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政略結婚先の帳簿を整えていたら、冷酷な辺境伯が手放してくれなくなりました  作者: ヲワ・おわり


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第43話 全体像の報告

翌日の午前、アリシアは書斎の机に図を広げた。三日かけて整理した内容を、一枚の紙にまとめたものだ。矢印と箱が並ぶ、見た目には地味な図だが、アリシア自身は何度も見直して確認している。全体像が見えてきたとき、その輪郭を一目で分かるようにするのが自分の役割だと思っていた。


 どんなに複雑な不正でも、整理すれば線になる。面になる。それを見た相手が判断できる形にするのが、自分の仕事だ。感情ではなく、構造を示す。アリシアはいつもそう考えてきた。


 ヴィクトールが向かいの椅子に腰を下ろした。いつもの執務の姿勢で、背筋を伸ばして図を見つめている。その目に緊張の色はない。ただ、静かな集中がある。アリシアは深く息を吸って、説明を始めた。


 「三段階の計画です。第一段階は財務的な弱体化。ゲルハルトを使った産出量の過少申告で、ノルデンの財務記録を悪化させます。実際の収益は横流しされているため、財政難の見た目が作られる。第二段階は加工拠点の確保。資金を迂回させて王都近郊の加工施設を押さえる。ノルデンの魔石を処理する流通の要所を握ることで、産出量がどれだけあっても、加工なしには市場に出せない状態を作る。第三段階は——財務的に弱体化し、加工流通も依存させたノルデン領そのものの吸収です」


 ヴィクトールは黙って聞いている。表情を変えない。ただ、その目が図の上を動いていた。地図を読むような、冷静で鋭い視線だった。


 「ゲルハルトは道具として使われました。最終段階のことは、おそらく教えられていなかった」


 そう言った瞬間、ヴィクトールが視線を上げた。「……なぜそう思う」


 アリシアは少し迷ってから、答えた。「最初の接触から最後まで、ゲルハルトとの交渉の記録を確認しました。そこで繰り返し使われている言葉があります——『領地のため』という文句です。ライヒェンバッハ側の書簡には、一貫してこの言葉が出てくる。最終段階で何が起きるかを知っていれば、この言葉を信じることはできないはずです。道具には真実を教えない。信じられる理由を与えておくほうが、長く使える」


 ヴィクトールの目が細くなった。アリシアには、その表情が何を意味するのか、まだよく読めない。感情の動きは確かにあった。ただ、何なのかが分からなかった。


 「……ゲルハルトを庇っているのか」


 「いいえ」アリシアは間を置かずに答えた。「事実を整理しているだけです。彼がしたことは実害を生みました。それは変わらない。ただ、仕組みの全体を理解するために、誰が何を知っていたかを確認する必要があります。感情的な評価と事実の整理は、別の作業です」


 ヴィクトールはしばらく黙っていた。窓の外では、風が枯れ葉を運んでいる。薄い日差しが机の上の図を照らしていた。アリシアは、その沈黙の重さをじっと受け止めていた。


 「……お前は、事実と人間を分けて見るんだな」


 批判ではなかった。どちらかといえば、確認するような口調だった。少し、驚いているようにも聞こえた。


 「それしか私にはできません」


 アリシアはそう答えた。感情で判断しないことが、自分の仕事の基本だ。それが冷たさに見えるとしても、仕方がない。帳簿は感情で読むものではない。人の行為の結果が数字に出る。その数字を正しく読むには、先に結論を持ち込まないことが必要だ。


 それは幼い頃から身についた癖でもあった。感情を先に動かしてしまうと、見えるものが変わる。好きな人間の行為は善意に読みたくなる。嫌いな人間の行為は悪意に読みたくなる。どちらも、正確な把握を妨げる。だからいつも、まず事実を並べることから始める。好き嫌いは、後で持ち込んでも遅くない。


 (それだけしか、私にはできないのかもしれないけれど)


 ヴィクトールがじっと見ている視線を感じた。何かを考えながら、アリシアの答えを聞いていた。その目の奥にあるものを、アリシアはまだうまく読めなかった。


 ヴィクトールが静かに言った。「三段階の最終目標——ノルデンの吸収、か」


 「ええ。財務的に締め上げ、流通を依存させ、それから話を持ち出せば、抵抗する力は残っていない。暴力を使わなくても、経済的に追い込めば同じ結果が得られる。しかもその過程で、表向きには何も違法なことをしていない」


 「……手が込んでいる」


 「年単位の計画です。焦っていない相手だということでもある。同時に、ゲルハルトが逮捕されたことで、計画の第一段階が崩れた。今、相手が次の手を考えているとすれば——」


 「証拠を完成させる前に動かれる可能性がある」とヴィクトールが続けた。


 「ええ」


 ヴィクトールは再び図に視線を落とした。アリシアは彼が何かを考えているのを、邪魔せずに待った。書斎の時計が、静かに時を刻んでいる。


 やがてヴィクトールが口を開いた。「今夜、失われたものの計算を見せてくれるか。数字として、何がどれだけ失われたのか」


 「計算は既に出ています。整理してお持ちします」


 アリシアは頷きながら、今夜また書斎で向かい合うことになると知った。昨夜も、その前の夜も、この書斎で二人で作業をした。それが今は当たり前のことになりつつある。


 それが何故か、少しだけ、怖いような気がした。数字の話をするはずなのに。数字には慣れている。数字だけなら、怖くない。怖くなるのは、数字の向こうにある何かに気づいてしまうからだ。


 アリシアはそっと視線を外して、窓の外を見た。空に薄い雲が流れていた。

続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。

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