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4話 聖女の訪問

 

 結婚式の翌朝。

 わたくしは、近年稀に見るほど晴れやかな気分で目を覚ました。

 胸の内がふわふわと軽い。目に映るもの全てがいつもより明るく見えて、窓辺で囀る小鳥の声すら祝福の歌のように思える。昨夜のことを思い出すたび、頬がゆるんで仕方なかった。


 ちゃんと祝えたのだ。

 前の人生では踏みにじってしまったサイラスとコレットの門出を。

 今度こそ姉として。


「サイラスとコレットはどうしているのかしら?」


 朝食の席で、焼きたてのパンをちぎりながらノーマンに尋ねる。


「お二人ともまだお休みのようでございます。本日の朝食はご一緒できないとの伝言がございました」

「あら、そうよね。昨日は色々と大変だったもの。ゆっくり休ませてあげてちょうだい」

「かしこまりました」


 自然と口元がほころぶ。

 我がライゼンブルグ公爵家の屋敷は広い。王宮にも劣らぬ規模を誇り、大小さまざまな棟が中庭を囲み、大理石の回廊で結ばれている。

 前の人生で、わたくしはこの広大な屋敷の中でもっともみすぼらしい作業棟の物置部屋へコレットを追いやった。弟の妻とは認めず、使用人以下の扱いをしたのだ。

 けれど今回は違う。

 コレットは最初からサイラスの暮らす東棟へ迎え入れた。東棟は居室の造りもよく、図書室も音楽室もある。公爵家の跡取りの妻としてふさわしい環境だし、何より、あの人をもう二度と惨めな思いなどさせたくなかった。


 ……それに、コレットは本物の聖女なのだ。

 今はまだ誰も知らない。けれど、わたくしだけは知っている。

 だからこそ、なおさら守らなければならない。


(まずは第一関門突破。でも、本番はここからよ)


 気を引き締めるように、紅茶をひとくち飲む。

 結婚式を無事に終えられたからといって、何もかも解決したわけではない。

 むしろここからが始まりだ。来るべき破滅を防ぐには、アデリーンの正体を暴かなければならない。

 けれど相手は国中が崇める聖女様。

 わたくしがいくら「偽物です」と叫んだところで、証拠がなければ誰も信じない。


「ノーマン、今日は何月何日だったかしら?」

「十月三日でございます」

「十月三日……」


 指先が、かすかに強張る。

 アストラエアの誓祭まで、三か月もない。

 我が国の守護女神アストラエアの誕生を祝うその祭の日――十二月二十五日。前の人生では、その日にジスカの侵攻が始まった。

 つまり、そこが期限だ。

 それまでにアデリーンの化けの皮を剥がし、コレットを守り、この国の破滅を食い止めなければならない。


(そして確か……サイラスの結婚式の翌日には)


 そこまで考えた時だった。

 食堂の扉が開き、パウラがどこか困ったような顔で入ってくる。


「ブライア様、突然のご来客が……」

「あら」


 わたくしは思わず目を細めた。


「アデリーン=ノヴァリス嬢。聖女様ご一行がお見えになったのね?」

「……左様でございます。サイラス様とコレット様のご結婚を祝いたい、と」

「そう」


 やはり来た。

 前の人生でもアデリーンは結婚の翌日に屋敷を訪れた。祝いの言葉を口にしながら、その裏でコレットを貶め、わたくしを焚きつけるために。

 以前のわたくしは、見事なほどその甘言に乗せられてしまったけれど。


(今度はそうはいかないわ)


 わたくしはナプキンを整えて席を立つ。


「サイラスとコレットには知らせなくて結構よ。わたくしが応対するわ」

「かしこまりました」


 食堂を出る途中、鏡の前で足を止める。

 鏡の中のわたくしは昨日までの浮かれた姉ではない。胸の奥には煮え立つような怒りがある。

 コレットを傷つけ、わたくしに剣を突き立て、国まで滅ぼした女への憎しみが、黒い炎のように渦巻いていた。

 しかしそれを顔に出すわけにはいかない。

 深く息を吸って、にっこりと口元に笑みを浮かべた。


 公爵令嬢らしく。

 優雅に、艶やかに。

 今は素知らぬ顔であなたを迎えてあげるわ。

 ねぇ? 偽聖女・アデリーン。



    ◇◆◇



 聖女の力は、歴代すべて同じではない。

 初代聖女は癒しの力で戦場の兵士達を救い、二代目は疫病を祓い、三代目は災厄を予見し、四代目は光の加護でもって敵を退けた。

 奇跡の形は違ってもどの聖女も国を守り、人々を救った。だからこそ聖女は神の愛し子として崇められ、その証である白聖石は何より尊いものとされている。


 そして今、その五代目として崇められているのがアデリーンだ。

 十二年前、瀕死の国王陛下を救った奇跡の少女。

 アストラエア大神殿に迎えられ、国のために祈りを捧げる尊き聖女。

 人々はそう信じ、疑っていない。

 ……けれどその奇跡は本当に“救い”だったのかしらね。




「ごきげんよう、ブライア様。このたびは姉がサイラス様のもとへ嫁いだと伺い、慌てて駆けつけましたの」

 

