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政略結婚先の帳簿を整えていたら、冷酷な辺境伯が手放してくれなくなりました  作者: ヲワ・おわり


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第42話 先物取引の記録

王都商品取引所の公式記録は、ヴォルフが別ルートで取り寄せたものだった。本来なら閲覧に時間がかかる書類だが、騎士団の伝手を使えば話が早い。アリシアが前日から目をつけていた「先物取引の記録」という項目が、翌朝には手元に届いていた。


 ページを開いて、数字の列を確認した瞬間、アリシアは息を止めた。


 ライヒェンバッハ侯爵家と繋がりのある商会が、魔石の先物を大量に買い付けている。問題はその時期だった。


 ゲルハルトが最初にライヒェンバッハ側と接触した時期と、ぴったり一致する。


 (偶然ではない)


 アリシアは紙を机の上に広げ、三つの記録を並べた。ゲルハルトとの接触記録、先物買い付けの記録、そしてノルデンの魔石産出量の報告書。それぞれを見比べながら、仕組みが頭の中で組み上がっていく。


 構造はこうだ。まずゲルハルトを取り込み、採掘量を過少申告させる。表向きの産出量が減れば、市場には魔石が出回りにくくなったように見える。希少性が演出される。魔石の価格が上がる。そして事前に先物を大量に買い付けておいたライヒェンバッハ側は、値上がりした先物を売って利益を得る。


 人為的に供給不足を作り出して、市場価格を操作する。そのための道具として、ゲルハルトが使われた。


 アリシアは鉛筆を置いて、少し離れた場所から自分の書き込んだ図を眺めた。矢印と数字が並んでいる。会計士として働いてきた十年のあいだ、これほど広い範囲にまたがる不正を見たことはなかった。領主の金庫から盗むのではなく、市場そのものを動かして利益を引き出す。規模も手口も、これまでとは次元が違う。


 (そして、そのためにノルデンが利用された)


 指先で紙の端を折り曲げながら、アリシアはゲルハルトのことを一瞬考えた。彼がこの仕組みの全体を知っていたとは思えない。先物取引の話など、聞かされていなかったはずだ。ただ「協力すれば報酬が出る」と言われて、記録を操作した。自分が市場操作の部品だとは気づかないまま。


 だからといって、彼の行為が許されるわけではない。アリシアはそれも理解していた。結果として、領民の生活が傷ついた。


 「ゲルハルトが産出量を少なく見せることで、人為的な供給不足が作られた。価格が上がる。先物の価値が上がる。その利益を刈り取る仕組みです」


 ヴォルフが確認するように繰り返す。「……それが、この計画全体の経済的な動機だと」


 「ええ。採掘収益の横領は、おそらく副次的なものです。本命はこちら——市場操作による先物利益。横領の金額と先物の利益を比較してみると、後者のほうが桁が違う」


 アリシアは計算した数字を指で示した。横領額は確かに大きい。だが先物取引の利益は、その数倍に達する。これほどの利益を得るために、長期にわたって計画を実行してきたということだ。


 ヴォルフは静かに顔をしかめた。「つまり、ノルデンの魔石で相場を動かして、それで儲けていた、ということですか。領民の生活を犠牲にして」


 「そう整理できます」


 言葉にしてみると、その規模がはっきりした。これはノルデン一つの問題ではない。王都の商品市場全体が、この計画の道具として使われていた。


 アリシアはその日の午後、ヴィクトールの執務室へ向かった。書類を一式まとめて抱え、扉を叩く。呼ばれて入ると、ヴィクトールは机に向かっており、別の書類に目を通していた。アリシアが入ってきたことに気づいて、ペンを置く。


 「閣下。報告があります。全体の絵図が見えてきました」


 ヴィクトールは机から顔を上げた。その目が書類の束に向けられ、すぐに真剣な色になる。「話してくれ」


 アリシアは机の前に立ち、順を追って説明した。資金ルートの構造、加工施設への投資、そして先物取引の記録。三つを結びつけた上で、結論を告げる。


 「これは市場操作です。財務詐欺の範囲を超えています」


 ヴィクトールは記録に目を走らせながら、しばらく黙っていた。書斎の外で風が吹いていた。静かな午後だった。しかしその静けさが、今は重くのしかかるように感じられた。


 「……王家への報告が必要になる」


 静かな声だった。しかしその言葉の重さをアリシアは感じた。王家への報告は、この件がノルデン一領地の問題を超えたことを意味する。ライヒェンバッハ侯爵家は王都に深く根を張る名家だ。そこへ証拠を持って臨むということは、単純な不正告発ではない。政治的な意味を持つ行為になる。


 「証拠の整備が急務ですね」とアリシアは言った。


 ヴィクトールがゆっくりと顔を上げた。目が合う。アリシアはその視線の中に、何かが決まったような静けさを感じた。「ライヒェンバッハが動く前に、こちらが先に揃えなければならない」


 アリシアは頷いた。時間的な圧力が、初めて具体的な輪郭を持った。


 証拠をまとめ、王家に報告する。その準備が整う前に、相手側がこちらの動きを察知して対策を打つ可能性がある。王都に近い侯爵家なら、情報を得る手段にも事欠かないはずだ。


 ゲルハルトの逮捕はすでに事実だ。その情報が王都に届いていないとは限らない。


 それが今、最大の懸念だった。アリシアは書類を胸に抱えながら、残る作業の量を頭の中で計算した。まだやるべきことがある。時間が削られていく音が、どこかに聞こえるようだった。

続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。

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