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3話 やり直しはここから始めましょう


 

「お待ちなさい、サイラス――!」



 わたくしの声が、静まり返った教会の中に高らかに響き渡った。

 祭壇の前に立っていたサイラスが、信じられないものを見るように目を見開く。

 その隣では花嫁衣装とは到底呼べぬ粗末な白いワンピースを身にまとったコレットが、びくりと肩を震わせていた。


「あ、姉上……!?」


 サイラスの顔色が瞬く間に変わる。

 驚愕、警戒、困惑――それらがないまぜになった、なんとも言えない表情だった。

 無理もない。

 前のわたくしなら、まさしくこの場を壊しに来たことでしょうから。


「まさかここまで追いかけてくるなんて……っ」


 サイラスはすぐさま険しい顔になると、半歩前へ出てコレットを背中に庇った。


「姉上、これ以上はやめてください! 私達の結婚がそれほどまでに気に入らないのですか!?」

「サイラス様……」


 コレットもまた、不安げにわたくしを見つめている。

 榛色の瞳に揺れているのは怯えと戸惑い、そして諦めにも似た影。


 そうね。

 そうよね。

 そう思って当然なのよ。

 前の人生のわたくしが、そういう女だったのだから。


 けれどだからといって今さら立ち尽くしている暇はない。

 わたくしはそのままズカズカと祭壇へ歩み寄った。するとサイラスの表情がますます強張る。


「姉上!」

「黙りなさい!」

「!?」


 ぴしゃりと言い放つと、サイラスは息を呑んだ。

 けれどわたくしが怒っているのは、結婚そのものではない。

 わたくしはサイラスの脇をすり抜け、そのままコレットの前へ立つ。

 そして間近でその姿を見て――思わず、ぐっと奥歯を噛み締めた。


 ああ、なんてこと。

 あまりにも慎ましく、あまりにも寂しい花嫁姿。

 粗い布地の白いワンピース。飾り気のない髪。化粧らしい化粧もほとんど施されておらず、手元を彩る花一輪すらない。

 ライゼンブルグ公爵家の跡取りに嫁ぐ花嫁が、こんな姿で祭壇に立ってよいはずがない。

 いいえ、それ以前に――ひとりの花嫁が、このように寂しげな姿で婚礼の日を迎えてよいはずがないのよ。


「情けない」

「……は?」

 

 サイラスが間の抜けた声を漏らす。

 わたくしはくるりと振り返り、弟を真正面から睨みつけた。


「情けないと言っているのよ、サイラス。女にとって結婚式がどれほど大切なものか、あなたはまるでわかっていないのね!」

「え……?」

「え、ではありません!」


 びしっと指を突きつける。


「一生に一度の婚礼の日ですのよ!? 花嫁は世界で一番幸せで、世界で一番美しい姿であるべきでしょう! それをこんな森の奥の教会で、参列者もなく、ろくな支度もないまま済ませようだなんて……。ああ、本当に我が弟ながら無粋にもほどがありますわ!」