 玄関ホールで待っていたアデリーンは、今日も完璧な聖女の顔をしていた。

 純白のシルクドレス。金糸のような巻き髪。朝の光を受けて輝く白い肌。背後には聖騎士団が整然と控え、その後ろには侍女たちがずらりと並んでいる。



 相変わらず絵に描いたような清らかな美少女だ。

 ――その化けの皮の下に、毒蛇のような本性を隠していなければ。



「ようこそお越しくださいました、アデリーン様。先月の舞踏会以来かしら?」

「ええ。あたしとても心配しておりましたの。姉のコレットがブライア様に何かご迷惑をおかけしていないかって」

「まあ」


 舌の上に苦味が広がる。

 心配する妹を装いながら実際には相手を見下し、自分のほうが上だと言外に示す。前の人生のわたくしは、まんまとそれに乗せられた。


『実を言うと、わたくしはサイラスの妻にはあなたのほうがふさわしいと思っていたのです』



 ――あの時の自分を、今すぐ引きずり出して殴りつけたい。



「ご心配には及びませんわ」


 わたくしは、にっこりと微笑んだ。


「弟が素晴らしい奥方を迎えることができて、わたくし、心から喜んでおりますの」

「……え?」

「昨日の結婚式も本当に素敵でしたわ。ご家族であるアデリーン様をお招きできなかったことだけが少々心残りですけれど」


 アデリーンの目が、わずかに見開かれる。

 そうでしょうね。

 コレットへの不満や悪口が返ってくるとでも思っていたのでしょう?


(我慢よ、ブライア)


 今ここで平手打ちしてやりたい衝動を、扇の骨がきしむほど強く握りしめて抑え込む。

 アデリーンはすぐに微笑みを作り直し、困ったように眉を寄せた。


「でも姉はあのように地味で、伯爵家でもほとんど表に出ることがありませんでしたの。貴族としての嗜みも、社交も、まだまだこれからでしょう? 公爵家にご迷惑をおかけするのではないかと思うと、あたし本当に心配で……」

「そう」

「それにサイラス様は、将来を嘱望されるライゼンブルグ家の跡取りですもの。もっと美しく、もっとふさわしい女性が――」

「ご心配ありがとうございます」


 ぴたり、と言葉を重ねて遮る。


「けれど貴族としての教養も嗜みも、これから義姉であるわたくしがしっかりお教えいたしますわ。コレット様を立派な貴婦人にしてみせます。ですからどうかご安心なさって」

「……え?」

「ご用件はそれだけでして? 申し訳ありません。わたくし、本日は少々立て込んでおりますの」

「……っ!」


 空気が、ひやりと冷えた気がした。

 門前払いなどされたことがないのだろう。アデリーンの笑みが、あからさまに強張る。


「ノーマン、パウラ。聖女様を丁重にお見送りして」

「かしこまりました」


 これ以上つき合う義理はない。

 わたくしは踵を返し、その場を去ろうとした。



 ――が、その時だった。



「お待ちください、ブライア様」


 呼び止められて振り向けば、アデリーンが右手をこちらへ差し出していた。

 その仕草は、傍から見れば慈悲深い聖女そのもの。

 けれど。


(……何、あれ)


 右手のまわりに、赤黒い靄のようなものが見えた。

 目の錯覚かと思う。けれど違う。たしかに見える。白聖石の淡い輝きにまとわりつくように、薄汚れた靄が蠢いていた。


「強がっていらっしゃるのでしょう?」


 アデリーンは憐れむように目を細める。


「大事な弟が、ご自分の望まぬ女と結婚してしまったのですもの。昨夜はきっと、一睡もできなかったのでしょうね」

「何を――」

「ああ、やっぱり。お顔色が悪いですわ」


 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。

 次の瞬間、膝から力が抜ける。


「……っ!」


 視界がぐらりと揺れた。足元が崩れ、咄嗟に壁へ手をつこうとしても、指先にうまく力が入らない。胸の奥がすうっと冷えていく。血の気が引くというのは、こういうことを言うのだろう。


「ブライア様!?」


 パウラの悲鳴が遠く聞こえる。

 わたくしは床に片膝をついた。指先が石床に触れる。冷たい。いや、違う。冷えているのは床ではない。わたくしの体のほうだ。


「ああ、やはり。心労が重なってお身体に障ったのですね」


 アデリーンが淑やかに歩み寄ってくる。


「大丈夫ですわ。あたしが癒して差し上げます」



 ――ふざけないで。



 そう言い返したいのに、喉がうまく動かない。

 アデリーンの右手から、赤黒い靄がゆるゆると伸びてくる。煙のようで、液体のようで形が定まらない。それがわたくしの腕に、肩に、首筋に絡みついた瞬間――全身の熱がごっそり奪われた。


「っ、あ……!」


 寒い。

 あまりに冷たくて、歯が鳴りそうになる。

 けれどそれだけではない。

 冷えているのに、同時に内側を何かに掻き回されるような不快感がある。

 脈打つ命の熱を、無理やり外へ引きずり出されているような感覚。


 これが、癒し?

 こんなものが?


 アデリーンは慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、わたくしを見下ろしている。周囲の者たちには、聖女が体調を崩した公爵令嬢へ加護を施しているようにしか見えないのだろう。


 けれど違う。

 これは癒しではない。

 救っているのではなく、奪っている。

 命の熱を。

 生きるための力を。

 わたくしの中から、根こそぎ。





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