第三話 書庫の扉
本作は全70話完結予定です。
毎日5話ずつ、07:10 / 12:10 / 18:10 / 20:10 / 22:10 に更新予定です。
面白かったら評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。
書庫棟の扉は、予想通り古かった。
木材に錆びた金具。鉄の蝶番が変色していて、扉の縁には長い年月の埃が積もっている。アリシアは手袋をはめて扉を押してみたが、微動だにしなかった。鍵がかかっているようだった。外から見えた小さな窓のうち一枚は、木板で塞がれていた。確かに、長い間誰も入っていない雰囲気がある。
仕方ない、と思いながらも、諦める気にはなれなかった。
翌朝、アリシアはゲルハルトを探した。家政局の廊下で、ちょうど部下に月次の指示を出しているところだった。アリシアが近づくと、ゲルハルトは丁寧に向き直った。
「書庫の整理をしたいのですが、鍵を貸していただけますか」
一瞬だけ、ゲルハルトの表情が止まった。ほんのわずかで、すぐにいつもの礼儀正しい顔に戻ったが、アリシアはそれを見逃さなかった。
「書庫、でございますか。旧い書庫棟のことでしょうか」
「はい。整理されていないようでしたので、私でよければお手伝いできると思いまして」
ゲルハルトが少し考える素振りをした。それから、穏やかに言った。
「あのような場所は整理の必要もございません。かなり埃が溜まっておりますので、奥方様のお体にも良くないかと存じます。それよりも、城の東側に花の庭がございまして、春先には景色がよろしいのですが——」
「私のできることが他に何もないので」
アリシアは穏やかに、しかしはっきりと遮った。声を荒げることはしなかった。ただ事実を述べた。
「城内の業務はゲルハルト様が取り仕切っていらっしゃいます。現状、私に任せていただける仕事は何もございません。でしたら、書庫の整理くらいは私でもできます。お城の記録を乱すようなことはいたしません。ただ埃を払って、年代順に並べるだけのことです。どうかお許しいただければ」
ゲルハルトの口が少し開いて、閉じた。令嬢の「やること探し」と思ったのかもしれない。大した害もないと判断したのかもしれない。しばらくの沈黙の後で、彼は言った。
「……分かりました。ただし、体調に差し支えない程度に。無理をなさいませんよう」
「ありがとうございます。鍵はいつ頃いただけますか」
「明日の朝に用意いたします」
翌朝、ゲルハルトは約束通り鍵を持ってきた。鉄製の古い鍵で、手のひらに収まるが随分と重かった。
「こちらが書庫の鍵でございます。なお、もう一本は家令室で保管しております」
「二本あるのですね」
「はい。念のためでございます」
鍵は二本ある、とアリシアは記憶に留めた。特に深い意味はなかったが、数字や数量を記録する習慣が、自然とそういう確認をさせる。
書庫の扉に鍵を差し込み、回した。重い音がして、扉が軋みながら開いた。
一緒に流れ出てきたのは、埃と古い紙の匂いだった。何年も閉じられていた空気が、外に出てくるような感覚がある。アリシアは少し待って、それから中に入った。
薄暗かった。窓が小さいため、外が晴れていても光が十分に入らない。目が慣れてくると、棚が何列も並んでいるのが見えた。分厚い帳簿や文書の束が、ほとんど整理されずに積み重なっている。棚からはみ出して、床に直接積んであるものもある。
アリシアは棚の前に立って、背表紙に書かれた年次を一つ一つ確認した。最も古いものは二十年以上前のものだった。最も新しいものを探すと——三年前で止まっていた。それ以降の記録は、ここにはない。
整理されていない、ということは、誰も長い間ここを読んでいない、ということだ。
「なぜ三年前で止まっているのだろう」
独り言を言ってから、アリシアは帳簿を一冊手に取った。表紙を開いて、記入の形式を確認する。財務帳簿だ。年度ごとに科目が分かれていて、月別の集計が並んでいる。記入は整然としていて、字も読みやすい。
まず年代順に整理することから始めよう、とアリシアは思った。何があるかを把握してから、次に何を確認するかを決める。焦る必要はない。
最初の一束を手に取って、棚の端に年度の古い順から並べ直していく。帳簿には「ノルデン辺境伯領家令室・年次財務記録」と表紙に書いてある。財務記録がほとんどだが、中には採掘量の報告書らしきものも混じっていた。
採掘量の記録。魔石の採掘量と精製費用の集計だろうか。
手を止めて、少し考えた。この城の収入の大部分は魔石採掘だと聞いている。採掘から精製、出荷まで、適切に記録されているかどうかは、この書庫の記録を見れば確認できる。三年前で止まっているということは、それ以降は別の場所に保管されているか——あるいは別の理由があるか。
今はまだ、確認する立場にはない。
ただ、気になっていた。
作業を続けながら、アリシアは窓から差し込む薄い光の中で帳簿の背表紙を一つ一つ確認していった。一時間ほど経つと、年代順の並びがある程度できてきた。十五年分ほどの記録が、この書庫にある。それだけでも、相当な量だ。
今日の作業はここまでにしよう、と思ったとき、最下段の棚の奥に押し込まれていた一冊が目についた。取り出してみると、現在から三年前の財務帳簿だった。
他の帳簿と同じ形式だが、なぜか棚の端ではなく奥に押し込まれていた。アリシアはそれを、とりあえず他の帳簿と同じ場所に並べた。
翌朝から、もっと詳しく見てみよう。数字の確認は、急がないほうが確実だ。
ここは誰にも邪魔されない、自分だけの仕事場になる。
静かな書庫の中で、アリシアは小さく息をついた。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