「姉上……?」


 サイラスはぽかんと口を開けていた。

 まさかそんな方向から叱責されるとは夢にも思っていなかったのだろう。

 けれどわたくしは本気で腹を立てていた。

 改めてコレットへ向き直り、その細い両手をそっと取る。


「コレット嬢」

「は、はい……っ」

「ごめんなさい」

「……え?」

「こんな弟で、本当にごめんなさい」


 わたくしが頭を下げると、コレットは大きく目を見開いた。

 背後ではサイラスが「姉上!?」と情けない声を上げている。

 けれど今はそれでいい。

 まず伝えるべきことは、きちんと伝えなければならない。


「ですがご安心なさい。式はやり直します」

「……はい?」

「まだ誓いの前でしょう? でしたら間に合いますわよね、牧師様」


 いきなり話を振られた老牧師は、聖書を抱えたまま何度も目を瞬かせた。


「は、はあ……。まだ誓約そのものは交わしておりませんが……」

「結構」


 わたくしは満足げに頷き、そのまま教会の扉のほうへ声を張り上げる。


「入りなさい!」


 次の瞬間、待機していた使用人達が一斉に教会へなだれ込んできた。


「なっ!?」


 サイラスが目を剥く。

 ノーマン、パウラ、侍女達、衣装係、装飾係、さらには大きな箱や花籠を抱えた使用人まで。つい先ほどまでひっそりとしていた教会が、あっという間に人で溢れ返った。


「では式の開始は一時間後に変更いたします! 皆、取り掛かりなさい!」

「かしこまりました、ブライア様!」


 わたくしの号令とともに、使用人達が一斉に動き出す。

 装飾係は祭壇や長椅子へ駆け寄り、侍女達はコレットの周りを囲み、衣装係は運び込んだ箱を手際よく開けていく。

 まるで長く練習してきた舞台の幕が上がったかのような鮮やかさだった。


「ひゃっ!?」

「コレット様、どうぞこちらへ」

「すぐにお支度いたしますわ!」

「まあ、なんてお肌がお綺麗なんでしょう。きっとお化粧映えいたします!」

「あ、あの、私……!?」

 

