第二十四話 二十二年という時間
夜、アリシアは自室に戻ってから報告書をもう一度広げた。
昼間クラウスと作業した表のほかに、もう一枚、自分だけのための覚書を作った。費目ではなく、時系列の表だ。帳簿に記録されている最も古い年から順に、異常なパターンが現れ始めた時期を書き出していく。
ペンを走らせながら、アリシアは気づいた。
最初の不規則な支払いが記録に現れるのは、二十二年前だ。
そして、ゲルハルトがこの領地の家令に就任したのも、同じ年だ。
アリシアはペンを止めた。偶然の一致かもしれない。しかし偶然にしては、起点が一致しすぎている。それに、こうした帳簿の操作は誰でもできるわけではない。財務の記録に日常的に触れ、支払いを承認する権限を持ち、証憑書類の管理もできる立場にある人物でなければ、こういう仕組みは作れない。
もはや「かもしれない」ではなかった。
これはゲルハルトだ。
アリシアは紙の端に細かく計算した。二十二年間、同じ規模のパターンが続いていたとすれば、概算でどれだけの額になるか。精錬費と維持費の二つの費目だけでも、総額は二百万銀貨を超える可能性がある。もっと多くの費目に潜んでいれば、さらに上だ。
商会の規模で言えば、中規模の取引を十年分賄えるほどの金額だ。
アリシアは両手を膝の上で組んだ。
二十二年間、なぜ誰もこれに気づかなかったのか。帳簿は毎年作られ、記録は保管されてきた。見ようと思えば見られたはずだ。それなのに、なぜ。
理由は、おそらく単純だった。
誰も、確認する必要があると思わなかった。あるいは、確認できる立場の人間がいなかった。信頼されている家令が管理している帳簿を、いちいち精査しようと思う人がいなかった。
そして、アリシアが城に来るまで、そういう目を持つ人間がここには存在しなかった。
ヴィクトールのことを考えた。
彼はこの領地を父から引き継いだ。帳簿の中身を知っていたのだろうか。それとも、知らないまま二十二年が過ぎたのだろうか。家令を信頼するのは当然のことだ。問題があるとは思わなければ、わざわざ確認しない。それは責められることではない。
でも、もし知っていたとしたら。
その考えが頭をよぎった瞬間、アリシアは打ち消した。昨日の書斎での会話を思い出す。あの目だ。ヴィクトールが自分を見た目。知っていて隠している人間の目ではなかった。何かに向き合おうとしている人間の目だった。
明日の報告書には、この時系列の表も添えることにした。証拠として、年表は必要だ。
支度を終えて燭台の火を消そうとしたとき、廊下に足音がした。軽い足音で、すぐに止まる。誰かが扉の前を通り過ぎた、という感じではなく、扉の前で止まったような気がした。
しかし声はかからなかった。
アリシアはしばらく待ったが、何も起きなかった。風の音かもしれない。あるいは夜番の使用人が通っただけかもしれない。
翌朝、書庫に向かう途中でヴォルフに会った。彼はいつもの気安い笑顔ではなく、少し表情を引き締めていた。
「奥様、少しよろしいですか」
「何でしょう」
「ゲルハルト家令のことなのですが」ヴォルフは声を低くした。「ここ数日、城外の商人と個別に会っているようです。場所を変えながら、三度ほど」
アリシアは立ち止まった。
「どのような商人でしたか」
「はっきりとは分かりません。ただ、一度は帳簿に出てきた名前と同じ末尾を持つ商会の名前が見えたという報告があります」
ヴォルフの目が真剣だった。冗談を言っているのではない。確認された事実として伝えている。
「……調査の進捗が外に伝わっていると思って間違いないですね」とアリシアは言った。
「おそらく。もう少し監視を続けます。ただ——奥方も、一人で動くのは避けてください。特に書庫は」
アリシアはヴォルフの目を見た。「分かりました」
その夜、アリシアは時系列の表を見直した。二十二年間。ゲルハルトがこの城に来た年と、不正の始まりが一致する。そしてゲルハルトは今、城外の商人と接触を続けている。
証拠は手元にある。照合表も、採掘量の比較メモも。しかし「証拠を持っている」ことが知られているとすれば、それ自体が危険を呼ぶかもしれない。
次は何をすべきか。
アリシアは報告書に「ゲルハルトの城外接触について確認済み」という一行を書き加えた。このことも、ヴィクトールに伝える必要がある。
二十二年という時間の重さを、改めて感じた。二十二年間、この城の財務は一人の人間によって操作されていた。誰も気づかなかったのか、あるいは気づいても言えなかったのか。どちらにしても、長い時間だ。
アリシアが城へ来なければ、どうなっていたのだろう。クラウディアが来ていれば、帳簿に触れることはなかった。婚約者が体調を崩さなければ、別の誰かが来ていたかもしれない。しかしそのどちらでも、書庫の鍵を「整理したい」と言う人間はいなかったかもしれない。
偶然とは言いたくない。しかし偶然だとしか言いようもない。
ただ、今自分はここにいて、この数字を見ている。それだけは確かだ。
翌朝の報告の段取りを頭の中で整理した。時系列の表。ゲルハルトの城外接触の件。採掘量の比較メモ。この三点を、事実として伝える。感情は入れない。ヴィクトールが判断する。
窓の外の夜は静かだった。遠くで風の音がする。山の向こうからくる冷たい風だ。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




