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14話 水鏡の罠1

 


 シャンデリアの光が水晶のようにきらめく伯爵邸の大広間。

 夜会の幕が上がると、楽団の弦楽が荘厳に響き渡り、最初のワルツが始まった。


「さあ、行くわよ」

「はい、お義姉様」


 わたくしはコレットを優しくエスコートし、ファーストダンスの輪の中へ導く。まさかコレットとのダンスのレッスンが、こんな形で役立つとは思わなかった。

 わたくし達がステップを踏み出すと、周囲の貴族達は息を呑み、ざわめきが波のように広がっていく。


「あれがサイラス殿の奥方か?」

「エスコートしている美男子は誰だ?」


 中には、わたくしの男装に気づいていない者もいるようで、なんだかおかしくなってしまう。コレットもつられて明るい笑顔を見せた。


「お義姉様のおかげで、今夜は楽しい夜会になりそうです」

「その意気よ、コレット」


 皆の視線の中心で、わたくしは完璧なリードを見せる。

 そのたびに、遠くからわたくし達を見つめる伯爵夫人の肩が小刻みに震えているのが見えた。


「ブライア様、とても素敵でした!」

「コレット様も、本当にダンスがお上手で」


 一曲踊り終えると、貴族の子女達が一斉に群がってくる。

 わたくしはコレットを守るように背へ手を回し、にっこりと微笑んだ。


「ありがとう。コレットは可愛いわたくしの義妹よ。皆さん、仲良くしてくださると嬉しいわ」

「もちろんですわ、ブライア様」

「コレット様、ぜひ今度我が家のお茶会に!」


 わたくしの取り巻き達は、我が意を得たりとばかりにコレットを歓迎する。

 でもその一方で、これ見よがしに嫌味を投げてくる者もいた。


「ですが今夜のダンスはブライア様のリードが上手かったからでは?」

「私はサイラス様とのダンスも拝見したかったですわ」


 かつてサイラスに懸想し、自分こそが公爵家の妻にふさわしいと夢見ていた令嬢達の嫉妬混じりの視線が、コレットへと注がれる。

 しかしそれも想定のうちだ。


「ええ、お義姉様のリードは完璧でした」


 コレットは穏やかに微笑んだ。


「自慢の義姉をお褒めに預かり光栄ですわ、ドロシー様、イザベラ様。まだまだ未熟な私ですが、これからいろいろご指導いただけると助かります」

「え? わたくし達を知っているの?」

「もちろんでございます」


 初対面のはずの令嬢達の名を、コレットは見事に言い当てた。

 しかも、ただ名を呼ぶだけではない。


「ドロシー様はリュートが大変お上手だとか。去年の春の宴で『まるで森の精が奏でているようだ』と大層評判になったそうですね」

「そ、そんなこともありましたわね……」


 ドロシー嬢の頬がうっすら赤くなる。

 コレットの視線は流れるように隣の侯爵令嬢へ移った。


「イザベラ様、あなたの刺繍は芸術品だとサイラス様が絶賛しておりました。『あの薔薇の立体感は、まるで生きているようだ』と」

「ま、まあ……」


 イザベラ嬢は扇で口元を隠し、気まずそうに視線を逸らす。

 コレットはそのまま次々に令嬢達の名を呼び、相手の長所を言葉にしていった。


「エレオノーラ様の舞踏は宮廷舞踏会の華」

「マリアンヌ様の詩は吟遊詩人を泣かせたとか」


 まるで相手の武器を一つずつ優しく取り上げていくような言葉に、誰も反論できなくなる。

 世間知らずで無教養と侮っていた相手が、自分達の名前、家柄、得意分野まですべて把握していたのだ。意表を突かれた令嬢達が戸惑うのも当然だった。


「来年サイラスが成人し、公爵位を継いだ暁には、コレットがライゼンブルグ家の女主人となります。皆様、どうか彼女を支えて差し上げてね」

「は、はい……」

「もちろんですわ……」


 さらに『ライゼンブルグ公爵夫人』という立場の重みをさりげなく示せば、令嬢達は今度こそ大人しくなる。

 これがわたくし達の戦い方。

 敵意に怯えて隠れるのではなく、自ら前へ出て主導権を握るのだ。

 夜会はまだ始まったばかり。

 けれどもう誰も、コレットをあからさまに蔑むことはできなかった。




「ブライア様、次はわたくしと踊ってくださいまし!」

「ええ、喜んで。メアリー嬢」


 ファーストダンスを終えた後は、他の令嬢達のご機嫌も取るため、わたくしはダンスフロアを巡ることにした。一歩踏み出すごとに、次々と声がかかる。

 その間、コレットはわたくしの取り巻きに任せて守ってもらう。先ほど令嬢達を見事にやりこめたのだから、多少の応対ならもう自力でできるだろう。

 わたくしが、そう教育したのだもの。


(それにしても……アデリーンの動きがない。なんだか不気味ね)