 突然大勢に囲まれて、コレットは完全に混乱している。

 そこへサイラスが慌てて助けに向かおうとしたので、わたくしはすかさずその腕を掴んだ。


「サイラス、あなたはあちらです!」

「え?」

「え、ではありません。あなたも着替えるのよ」

「き、着替える!?」

「当然でしょう」


 わたくしは呆れきった顔で弟を見上げた。


「まさかそのままの騎士服で、わたくしの前で正式な婚礼を行うつもりだったの!?」

「正式な婚礼って……いや、私はこれで充分――」

「充分ではありません!」


 ぴしゃりと遮れば、サイラスはぐっと言葉に詰まった。


「あなたはライゼンブルグ公爵家の跡取りです。そして今日結婚する相手は、あなたが心から望んで妻に迎える女性なのでしょう?」

「それはもちろん……!」

「ならばなおさらよ。堂々としなさい。隠れるように婚礼を挙げる必要など、本当はどこにもなかったのだから」


 その言葉に、サイラスは一瞬だけ黙り込んだ。

 わかっている。そもそもこんな状況に追い込んだ張本人は他ならぬわたくしだ。だからこそ今、目を逸らすわけにはいかない。

 今度はサイラスの手を取り、少しだけ声を和らげる。



「……今日はわたくしが立会人になります。だからあなたは安心して花婿でいなさい」

「姉上……」



 サイラスが呆然とわたくしを見つめる。

 その顔を見て、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 本当なら、もっと早く言うべきだった。

 もっと早く、姉として支えるべきだった。

 けれど今は悔やむより先にすべきことがある。


「ほら、ぼんやりしない! 衣装係、この子を連れて行きなさい!」

「かしこまりました!」

「うわっ、おい、引っ張るな!?」


 半ば連行されるように連れて行かれるサイラスを見送り、わたくしはくるりと教会内を見回した。

 見違えるようだった。

 白い布が祭壇を覆い、長椅子には花と常緑樹の枝があしらわれ、赤い敷布が中央へと美しく伸びていく。

 さきほどまで質素で寒々しかった小さな教会が、みるみるうちにあたたかな祝福の場へと変わってゆくのだ。


 うん、よろしい。

 実によろしいわ。


 一人満足しながら、二人の支度が整うのを待つ。それからしばらくして。


「ブライア様」


 パウラに呼ばれ、わたくしは振り返った。

 そして思わず、息を呑む。


 教会の入り口に、コレットが立っていた。

 ライゼンブルグ家に伝わる花嫁衣装は、決して派手すぎるものではない。上質な白絹を幾重にも重ね、繊細な刺繍と銀糸で気品を添えた、由緒ある装いだ。

 その衣装が、コレットには驚くほどよく似合っていた。

 控えめで、柔らかで、それでいて確かに目を奪う美しさ。

 栗色の髪は光を受けてやわらかく艶めき、榛色の瞳は戸惑いに揺れながらも、澄んだ光を宿している。


 ……ああ。

 わたくしは本当に、なんて見る目がなかったのだろう。

 聖女という華やかな看板にばかり目を奪われて、こんなにも静かで、こんなにも清らかで、こんなにも愛らしい人を、ずっと地味だの冴えないだのと決めつけていたなんて。


「ブライア様……」


 コレットが不安げにこちらを見つめる。


「その、こんな立派なお衣装、私には畏れ多くて……」

「何をおっしゃるの」


 わたくしはすぐに歩み寄り、彼女の前に立った。


「とてもよくお似合いですわ。今日のあなたは、誰より綺麗よ」

「……っ」


 コレットの目が大きく見開かれる。

 まるでそんな言葉をかけられる日が来るなど、夢にも思っていなかったかのように。


「さあ、参りましょう」


 わたくしは片手を差し出した。


「わたくしが、あなたを祭壇までお連れします」

「え……?」

「本来ならお父上の役目なのでしょうけれど。今日はどうか義姉にその名誉をお与えくださいな」


 コレットはしばらく戸惑っていたけれど、やがておそるおそるわたくしの手に自分の手を重ねた。

 その小さな重みを感じた瞬間、喉の奥から熱いものがこみ上げた。



 今度こそ。

 今度こそ、この手を離しはしない。



 わたくしはコレットを伴い、赤い敷布の上をゆっくり歩いた。

 祭壇の前では、着替えを終えたサイラスが待っている。

 深い藍色の礼装に身を包んだ弟は、息を呑んだようにコレットを見つめていた。

 その瞳に浮かぶのは、見惚れるような感嘆と、どうしようもないほどの愛情。


 ああ、この子は本当にコレットを愛しているのだ。


 そんな当たり前のことを、前の人生のわたくしはどうして見ようともしなかったのだろう。

 サイラスの前まで来ると、わたくしはコレットの手をそっと彼へ預けた。


「我が弟は見目はよろしいけれど、少々不器用で無粋なところがありますの」

「姉上……」

「ですがあなたを想う気持ちだけは本物よ。それだけは姉のわたくしが保証します」


 そう言ってから、わたくしはコレットへ向き直る。



「コレット=ノヴァリス嬢。改めて問いますわ。こんな弟でも、共に歩んでくださる?」



 コレットは目に涙を滲ませながら、こくりと頷いた。


「……はい」


 その返事を聞いた瞬間、とうとうわたくしの涙腺が壊れ始めた。

 危うく泣き崩れそうになるのを堪え、すっと一歩後ろに下がる。


「では牧師様。今度こそ、お願いいたします」


 老牧師は感極まったように何度も頷き、それから厳かに誓いの言葉を読み上げ始めた。

 静かな教会の中に、二人の誓いが響く。

 つい先ほどまでの寂しさは、もうどこにもない。

 長椅子にはライゼンブルグ家の使用人達が並び、皆が笑顔で新郎新婦を見守っていた。侍女の中にはすでに涙ぐんでいる者もいる。ノーマンなど、白いハンカチでしきりに目元を押さえていた。


「おめでとうございます、サイラス様!」

「おめでとうございます、コレット様!」

「なんて素敵……!」

「ブライア様、お見事でございます……!」


 祝福の声があちこちから上がる。

 わたくしも、もう我慢できなかった。

 頬を伝う涙をそのままに、二人を見つめる。


 良かった。

 本当に、良かった。

 前の人生ではできなかったことを、今はちゃんとできている。

 二人の門出を、心から祝福できている。



「幸せにならなかったら許しませんからね……!」



 思わずしゃくり上げながら言うと、サイラスが苦笑混じりに目を潤ませた。


「ありがとうございます、姉上。まさか姉上がここまでしてくださるなんて……」

「ブライア様……」


 コレットもまた、涙をこぼしていた。



「私、今日のことを一生忘れません……!」



 そんなふうに言われてしまっては、こちらのほうがたまらない。

 わたくしは二人へずかずか歩み寄ると、そのまままとめて抱きしめた。


「当然ですわ! 今日という日は一生忘れては駄目なのです! あなた達にとっても、わたくしにとっても、大事な始まりの日なのですから!」

「ぐっ、姉上、苦しいです……!」

「サイラス様、大丈夫ですか!?」

「あなた達が細すぎるのよ!」


 教会中に笑いが広がる。

 あたたかくて、切なくて、幸せな空気だった。


 ――今度こそ、間違えなかった。

 教会の中には優しい日差しが降り注ぎ、まるで快晴の空までもが二人の門出を寿いでいるかのようだった。





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