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政略結婚先の帳簿を整えていたら、冷酷な辺境伯が手放してくれなくなりました  作者: ヲワ・おわり


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第三十七話 週次報告の習慣

ヴィクトールの執務室は、午後の光が斜めに入る時間帯に、一番落ち着いた雰囲気になる。窓が西向きで、午前は明るすぎ、夕方は眩しい。しかし昼を少し過ぎたこの時刻には、光が柔らかく室内に満ちて、書類の上にも机の縁にも均等に降りる。アリシアが週次の報告に来るのは、いつもこの時間帯になっていた。習慣になった、とアリシアはこのごろ感じている。決まった時刻に、決まった場所で、決まった形式で。その繰り返しが、この城での仕事に一本の軸を作ってくれていた。


「現在の状況を報告します」


 アリシアは椅子に座り、手元の書類を一枚開いた。ヴィクトールは机の向こうで静かに聞いている。


「帝都からの帳簿記録は昨日までにすべて到着しました。こちらの記録と照合した結果、四つの年度にわたって数値の不一致が確認されています。差異の総額は現在計算中ですが、ノルデン鉱山収益の実勘定との乖離として証明できる部分が、相当な規模になる見込みです」


「証拠として使えるか」


「使えます。ただ、一点だけ補強が必要です。三年前に消えた月次帳簿に相当する期間の差異が、帝都側の記録にも反映されていません。この部分は空白のままになってしまう」


「それは分かっていた」ヴィクトールは短く言った。「空白そのものを証拠として立てると言っていた」


「はい。その方針で進めます。二十二年間の連続した記録の中にその一ヶ月だけが欠けているという事実は、書面として整理しています。加えて、帝都側の記録で同期間の数値が不自然に平坦になっていることも確認しました。調整の形跡と解釈できます」


「まとめてくれ。来週、整理した形で聞く」


「はい」


 ヴィクトールは頷いた。それで報告の前半は終わった。二人の間に短い間が落ちた。アリシアは書類を膝の上で揃えた。窓から光が差して、ヴィクトールの机の上の羽根ペンが細く光った。


 ヴィクトールが言った。「ノルデンの鉱山について、帝都ではどう見られていた」


 報告書の外の話だった。少し驚いたが、アリシアは自分の記憶を探りながら答えた。


「帝都では、ノルデンの魔石は最上質として知られていました。品質が安定していて、他の産地のものより扱いやすく、設備に使ったときの持ちが違うと言われていた。高価ですが、それだけの価値があると評価されていました」


「屋敷でも使っていたか」


「ベルンフェルト家でも、屋敷の設備にノルデン産のものを入れていました。父が調達を選ぶとき、迷わずノルデンを指定していた。品質への信頼があったのだと思います」


 ヴィクトールの表情がわずかに動いた。変化は小さかった。眉の角度がほんの少し緩んで、口元が静かになった。それは誇りのような、あるいは長い間知らずにいたことをようやく確かめた時のような、静かな表情だった。アリシアはその変化を見て、自分が何か大切なことに触れたのだと感じた。


「そうか」と彼は言った。それだけだったが、声の底に何かがあった。


「この地の人々にとっても、大切な収入源だとうかがっています」アリシアは続けた。「鉱山が適切に管理されれば、領地全体の暮らしに直接つながる。秋の収穫だけでは厳しい年も、鉱山の収益があれば村が持ちこたえられると聞きました。だから今回の調査は、書類の中だけの話ではないと思っています」


 ヴィクトールは少し間を置いた。窓から入る光が、机の上をゆっくり移動している。午後は時間とともに光の角度が変わって、部屋の中の明るい場所が動いていく。


「だから取り戻す」


 低い声だった。静かで、確かで、迷いがない。短い言葉の中に、何年もかけて積み重なったものが入っているような重さがあった。ヴィクトールはアリシアを見ていた。


「はい」


 アリシアは答えた。短い返答だったが、中身は満ちていた。儀礼的な「はい」ではない。同じ方向を向いていると、体の芯で理解した上での「はい」だった。この返答をするとき、アリシアの声は少しだけ、いつより確かだったと思う。


 窓の外で鳥の声がした。遠い木立の方から来る声で、まだ夕方には早い時刻なのに、何羽か集まっているらしかった。


「来週も報告に来い」


「はい」


 アリシアは立ち上がり、書類を揃えて一礼した。執務室の扉を開けて廊下に出ると、昼過ぎの光がそこにもあった。廊下の石は乾いていて、足音がよく響いた。


 歩きながら、アリシアは考えた。


 今日、自分は「はい」と言った。ごく自然に言った。義務から言ったわけではなく、求められたから応じたわけでもなく、ただ当然のこととして口から出た。来週も来る。それは当然だ。なぜならここで仕事をしているから。ここで、自分がすべきことをしているから。


 この城に来たとき、自分はここを「赴任先」と思っていた。仕事をする場所。調査をする場所。役目を果たして、それだけで十分な場所。感情を持ち込む必要のない場所。


 それがいつから変わったのだろう。


 廊下の先に窓があって、庭の緑が見えた。今日は風が穏やかで、木の葉が静かにそこにある。夏に向かう緑の色は濃くなってきていて、春に初めてこの城に来たときとは違う景色だった。アリシアはその変化に今日初めて気づいた。季節が動いていた。自分もまた、この城の時間の中で少しずつ動いていた。


 ここが、自分のいる場所になってきている。


 その言葉が浮かんで、アリシアは少しだけ立ち止まった。怖いとは思わなかった。ただ、静かな驚きがあった。


 翌朝、朝食を終えてしばらくしたころ、扉をノックする音がした。アリシアが開けると、マルタが立っていた。いつもの実直な表情で、しかし今日はどこか少し緊張しているように見えた。


「アリシア様、よろしければ、一緒にお茶でも、と思いまして」

続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。

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