 夜会が中盤に差しかかろうとしているというのに、アデリーンはプライベートサロンへ引っ込んだまま顔を見せない。主催である伯爵夫人は大広間で招待客と歓談しているが、そちらもこれといって怪しい素振りはない。

 けれど今日の夜会は本来コレットを陥れるために開かれたものだ。

 先制攻撃には成功した。だからといって油断できる相手ではない。

 わたくしは改めて気を引き締めた。



「メアリー、次のダンスは俺と踊ってくれるって約束だったじゃないか!」

「!?」



 その時、不意にひとりの男性がダンスホールへ飛び出してきて、わたくしの前へ立ちはだかった。一緒に踊っていた男爵令嬢が不機嫌そうに顔を歪める。


「ごめんなさい、マーシャル。今日はどうしてもブライア様と踊りたいの! こんな機会、二度とないもの」

「でもだからって……」

「先約がいらっしゃったの? ごめんなさい。それならダンスの相手はお譲りするわ」

「いや、だめです! マーシャル、今日は諦めて! 私の楽しい時間を邪魔しないで!」

「……わかったよ……」


 メアリー嬢に嫌われたくないのか、マーシャルと呼ばれた男性はすごすごと引き下がった。

 あらあら。なんだか悪いことをしてしまったわね。

 さすがのわたくしも少し申し訳なくなり、ついステップを止める。

 すると突然、大広間の灯りが一斉に落ちた。


「きゃっ」

「なに!?」


 周囲から小さな悲鳴が上がる。闇は重く、長く、誰もが息を潜めた。


「本日夜会にお越しになった皆様、お待たせいたしました。これより聖女・アデリーンによる神託の儀が行われます」


 次の瞬間、イリーナ伯爵夫人の意気揚々とした声が響き渡る。



 ――いよいよ仕掛けてきたわね。



 わたくしは背筋を伸ばし、もう一度自分に気合を入れた。


「ご存じの通り、我が娘コレットはライゼンブルグ家のサイラス様のもとへ嫁ぎました。その未来が明るいものであることを願ってやみません」


 しらじらしい口上が続く中、天井から金の光が降り注ぐ。

 大広間の中央、光の円の中心に立っていたのはアデリーンだった。


「皆様、ライゼンブルグ家に心よりの祝福を。その未来を占いたいと思います」


 アデリーンの横には、大理石の台座と巨大な銀の水盤が運び込まれている。縁には聖句が刻まれ、いかにも神聖な雰囲気だ。

 さらにアデリーンが芝居がかった仕草で両手を広げる。純白の袖が蝶の羽のようにひらめき、手にした金の鈴が澄んだ音を響かせた。


「おお……!」


 鈴の音が水面に波紋を描き、それが複雑な幾何学模様へと変化していく。不思議な光景に、大きなどよめきが上がった。


「さあ、コレットお姉様。サイラス様との絆を水鏡に映しましょう。どうかこちらへいらしてください」


 観衆の心をしっかり掴んだところで、アデリーンがコレットを舞台へと誘う。

 コレットは一度、不安そうにわたくしを振り返った。けれどすぐに意を決したように、水盤の前まで進み出る。


「では心を落ち着けて。あたしと同じように聖水に手を浸してください」

「……」


 それが罠だとわかっていても、これだけ多くの観客の前では逃げ場がない。

 コレットは一度深く息を吸い、指示された通り水鏡へ手をかざした。



「ああっ、なんてこと!」



 次の瞬間、アデリーンが大げさに悲鳴を上げる。

 それまで星屑を散らしたようにきらめいていた水面が、あっという間に赤黒く濁っていった。粘り気を帯びたように見える水の底から、黒い泡がぽつぽつと浮かび上がる。


「水鏡の聖水が……」


 誰かの呟きが漏れる。

 アデリーンは悲しげに目を伏せ、コレットの肩をやさしく抱いた。


「水鏡は真実を示します。ああ、残念です、コレットお姉様。占いに出た通り、あなたという存在は――暗黒です。ライゼンブルグ家の未来を真っ黒に塗りつぶすでしょう」

「……っ!」


 貴族達の視線が、一斉にコレットへ向けられた。

 最初は好奇心に満ちていたそれが、やがて疑念へ、そして冷たい非難へと変わっていった。









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