13話 いざ、戦いの場へ
夕暮れの空が茜色に染まる頃、わたくし達は馬車でノヴァリス伯爵邸へと向かっていた。
向かいに座るのは、公爵家総出で完璧に飾り立てたコレット。今夜、彼女が夜会で注目の的になることは間違いない。
「もうすぐ着くわね」
「はい、お義姉様」
「綺麗よ、コレット。さすがわたくしが手を尽くしただけはあるわ」
「でも……お義姉様にはやっぱり敵いません」
コレットはわたくしの装いを見て、ふふ、と頬を緩めた。
何よ、そんなに笑うことないじゃない――と思いつつ、今夜の主催者である伯爵夫人やアデリーンの反応を想像するだけで、胸がわくわくするのだから困ったものだ。
伯爵邸に着くと、まず目に飛び込んできたのは、玄関を飾る壮麗な大理石の柱廊だった。続く玄関ホールの大階段は両脇から優雅な弧を描き、大広間へと続く道には赤い絨毯が敷き詰められている。
その上を数十人の招待客が行き交い、女達は扇を翻しながら華やかに談笑していた。
中でもひときわ目を引くのは、今夜の主催者であるノヴァリス伯爵夫人と、聖女アデリーンだ。
「さあさ、ライゼンブルグ公爵家の皆様をお迎えいたしましょう」
伯爵夫人――イリーナの声を合図に、わたくし達の馬車へ一斉に視線が集まる。小窓から覗けば、深紅のベルベットドレスをまとったイリーナが威風堂々と立っていた。年齢を隠そうとする厚化粧と、むせ返るような香水の匂い。艶やかというより、さながら夜の薔薇めいた迫力だった。
「ようこそいらっしゃいました。今夜は聖女としてではなく、妹として愛する姉上を迎えましょう」
イリーナの隣に立つアデリーンは、いかにも聖女らしい清楚なドレス姿。金の髪には真っ白な百合と小粒の真珠が複雑に編み込まれていた。
「本当に今日もアデリーン様は神々しくていらっしゃる……」
「ところでコレット様は、聖女であるアデリーン様よりお綺麗なの?」
「そんなまさか……あり得ないわ」
「それより聞いた? 今夜サイラス様はいらっしゃらないんですってよ」
「まあ、夫のエスコートがないってこと?」
「初めての夜会なのに惨めね。私なら何かしら理由をつけて欠席してるわ」
馬車の中にいても、招待客達の嘲笑ははっきり聞こえてきた。
よろしい。
その挑戦、受けて立ちましょう。
わたくしは闘技場に立つ戦士のように、そっと目を細める。
「ブライア様、コレット様。足元にお気をつけて」
御者が扉を開ける。いよいよわたくし達は戦いの場へ降り立った。
余裕綽々の面持ちで、イリーナとアデリーンが馬車の前へ歩み寄る。
「これはこれは、ブライア様。我が娘コレットが大変お世話になり――」
軽く膝を折りかけていたイリーナとアデリーンが、ゆっくり視線を上げたその瞬間。
その瞳が驚愕に見開かれるのを、わたくしは心の中で愉快に見下ろした。
「今夜はご招待ありがとうございます。お義母様、アデリーン。ご息災のようで何よりです」
まず最初にコレットが、ドレスの裾を優雅に摘まんで一礼する。
同時に周囲から大きなどよめきが起こった。
「あれがコレット様?」
「噂に聞いていたのと、全然違うじゃない!」
一瞬、アデリーンの表情に悔しさが滲んだ。
コレットの纏う金色のドレスは、燭台の火を受けて繊細にきらめき、夜風が吹くたび胸元のレースが波のように揺れる。淡いオーガンジーを幾重にも重ねた、まさに極上の一着だった。
頭上には銀細工のティアラが載り、少女らしい可憐さと気品をより際立たせている。
貧相で陰気だと聞かされていたコレットが、予想以上に美しい少女だと知り、招待客達は一様に息を呑んだ。
「今夜はご招待ありがとう存じます」
そして極めつけは、わたくしだ。
レースの手袋をはめたコレットの手を優雅に取り、一歩前へ進み出る。
「きゃーっ! ブライア様!」
「ブライア様、そのお姿は……」
「弟が急な政務で大事な妻のエスコートができないということで、急遽わたくしが一肌脱ぐことにいたしましたの」
主催者であるイリーナに軽く会釈を返す。
けれど今夜のわたくしは、淑女としてではない。
身につけているのは、サイラスの騎士服を急ぎ仕立て直したジュストコール。胸元には銀の鎖で繋がれた大きなサファイアのブローチが輝き、腰には細身のサーベルを吊っている。
長い髪は低い位置でまとめ上げ、まるで物語から抜け出してきた王子のような男装姿だった。
「ま、まあ……公爵令嬢とは思えぬ大胆不敵なご衣装ですこと」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておきますわ」
頬を引きつらせて皮肉を述べるイリーナに、わたくしは余裕たっぷりの笑みを返した。
ふと見渡せば、貴族の娘達の熱い視線が一斉にこちらへ集まっている。
「ブライア様、素敵です! さすが武勇の誉れ高いライゼンブルグ家ですわ。男装もとてもお似合いです」
「ありがとう。この後、ワルツにお誘いしても? グリエッタ嬢」
「え、そんな……よろしいのですか?」
「もちろんです。ファーストダンスは義妹のコレット限定ですが、今夜のわたくしは麗しの姫君達をエスコートするために参上したのですから」
「ぜ、ぜひ、喜んで!」
「ずるいですわ! ブライア様、わたくしも!」
「私もエスコートされたいですわ!」
あっという間に、わたくし達の周囲に人垣ができた。
夜会が始まる前から、会場は熱狂に包まれていく。
――今夜の主役は、もう決まった。
思わず心の中でほくそ笑む。
流し見た先では、あのアデリーンまでもが一瞬わたくしに見惚れ、はっとしたように顔を背けていた。サイラスを足止めするところまでは上手くいっても、さすがにこの展開までは読めなかったようね。
わなわなと震えるイリーナの様子まで目に入って、なおさら痛快だった。
「さあ、改めて気を引き締めていくわよ、コレット。夜会はまだこれからなのですから」
「はい、承知いたしております、お義姉様」
目と目を合わせ、わたくし達は二人並んで赤い絨毯の上を歩き出す。
そう。これはまだ先制攻撃にすぎない。
ここは敵地のど真ん中。アデリーン達が、このまま大人しく引き下がるとは思えない。どんな嫌がらせが飛んできても対処できるよう、常に気を張っておかなければ。
「……へえ、面白そうなことしてるな」
この時のわたくしは、緊張と高揚で気づかなかった。
数多の招待客に紛れ、こちらを面白そうに見つめるひとりの人物がいたことに。




