27話 変わり始めた未来2
王宮の大広間は、今夜も眩い光に満ちていた。
天井から下がる幾百もの蝋燭が水晶飾りに反射し、磨き上げられた床へ金色の光を落としている。楽団の奏でる優雅な調べと、華やかに着飾った貴族たちの談笑。
しかしこの場を満たしているのは、祝いの空気だけではない。
「やはり今夜発表されるらしい」
「第二皇子殿下と聖女アデリーン様が……?」
囁きが、さざ波のように広がっていく。
誰もが笑みを浮かべながら、腹の内では同じことを考えているのだ。
第一皇子ディミトリと第二皇子セルジオ。
これからどちらにつくのが、己にとって得なのか――と。
留学先から帰国するなり、さまざまな改革に着手したディミトリは、誰の目にも優秀だった。
けれど古い慣習を改めたことで利権や役職を失った者も多い。
変化を嫌う保守派の間では、反第一皇子の気運が急速に高まっている。
一方のセルジオ殿下は、実務能力では兄に遠く及ばない。
しかし母である第一側室マルガリータ様のご実家、ハーデン侯爵家は強大な力を持つ。
現役の軍務大臣である侯爵に加え、聖女アデリーンと聖アストラエア教会まで味方についたとなれば、もはや侮れない存在だ。
そんな二人の勢力を値踏みする視線が、ディミトリの婚約者であるわたくしへ向けられている。
そしてもう一人――噂の聖女として注目を集める、コレットにも。
扇の陰で交わされる囁きに気づかないふりをして、わたくしは背筋を伸ばした。
隣では、サイラスがコレットの手をしっかりと支えている。
こんな時こそ、怯んではいけない。
「これはこれは。ライゼンブルグ公爵家の皆様が、お揃いでしたか」
余裕を含んだ声に振り返ると、噂の渦中の人・セルジオ殿下がこちらへ歩いてくるところだった。
わたくしたち三人は、揃って優雅な礼を取る。
「第二皇子殿下にご挨拶申し上げます」
「どうぞ楽になさってください。そちらが噂のもう一人の聖女ですか。実に可愛らしい方だ」
セルジオ殿下は柔和に微笑みながら、コレットを頭の先から爪先まで眺めた。その目つきは、ひとりの人間というより、珍しい品物を品定めしているようだった。
「兄上はご多忙のようですね。今宵も婚約者をお一人になさるとは。かつて囁かれた『忘れられた皇太子妃殿』という呼び名を、思い出す者がいなければよいのですが」
気遣いを装った言葉に、近くで聞き耳を立てていた者たちが気まずそうに視線を逸らす。
「しかし心配には及びませんね。今はそちらのご夫人が話題を集めてくださっている。真鍮も丁寧に磨けば、しばらくは黄金のように輝くものです」
「っ!」
刹那、サイラスの顔から表情が消え、コレットの肩が小さく強張った。
真鍮も磨けば、一時は黄金のように輝く。
つまりそれは、偽物も上手くとりつくろえば本物のように見える。だがそのメッキはすぐに剝がれるだろう。
言い方は洒落ているが、明らかにコレットを侮蔑する言葉であったからだ。
でもわたくしは腹が立つより先に、この男を哀れだと思った。
他人を見下さなければ、自分の価値を確かめられない。
そこに、国を背負う者としての思慮も覚悟もない。
わたくしは扇を閉じ、にこやかに微笑み返した。
「母君のご実家や聖女の威光……そうした他人の力を借りなければ、ご自身の価値を証明できない殿下のご焦燥、お察しいたしますわ。どうぞ、その大きすぎる後ろ盾に、いつか押し潰されてしまわぬようお気をつけくださいませ」
「な……っ」
皮肉には皮肉で返す。
わたくしの反撃に、セルジオ殿下の頬が引きつった。
そしてその喧嘩を買ったのは殿下ご自身ではなく、背後から現れた人物だ。
「ええ。そのようなことにならぬよう、あたしがセルジオ殿下をお支えいたします」
凛とした声とともに現れたのは、純白の聖衣をまとったアデリーンだった。
金糸と宝石で飾られた聖衣は、いつものものよりはるかに豪奢だ。
「先日のパレードではどうも」
アデリーンはセルジオの腕へ自らの腕を絡め、親しげに寄り添った。
コレットが人々を救った奇跡には一切触れず、あくまで過ぎ去ったつまらない出来事のように受け流す。
「あたしたちもサイラス様とお姉様のように、素敵な夫婦になりたいと思っているんですの」
「この度は、ご婚約おめでとうございます」
コレットが丁寧に頭を下げる。
「アデリーン。姉として、あなたの幸せを心から祈らせてください」
「ありがとうございます、お姉様」
傍目には、婚約を祝う姉妹の和やかな会話に見えただろう。
それなのに、胸の奥へ冷たい棘が刺さったような感覚が消えない。
以前のアデリーンなら、わたくしやコレットを前にして、これほど余裕のある態度を保てなかったはずだ。
自分の勝利を疑っていないかのような笑みは、一体どこから来るのだろう。
――今度は、何を企んでいるの?
