第五十五話 召喚状
朝、城に書状が届いた。
王都の財務庁の紋章が入った封蝋は、普段の公文書とは形が違った。紙の質も違った。アリシアが朝食の席で受け取ったとき、手の中でその重さを感じた。紙の厚さにしては、少し重かった。重さは気持ちの問題かもしれない。しかしそれでも、手の中の何かが普通ではないと告げていた。
書状は書斎に持ち込んだ。ヴィクトールはすでに机の前に座っていた。アリシアが封蝋を見せると、彼は立ち上がり、受け取って開封した。
部屋の中は静かだった。ヴィクトールの目が文字の上を動くのをアリシアは見ていた。読み進めるにつれて、彼の顔の表情が変化した。変化というより、変化のなさだ。普段の静かな顔が、さらに固まった。感情が内側に引き込まれていく動きがあった。
「読んでください」
ヴィクトールは書状をアリシアに渡した。
アリシアは書状を受け取り、文字を目で追った。
「ノルデン辺境伯夫人アリシア・ジークフリートを、財務不正に関する証言者として王都財務庁への出頭を求める。出頭期限は本書状到達から一週間以内。正当な理由なき不出頭は、法的不服申立てとして処理される」
読み終えて、アリシアは書状を机の上に置いた。声には出さなかったが、頭の中で内容を繰り返した。一週間。財務庁への出頭。証言者として。
扉が開いて、ヴォルフが入ってきた。室内の空気を読んだのか、一歩踏み込んで止まった。
「……何か」
「召喚状が来た」とヴィクトールが言った。短く、しかし声のトーンが普段と違った。低さが違う。抑えられた何かが、声の奥底にあった。
ヴォルフは書状に目を落とし、読んだ。それから顔を上げた。「召喚状に応じなければ、辺境伯家が法を無視したことになります」
「応じれば、アリシアは証拠と切り離される」
ヴィクトールの言葉は静かだった。しかし、静かすぎる静かさだった。感情を押し込めた静けさ。アリシアはこの人のいくつかの静けさを知るようになっていたが、今日のこれは初めて聞く種類のものだった。
「……私は、行かなければなりませんか」
アリシアは静かに聞いた。覚悟を確認する言葉だった。震えはなかった。来ることは予想していた。しかし言葉にすると、改めてその重さを感じた。
ヴィクトールは答えなかった。すぐには答えなかった。書状を見つめたまま、少し長い沈黙があった。その沈黙の中に、いくつかの考えが並んでいるのが分かった。法的な側面、政治的な側面、そしてもう一つ、言葉にならない何か。
「王家への書状は、いつ出せる」
ヴィクトールがアリシアを見た。
「今日の夕刻には草稿が完成します。明日の朝、出せます」
「一週間あれば、王家への書状が先に届く」
ヴォルフが「それでは、召喚に応じる前に状況が変わる可能性がある」と言った。
「可能性がある」とヴィクトールは繰り返した。確信ではない。しかし選択肢だ。
アリシアは書状をもう一度見た。一週間という期限が、改めて目に入った。王家への書状が先に届く。調査が先行する。ライヒェンバッハの召喚状は、後から来た動きになる。それが通るかどうかは、王家の判断による。しかし、動かないよりは動いた方がいい。
「書状を、今日中に完成させます」
アリシアは言った。今度は問いへの応答ではなかった。自分の意志として言った。
ヴィクトールが、初めてアリシアをまっすぐに見た。長い、静かな視線だった。
「頼む」
それだけだった。
短い言葉だった。しかしアリシアは、この人がその言葉をどれほど使わない人かを知っていた。「頼む」という言葉がいかに稀なかを。それが今、はっきりと言われた。
アリシアは頷いた。机の上の書類に手を伸ばして、今日やるべきことを確かめた。草稿の最終仕上げ。証拠書類の添付確認。封印の手順。頭の中で手順が並んでいく。できる。必ずできる。
ヴォルフが「では、書状の発送経路を確認してきます。最も安全で早い方法を選びます」と言って、部屋を出た。静かに扉が閉まった。
書斎に二人が残った。暖炉の火が低く燃えていた。机の上の書状が、光の中に置かれていた。
「ライヒェンバッハがこの手を使ったということは」とアリシアは言った。「証拠が揃いかけていることを、彼らは知っているということです」
「そうだ」
「つまり、動いている。まだ動ける余地があると思っている。書状が届くまで、こちらの手が止まると計算している」
「そう読んでいる」
アリシアは立ち上がった。「では、止まらないことが答えになります」
窓の外に目をやった。朝の光が庭の石畳を照らしていた。一週間という時間は、短くも長くもない。しかし、今日動けば、明日に繋がる。明日動けば、その次に繋がる。一日一日を確実に使えば、間に合う。
父の言葉が浮かんだ。「数字は嘘をつかない。動き続けた人間の記録が、最終的に勝つ」。帳簿の話だったが、今もその言葉は有効だった。
「夕刻には草稿をお持ちします」
アリシアはそう言って書斎を出た。廊下の冷たさが頬に触れた。足取りは速かった。怖いかと言えば、怖くはなかった。やることが明確になった瞬間、怖さよりも集中が勝る。それがアリシアの性質だった。父の帳場でも、そうだった。問題が複雑になるほど、頭が落ち着いていく。
自室に戻り、机の上の草稿を広げた。今日一日の仕事が見えた。それを終わらせること。それだけだ。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




