12話 不穏な招待状
わたくしは招待状の封を切り、流麗な筆跡で綴られた文面に目を走らせた。
アデリーンという聖女が現れて以来、彼女の実家であるノヴァリス家もまた、社交界では特別な立場にある。
特に伯爵夫人の夜会好きは有名で、一体どこにそんな財源があるのか、ノヴァリス邸では大貴族並みに月に何度も催しが開かれていた。
今回の招待状はコレット宛てだった。
『親愛なるコレットへ
秋が深まる折、彩り豊かな紅葉が我が邸を美しく染め上げる季節となりました。
コレット嬢におきましては公爵家でご多忙の日々をお過ごしのことと存じますが、この度わが伯爵邸にて夜会を催したく存じます。
秋の宵に灯る松明の下、舞踏と宴を楽しみ、懐かしい顔ぶれと語らうひとときを。
あなたの里帰りを、聖女アデリーンと共に心より待ちわびております。
御夫君と姉君のご許可を得て、ぜひお越しくださいませ。
――十月二十八日 ノヴァリス伯爵邸大広間にて
ノヴァリス伯爵夫人 イリーナ=ノヴァリス』
「里帰り……ね」
本来なら、格下の伯爵家の夜会に公爵家の人間が出席する義務も義理もない。
しかし『里帰り』という名目があれば、コレットを表舞台へ引きずり出せると思ったのだろう。
「コレットが公爵家の嫁におさまったことが、よほど悔しいのねぇ」
しかも夜会にはアデリーンも出席すると明記されている。華やかな場でアデリーンとコレットを並べ、自分の娘がいかに美しく、聖女として崇高な存在であるかを誇示したい――伯爵夫人の腹積もりなど見え見えだった。
「姉上、断りましょう」
真っ先に口を開いたのはサイラスだった。
表情は厳しく、コレットはその隣でうつむいている。伯爵家での嫌な記憶がよみがえったのだろう。
早い話、これはコレットの評判を落とすためだけに仕組まれた夜会だ。用心するのは当然だった。
けれど。
「本当にそれでいいの?」
わたくしは二人をまっすぐ見て問いかけた。
公爵家の立場上、理由をつけて断ることは難しくない。
でもそれで本当に問題は解決するのかしら?
「私、出席します」
「コレット!」
覚悟を決めたように、コレットが顔を上げる。声は少し震えていたけれど、榛色の瞳にははっきりと意志の光があった。
「サイラス様の妻として、私は堂々と胸を張って立たねばならないと思うんです。いずれ戦わなければならない相手なら、今こそ勇気を出すべきです。そのために淑女教育も受けているのですから」
「よく言ったわ」
わたくしは満足して、緊張でこわばるコレットの頬にそっと触れた。
「夜会では継母の前でこう言いなさい。『お久しぶりです、お義母様。ご健康そうで何よりです』――笑顔でね」
「はい、ブライア様……私、怖くありません」
「あらあら、コレットは嘘つきね」
なんだかおかしくなって、わたくしは軽くウィンクする。
「でも嘘も淑女の武器よ。頑張りなさい」
「ふふっ……はい」
ようやくコレットの口元に笑みが戻った。サイラスも肩をすくめ、諦めたように頷く。
「コレットがそこまで言うなら……わかりました。夫として、当日は完璧にエスコートしてみせましょう」
「夜会までに必ずコレットを最上の淑女に仕上げてみせるわ。任せておいて」
「お世話をおかけします。よろしくお願い致しまぁぁーーす!」
必要以上に力んでお辞儀するコレットがおかしくて、また庭園に明るい笑い声が響いた。
売られた喧嘩は買う。
わたくし達三人は、同じ思いを強く共有したのだった。
◇◆◇
それから我が公爵家の屋敷は、まるで戦場のような熱気に包まれた。
メイド達がドレスの裾を整え、宝石箱を開け閉めする音があちこちで響く。屋敷中に、わたくしの指示する声が飛び交っていた。
