何を吹き込まれるかわからない。ライゼンブルグ家が聖女の厚意を踏みにじった、などと吹聴されれば面倒なことになる。
(……いいわ。受けて立とうじゃない)
わたくしはダイアンを真正面から見返し、にっこりと笑った。
「ええ。コレットもきっと喜ぶでしょう。どうかよろしくね」
一も二もなく快諾したわたくしに、ダイアンの眉がわずかに動く。
応接室の空気が、一瞬で張り詰めた。
アデリーン。
そしてダイアン。
我がライゼンブルグ公爵家に正面から喧嘩を売るとは、いい度胸だこと。
――これから丁重に、おもてなしして差し上げるわ。
胸の奥で、闘志が熱く燃え上がった。
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