わずかに眉を寄せたわたくしへ、アデリーンは意味ありげに微笑む。
けれどセルジオ殿下とともに遠ざかっていく背中から、その思惑を読み取ることはできなかった。
◇◆◇
晩餐の後、楽団が軽やかな舞曲を奏で始めた。
サイラスはコレットの前へ跪き、その手を取る。二人が広間の中央へ進み出ると、周囲から感嘆の声が上がった。
「あれが、もう一人の聖女?」
「なんて可愛らしい方だ」
初めは緊張していたコレットも、サイラスに導かれるうちに頬をほころばせていく。互いを見つめる二人の間に、誰にも入り込めない信頼があることは明らかだった。
今夜のわたくしは、弟夫婦を立てるため壁の花に徹している――というのは、半分だけ本当だ。
本来ならば、皇太子の婚約者であるわたくしは、ディミトリにエスコートされるはずだった。
ところが出立の直前、『急用ができたため、今夜はエスコートできない』という短い書状とともに、代わりの護衛騎士が寄越されたのだ。
あのディミトリが、理由も告げずに約束を違えるなんて。
胸騒ぎを覚えていると、やがて曲が終わり、最後の楽器の音が消える。
そしてラッパの音が高らかに鳴り響いた。
広間中の者が一斉に姿勢を正したのち、いよいよ国王陛下と王妃陛下が皆の前に姿を現す。その背後には、第一皇子であるディミトリが付き従っていた。
(ディミトリ……。よかった、元気そう)
しばらくぶりに見慣れた顔を見つけて、ふと安堵しかける。……が、すぐに正体不明の違和感を覚えた。
ディミトリはわたくしを見つけても笑みさえ浮かべず、厳しい表情のまま陛下の後ろへ控えたのだ。
……あら? 一体どうしたのかしら?
普段は余裕ある態度を崩さないディミトリの変化に、わたくしも無意識に唇を引き結ぶ。
そして国王陛下が居並ぶ者たちを見渡し、厳かに口を開いた。
「今宵、皆に喜ばしい報せがある。我が息子、第二皇子セルジオと、聖アストラエア教会が誇る聖女アデリーン殿との婚約が正式に決まった。両名の前途を、皆とともに祝いたい」
祝福の拍手が大広間を満たし、セルジオは得意げに一歩前へ出る。
「聖女アデリーン様との婚約は、私に皇子としての自覚を強く促してくれました。この国のため、自分がなすべきことは何かと改めて考える機会を得たのです」
殊勝な口ぶりで語り、わずかに間を置く。
「私のような者に大役が務まるのか、正直不安もございました。ですがこのたび隣国ジスカとの和平協定、ならびに領土不可侵条約を締結する運びとなりましたことを皆様にご報告いたします」
「っ!」
その言葉に、大広間が割れんばかりにどよめいた。
もちろんわたくしも。
サイラスも。
コレットも。
驚きのあまり、言葉を失う。
「あのジスカと?」
「この大陸で侵略を繰り返してきた国だぞ」
「しかし事実ならば、これほど大きな成果はない!」
驚きは、たちまちセルジオを称える声へと変わっていく。
その賞賛に満足したのか、セルジオは再び笑みを湛える。
「我が国の安寧にわずかながらも貢献できたのであれば、それに勝る喜びはございません!」
鳴りやまない拍手の中で、セルジオは陶然と胸へ手を当てた。
でもその声はもう、わたくしの耳に届いていなかった。
ジスカと、和平?
あり得ない。
あの国は前回、アデリーンと共謀し、王都の門を開いて攻め入った。
そして押し寄せたジスカ軍によって、王城も貴族の屋敷も炎で焼き払われたのだ。
それなのに、今回は和平を結ぶというの?
また未来が変わった?
良い方向に?
いいえ。とても、そうは思えない。
アデリーンは鳴り響く拍手を浴び、まるで自分こそがこの国へ平和をもたらしたかのように微笑んでいる。
そしてディミトリも、祝杯が上がる中で笑み一つ見せていなかった。
思わず、羽扇を持つ手が震える。
眩い大広間が、炎に包まれたあの日の王都と重なった。
絹の衣擦れは逃げ惑う人々の足音に。
歓声は多くの人々の断末魔の叫びへ。
拍手は舞い散る火の粉の音へと変わっていく。
「お義姉様……」
コレットの手が、わたくしの手へそっと重ねられた。
温かな指先に引き戻され、震える足を叱咤する。
ダメよ。
ここで崩れるわけにはいかない。
何が起きているのか、確かめなければ。
けれどその間にも、和平を信じて疑わない人々は次々に杯を掲げていた。
誰もが戦のない明日を夢見ている。
澄んだ音を立て、幾つもの杯が重なった。
その祝福の音が、わたくしには王都の滅びを告げる鐘のように聞こえたのだった。