「コレット、あなたは次期公爵夫人よ。背筋を伸ばし、視線を逸らさない。明日の夜会は、あなたの人生を決める一夜になるわ」
「はい、お義姉様! もう大丈夫です! ステップは完璧に覚えました! 会話の話題も昨日のうちに三つ用意しました!」
十八歳のコレットは、これまで一度も舞踏会や夜会に出席したことがない。文字通り、明日が社交界デビューとなる。
初めての大舞台がこんな形になるのは気の毒だとも思う。けれど今は、サイラスの妻として、公爵家の嫁として恥ずかしくないよう、全身全霊で準備に臨んでいる。
朝から晩まで、姿勢、微笑み、会話、ダンス――すべてを叩き込んでも、コレットは一度たりとも弱音を吐かなかった。
そんな義妹を、頼もしく思う。
……けれど、やはり事はすんなりとは運ばないらしい。
「大変でございます、ブライア様、コレット様!」
いよいよ、あとは夜会に乗り込むばかり――となった当日の朝。
王宮へ登城し、昼には戻るはずだったサイラスから急ぎの手紙が届いた。騎士団長が突然急病で倒れ、サイラスが団長代理を務めねばならないという。
「まあ、サイラス様が大変ですわ!」
「このタイミングで、いきなり都合よく団長が急病になる?」
「怪しさ満々だな……」
わたくしとコレット、ノーマンとパウラ、さらに大叔父様まで一室に集まり、緊急の作戦会議が始まった。
「サイラス様は、もしもの時に備えて今日一日王宮から出られない……と」
「つまり夜会のエスコートは無理、ということね」
「サイラスは『申し訳ないが、今夜の夜会は欠席してくれ』と言ってきておるな」
それが無難だとわかっているからこそ、部屋の空気は重く沈んだ。
夫のサイラスのエスコートなしで、コレットをひとり夜会へ送り込むことなどできない。それこそ物笑いの種になるだけだ。
「ブライアが共に夜会へ出席し、コレットを守ればいいのでは?」
「ええ、もちろんわたくしも随伴として出席するつもりでしたけれど……」
「申し訳ないな。現公爵である私がサイラスの代わりになればよいのだが……」
大叔父様がしょんぼりと肩を落とすのを見て、胸が痛む。
もともと田舎で隠居していた方を、無理を言って今の地位に就いていただいているのだ。ダンスのステップひとつ知らない大叔父様に、ここで無理をさせるわけにはいかない。
「それなら私、一人で出席します」
重たい空気の中で、コレットが静かに口を開いた。
その場にいた全員が息を呑み、すぐに止めに入る。
「コレット様、さすがにそれは……」
「お一人で出席すれば、社交界の笑いものになるだけです。デビューも台無しになります」
「それがあちらの狙いでしょ」
わたくしが言うと、室内に沈黙が落ちた。
コレットはドレスの裾をぎゅっと握りしめ、瞳に涙をにじませる。
「でも……今日まで頑張ってきたのに……」
「……」
悔しい気持ちは、わたくしも同じだ。
ここで逃げ出しては公爵家の名が廃る。
何より敵に背を向けるなど、わたくしの矜持が許さない。
「夜会の準備は、このまま進めなさい。わたくしに考えがあります」
だからこそ、わたくしは即決した。
この程度の障害を越えられなければ、運命だって変えられない。
「パウラ、急いでこれからわたくしが指示するものを用意しなさい。ノーマン、サイラスにはこちらのことは心配するなと返事を」
「かしこまりました」
「お義姉様……?」
不安に揺れるコレットの瞳をまっすぐ見返し、わたくしは目で「大丈夫」と伝える。
――こんな嫌がらせには、負けなくてよ。
わたくしは真紅に彩られた口元を、ゆっくりと持ち上げた。
聖女と公爵家との戦いは、すでに幕を上げているのだから。




