第五話 朝食の食卓
本作は全70話完結予定です。
毎日5話ずつ、07:10 / 12:10 / 18:10 / 20:10 / 22:10 に更新予定です。
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週に二度、共同で朝食を取る。
城の慣例だとゲルハルトが説明した。「辺境伯様はたいへんお忙しい方でございますので、定期的に奥方様とお話しする機会として設けております」。丁寧な言い回しだったが、要するに「それ以外では会う機会がほとんどない」ということだ。アリシアはそれで構わないと思った。強制された関係よりも、ルールとして決まっている関係のほうが、双方にとって楽なこともある。
七日目の朝、初めての共同朝食。
食堂はそれほど広くない。長机の上座にヴィクトールが座り、向かいにアリシアが座った。マルタと侍女が料理を運んでくる。パンと肉の薄切り、塩漬けの根菜、羊乳のスープ。質素だが量はある。辺境の食卓らしい、実質的な食べ物だ。南の実家では香辛料の効いた料理が多かったので、最初は少し戸惑ったが、今はもう慣れてきた。体を温める目的の料理だと分かると、食べやすくなった。
アリシアがナプキンを膝に置いたとき、ヴィクトールが言った。
「体調は問題ないか」
視線は手元の書類に向けたまま、顔はこちらを向いていない。声のトーンは事務的だ。しかし聞いてくれたことは事実だ。
「はい、問題ありません。寒さには少し慣れてきました。こちらはまだ四月でも雪が残っているのですね」
「山の雪は五月まで残る年もある。服は十分か」
「持参したものがあります。問題ありません」
「そうか」
それで終わった。短い返答が二つで終わる会話。しかしアリシアには居心地が悪いとは感じなかった。必要なことを確認して、確認が終われば黙る。それは実務的な人間の話し方だ。無関心と実務的は違う。
スプーンでスープをすくいながら、アリシアは言葉を選んだ。話しかけることにしたのは、ためらいもなかった。
「書庫の整理をしています。古い帳簿が多く残っていましたので」
ヴィクトールが顔を上げた。それまで書類に固定されていた視線が、初めてこちらに向いた。灰色の目が、アリシアを見た。何かを確認するような視線だった。値踏みではなく、確認だ。この人は確認する前に結論を出さない、とアリシアは思った。
「……そうか」
判断しにくい返答だった。それ以上は何も言わず、また書類に視線を戻した。
許可を与えてくれたのか、それとも話を終わらせたかっただけなのか。アリシアには分からなかった。ただ「やめろ」とは言わなかった。それで十分だ、と思うことにした。
しばらく無言が続いた。スプーンの音と、紙のめくれる音だけがある。その沈黙は不思議と不快ではなかった。同じ空間にいることを、お互いが認識している。それだけで十分な関係というものが、世の中にはある。
マルタが後ろから近づいてきて、テーブルのカップに温かい飲み物を注いだ。手際がよく、静かな動作だった。注ぎながら、マルタが言った。
何気ない口調だった。
「前の奥方様は書庫にはお近づきになりませんでした」
食堂が静かになった。
マルタが自分の言葉に気づいたのか、注ぐ手が一瞬止まった。しかしもう言葉は出てしまっていた。取り消せない言葉というものがある。それはたいていの場合、本当のことだ。
アリシアは向かいを見た。
ヴィクトールの表情が、ほんのわずかに動いた。変わったとも言えないほどのごく小さな変化だったが、アリシアの目にはそれが見えた。視線が書類から外れて、どこでもない場所を向いた。それは一秒にも満たない時間のことだった。しかしその一秒に、何かが入っていた。
「それでいい」
短くそれだけ言って、ヴィクトールは席を立った。書類を手に持ったまま、足音を立てずに食堂を出ていった。
残された食堂で、アリシアはカップを両手で包んだ。温かさが指に伝わる。
「それでいい」という言葉の意味を考えた。書庫の整理を認めてくれたのか。それとも話を終わらせたかっただけか。あるいは「それ」がどこを指しているのかすら、分からないのか。
分からないことが残った。
ただ、一つだけ分かったことがある。
この人は何かを感じている、ということだ。前妻の話が出たとき、ヴィクトールの目が動いた。ほとんどの人間には気づかれないほどの変化だったかもしれない。しかし確かに動いた。それは彼が感情を持っている人間であることの、小さな証拠だった。感情があって、しかし外に出さないようにしている。あるいは出せなくなっている。
マルタが「失礼いたしました」と静かに言ってカップを置いた。アリシアは「気にしていません」と答えた。本当にそう思っていた。
食事を終えて席を立つとき、アリシアは窓の外を見た。曇りの空だった。北の空は重く、灰色がかっている。山の稜線に雪が白く残っている。
書庫に戻ろう、と思った。数字を追っているとき、アリシアは自分がどこにいるかを忘れることができる。この城で自分の場所はまだどこにもない。書庫だけが、今のところ自分が何かをできる場所だった。
廊下に出ると、朝の光が石の床に差し込んでいた。まだ昨日の確認の続きがある。ヴェルナー商会への支払いが三か月分記録されているのに、証憑が一通しかない件。さらに遡って確認する必要がある。何年前まで同じパターンが続いているかを把握してから、次のことを考える。
数字は嘘をつかない。ただ、読み取り方を間違えると、嘘と同じ結果になる。焦らず、丁寧に。それがアリシアの仕事のやり方だった。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




