第十七話 書庫の異変
本作は全70話完結予定です。
毎日5話ずつ、07:10 / 12:10 / 18:10 / 20:10 / 22:10 に更新予定です。
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午後の報告は、思っていたよりも短かった。
ヴィクトールは照合表をしばらく眺め、二、三の質問をした。「この業者名の変遷は何年から始まっているか」「証憑と支払いの件数差は合計でいくつか」「この署名はすべて同一人物か」——アリシアはすべてに即座に答えた。表に書いてある数字を読み上げただけだ。感情を込める必要はなかった。数字が語った。ヴィクトールは表から目を離さないまま聞いていた。最後にこう言った。
「調べる」
それだけだった。短い言葉だったが、その声には微かな緊張があった。少なくともアリシアにはそう聞こえた。書斎を辞して廊下を歩きながら、アリシアは静かに息を吐いた。第一段階は終わった。
次は何をすべきか。ヴィクトールが調べると言った以上、自分が動く範囲は慎重に考えなければならない。しかしまだ確認できていない記録がある。採掘量の推移と精製費用の年度別比較だ。それができれば、差額の概算がより正確になる。今日の夜、書庫に戻ろう。
夕食を済ませてから、アリシアは蝋燭を一本持って書庫へ向かった。夕食の席でゲルハルトの姿は見なかった。彼は主席家令として夕食には同席しないことも多い。それは普通のことだ、とアリシアは自分に言い聞かせた。
廊下に人影はなく、松明の火だけが石の壁を照らしている。鍵を取り出して扉を開け、内側から閂を下ろした。蝋燭に火を点けて、まず配置メモを確認しながら棚に向かった。
そのとき、何かが違うと気づいた。
棚の本の並びが変わっている。
アリシアは動かずに、目だけで棚全体を確認した。自分が整理する前の順番ではない。自分が整理した後の順番でもない。誰かが最近この棚に触れた。そうとしか言えない並び方になっていた。
書庫の整理をしていた数日の間、アリシアは自分が帳簿をどこに置いたかを一冊ずつ手書きで記録していた。「二棚目、左から三番目、三年前の精製費用記録帳」という具合に。整理中の自分の作業メモだから、誰も知らない。そのメモを取り出して、棚と照合していく。
一列目、異常なし。二列目、わずかなずれがあるが許容範囲。三列目で止まった。
精製費用の記録帳が一冊、別の棚に移されている。
元は三列目の左から四番目にあったはずだ。今は五列目の端に押し込まれていた。他の帳簿も多少の順序のずれはあるが、それほど変わっていない。この一冊だけが意図的に移された、としか考えられなかった。
書庫の鍵を持っているのは自分とゲルハルトの二人だ。昨日の朝、庭で彼の白い顔を見た。自分がヴィクトールに報告している間——あるいは書斎を出て食事をしている間に——誰かがここに来た。
照合表は自分の部屋に保管している。核心的な証拠はここにはない。それは確かだ。アリシアは少し息を整えてから、棚全体を改めて見渡した。
しかし、まだ確認できていない資料がある。採掘量の原簿だ。もしそれが動かされていたり、あるいは内容を改ざんされているとすれば、精製費用との比較ができなくなる。今夜のうちに確認しておくべきだ。
まず、移された帳簿を手に取った。精製費用の年度別記録帳だ。ページを開いて数値を確認する。数字そのものが書き換えられた様子はなかった。ただ場所を変えられただけだ。なぜ動かしたのか。記録の位置を変えることで、次に自分が探そうとしている資料を分かりにくくしようとしたのか。あるいは、単純に中身を確認しようとして戻し忘れたのか。
分からないことはひとまず置く。今は確認できることを確実にしておくべき時だ。
アリシアは紙を広げ、帳簿の重要な数値を書き写し始めた。精製費用の月別推移、業者名の記載欄、対応する承認者の署名欄。一つ一つを丁寧に移していく。この帳簿がここにあるうちに、内容を自分の手元に残しておかなければならない。明日、この帳簿がまだここにあるとは限らない。そういう可能性を、今夜はじめてアリシアは真剣に考えた。
書き写す作業は一時間かかった。蝋燭が短くなり始めた頃、重要なページはすべて手元のメモに写し終えた。
帳簿を元の棚に戻した。移された先ではなく、自分のメモに記されている正しい位置に戻した。誰かが確認しに来たとしても、動かされていたことが分かる。それを証拠として残す。
書庫の扉に近づき、閂を上げた。廊下に出る前に少しだけ耳を澄ませた。音がない。足音もない。
廊下は空だった。松明の橙色だけが揺れている。アリシアは足音を立てないようにして自室へ向かった。自分の部屋のドアを開けて入り、内側から鍵をかけた。メモを荷物の中の帳簿の間に挟んで隠す。
照合表はここにある。書き写したメモもここにある。書庫の帳簿が全部消えたとしても、手元には核心が残っている。
アリシアは窓の外を確認した。主棟の角の窓——ヴィクトールの部屋に、灯りがついていた。
「こちらが動けば、向こうも動く」という現実を、アリシアは今夜初めて体感した。しかしそれは恐怖ではなかった。むしろ静かな確認だった。「やはりここに何かある」という感覚は、正しかった。
明日、ヴィクトールにこの件を報告しなければならない。帳簿が動かされたこと。自分が内容を写し取ったこと。書庫の鍵を持つ者がゲルハルトしかいないこと。これらは事実として伝える。判断はヴィクトールがする。
アリシアは灯りを落とし、寝台に横になった。石造りの壁が夜の冷気を蓄えている。毛布を引き上げながら、書庫の棚の配列を頭の中で辿った。どの帳簿がどこにあったか。明日、もう一度確認する。変化があれば、それも記録する。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




