第28話 証言
正式な聴取は三日後に行われた。
部屋は城の東翼にある会議室だった。普段は使われることのない部屋で、重い木の扉と、石造りの厚い壁が、音を遮断した。長いテーブルの上座にヴィクトールが座り、その左右に文官と騎士が一人ずつ控えた。ヴォルフは部屋の隅に静かに立ち、壁際には記録係が紙とペンを用意していた。窓からは曇り空が見えた。
ゲルハルトは拘束されてはいなかったが、その代理人として法律の知識を持つ文官が一人ついていた。三日間の拘留で頬がわずかにこけていたが、座る姿勢は崩れておらず、表情も変わらなかった。二十二年間この城に仕えた男の静けさが、そこにあった。
アリシアはテーブルの一端に着席した。向かい側にゲルハルトが座っていた。三日ぶりに見る彼の顔に、一度だけ目が合った。向こうはすぐ視線を外した。
聴取が始まった。
アリシアは自分が発見したことを順番に述べた。感情を交えず、数字を中心に話した。最初に文書庫の整理を始めた日付、異常に気づいた経緯、その後の追跡調査。父の会社で仕込まれた習慣で、事実を事実として語ることには慣れていた。見つけたものを語る。見つけていないものについては語らない。それだけを守れば、証言は揺るがない。
しばらくして、ゲルハルトの代理人が口を挟んだ。
「奥方様の仰っている記録は、当領地の会計上の慣習に基づくものと考えられます。同名の商会が複数存在することは珍しいことではなく、金額の一致も、定期契約による繰り返し支払いに起因するものです。長年にわたる会計の経緯をご存知でない方が、誤った解釈をされた可能性があります」
アリシアは静かに聞いた。言葉が終わるのを待ち、それから落ち着いた声で答えた。
「確かに、同名商会の存在や繰り返し支払いそのものは問題ではありません。私が指摘しているのはそこではありません」
手元の書類を開いた。
「第七年九月、ヴェルナー商会への支払い八百二十銀。同月付の受領書、確認済みです。第七年十月、ヴェルナー商店への支払い八百二十銀。受領書は存在しません。金額と時期の一致が偶然であるとしても、受領書が存在しないことについては、会計慣習では説明がつきません」
「続いて同様の事例を申し上げます。第八年二月、第八年三月、第九年六月。いずれも受領書の不在と金額の繰り返しが確認されています」
アリシアは次々と事例を挙げた。それぞれの日付、金額、受領書の有無。三年分の照合を一枚にまとめた表を、記録係に提出した。数字が並んだ紙が手渡されるとき、アリシアは自分の手が震えていないことに気づいた。
代理人はしばらく沈黙した。照合表に目を通し、また沈黙した。表の中に並んだ数字は、一項目ずつ反論を求めていた。ひとつなら見落としで済む。ふたつなら偶然と言えるかもしれない。しかし十二件、十五件と並べば、それは体系だった事実になる。
室内は静かだった。暖炉の音もなく、外の風も聞こえなかった。記録係のペンが紙を走る音だけが、時折響いた。
ヴォルフが部屋の隅で腕を組んでいた。その目がアリシアを見ていたが、視線が合うと軽く目礼した。アリシアは小さく頷き返した。
ヴィクトールは聴取の間、ほとんど口を開かなかった。アリシアの証言も、代理人の発言も、同じ表情で聞いていた。書類が提出されたとき、一度視線を落としてそれを見たが、アリシアの方を見ることはなかった。それが意図的なのかどうか、アリシアには分からなかった。ただ、正式な場では距離を保つことが彼のやり方なのだろうと思った。
代理人がさらに何か言いかけて、途中で言葉を飲み込んだ。照合表の数字が、それ以上の反論の余地を潰していた。
聴取が終わりに近づいたとき、ヴィクトールがひとこと言った。
「十分だ」
それだけだった。アリシアに向けた言葉なのか、場全体への言葉なのか判然としなかった。しかしそれが締めくくりだった。
ゲルハルトが立ち上がり、騎士に案内されて部屋を出るとき、一度だけ振り返った。その目がアリシアを見た。怒りではなかった。憎しみでもなかった。それは、やはり沈黙と諦念の混ざった、何かだった。
扉が閉まった。
アリシアは書類をまとめながら、この問題の一段階が終わったことを感じた。かすかな達成感があったが、それよりも静かな余韻の方が大きかった。これほど長く関わってきた問題が、一つの区切りを迎えると、不思議と感情は薄い。
部屋が片づき始め、記録係が書類を束ねて退出した。ヴォルフが歩み寄ってきた。
「見事でした、奥方様。数字の力、というのはああいうものですね」
低い声だったが、本心から言っているのが伝わった。アリシアは短く礼を返した。
「私はあるものを並べただけです。代理人の方も、正直なところどこで止めるべきか分からなかったのだと思います」
ヴォルフは少し笑った。「止められなかったのは事実ですが。私には、奥方様が席につかれた瞬間から勝負は決まっていたように見えました」
アリシアはその言葉を受け取りながら、自分でもそうだったかもしれないと思った。代理人がどんな言い方をしても、数字は変わらない。照合表の中身は、作った日から揺るがなかった。感情でも主張でもなく、数字そのものが語る。それが帳簿の力だった。
ヴォルフが先に退出し、アリシアもその後に続こうとしたとき、ヴィクトールが初めてこちらを向いた。
「十分だった」
今度は明確にアリシアに向けた言葉だった。聴取の場では使わなかった目が、今は直接こちらを見ていた。
「ありがとうございます」とアリシアは言った。
部屋を出て廊下を歩きながら、アリシアはゲルハルトの最後の視線をもう一度思い出した。怒りでも憎しみでもない、あの目。
終わりを知っている人間の目だった。それと同時に、すべてがここで終わるわけではないとも分かっていた。ゲルハルトの背後にある組織は、まだ外にいる。捕まったのは内側の協力者ひとりだ。根は、まだ切られていない。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




