第41話 資金ルートの追跡
帳簿を広げたまま、アリシアは窓の外に目をやった。夜が明けてから数時間が経っている。書斎には昨夜から火を絶やさず、蜜蝋の燃えかけた匂いと、紙の埃っぽい香りが混じり合って染みついていた。
手元には王都から届いた取引記録が積み重なっている。昨夜ヴィクトールと夕食をともにした後、アリシアは一人で作業を続けた。数字を追うのは苦にならない。むしろ、こういう時間のほうが落ち着く。感情を切り離して、事実だけを見ていられるから。
問題はその事実が、見れば見るほど重くなっていくことだった。
「A商会からB商会へ、B商会からC商会へ」
アリシアは記録を指でなぞりながら、声に出して確認した。独り言の癖は、複雑な帳簿を扱うようになってから身についたものだ。声にすることで、頭の中が整理される。数字は嘘をつかない。ただ、その配置が人の意図を隠すことはある。
資金の流れは三段階に分かれていた。ライヒェンバッハ侯爵家と繋がりのある商会が、別の商会を経由し、さらに別の商会へと資金を送っている。見た目には無関係な取引だ。商会名も取引品目も異なる。しかし取引日と金額を突き合わせると、一本の線が浮かび上がる。
最終的な資金の行き先は——「魔石加工施設への投資」だった。
アリシアは息を吐いた。ノルデンの採掘場から産出された魔石を、王都近郊の加工施設で処理する。一見すれば合理的な事業に見える。だが、その施設がどこにあるかを確認して、アリシアは手を止めた。
王都近郊だ。ノルデンではない。
ノルデンの採掘収益が、王都近郊の加工施設に流れ込んでいる。
昨夜、古い記録の山を掘り起こしながら、アリシアはこれほどの規模の絵図がそこに描かれているとは思っていなかった。帳簿の数字は無機質だ。紙と墨の組み合わせに過ぎない。それでも今、この数字の連なりが指し示すものを理解しながら、アリシアは指先が僅かに冷えていくのを感じた。
廊下から足音が聞こえて、ヴォルフが書斎に入ってきた。昨日から調査に加わっている副騎士団長は、几帳面な性格のわりに顔の表情が読みやすく、アリシアは最初からそれを好ましいと思っていた。隠しごとが苦手な人間は、調査の場では信頼できる。
「奥様、昨夜からずっとですか」
「仮眠はとりました。それより、見てください」
アリシアは記録を広げてヴォルフに向けた。資金の流れを図示した紙を示しながら、ゆっくりと説明する。言葉を選びながら、ただし省かずに。
「ノルデンの魔石採掘収益が、複数の商会を経由して王都近郊の加工施設に流れています。採掘はノルデンで行われても、加工の主導権は王都側が握ることになる」
「……それが何を意味するんですか」
「加工を支配することで、採掘権の交渉そのものを有利に進める足場になります。魔石は採掘しただけでは使い物になりません。加工なしには市場に出せない。もし加工施設を完全に握られたら——産出量がいくらあっても、ノルデンには交渉の余地がなくなります」
ヴォルフが静かに言葉を継いだ。「領地の経済的な自立が、完全に失われる」
「ええ」
短い沈黙だった。アリシアは感情を押さえながら、それでも頭の中で状況の輪郭を確かめていた。古びた帳簿の山の中に隠れていたものが、こういう形をしていたとは。数字だけを見ていたつもりが、その奥に大きな構造が横たわっていた。
財務の不正という話ではもはやない。これはノルデン領の主権に対する攻撃だ。数字の中にそれが書いてあった。
「財務的な詐欺の話だと思っていました」とアリシアは言った。「でも、それは入口に過ぎなかった」
ヴォルフは難しい顔をしていた。騎士として長く領地に仕えてきた男が、この事実を咀嚼している時間を、アリシアは静かに待った。外の風が窓枠を軋ませた。書斎の暖炉がぱちりと音を立てて、残り少ない薪が崩れた。
やがてヴォルフが口を開いた。「採掘権そのものを奪われたわけではない、ということですか。でも、加工を握られることで……同じことになる」
「むしろ、採掘権を奪う前の準備段階と見るべきでしょう。加工施設を押さえてノルデンを依存させておいてから、弱ったところで採掘権の話を持ち出す。その流れを作るための布石です」
ヴォルフが拳を軽く握るのが見えた。「計画的だ」
「ええ」とアリシアは答えた。「それも、かなり長期的な視野で動いています」
言葉にしながら、アリシアは改めてその事実の重さを感じた。これを企てた者は焦っていない。数年単位の計画を、着実に実行してきた。ゲルハルトを取り込み、記録を操作し、資金を迂回させた。それだけの手間をかける価値がある目標が、ノルデンの魔石にはある。
「……閣下には」
「後ほど、まとめて報告します。ただ、その前にもう少し確認したいことがあって」
アリシアは積み上げた書類の束に視線を戻した。指の先が、まだ確認していない一冊の記録簿に触れる。
王都の商品取引所から取り寄せた、魔石の先物取引の記録だった。ページを開くと、数字の列が現れる。アリシアはその日付と、ゲルハルトが最初にライヒェンバッハ側と接触した時期を照らし合わせた。
一致する。驚くほど、きれいに一致する。
手が止まった。これは——これは単なる不正ではない。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




