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政略結婚先の帳簿を整えていたら、冷酷な辺境伯が手放してくれなくなりました  作者: ヲワ・おわり


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14/30

第十四話 延期という圧力

本作は全70話完結予定です。

毎日5話ずつ、07:10 / 12:10 / 18:10 / 20:10 / 22:10 に更新予定です。

面白かったら評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

週次報告会の前日の夕方、ゲルハルトが部屋を訪ねてきた。


 アリシアは覚書の整理をしていたところだった。扉をノックして入ってきたゲルハルトは、いつもの礼儀正しい表情をしていた。何かを告げに来た顔だ、とアリシアは思った。告げに来たとき、ゲルハルトの顔は常に穏やかだ。


「明日の週次報告会のことでございますが」とゲルハルトが言った。「領主様のご都合により、来週以降に延期となりました。奥方様に先にご報告しておかなければと思いまして」


「そうですか。分かりました」


 アリシアは顔を上げなかった。手元の紙を見たまま答えた。感情を出すことに意味はない。


「大変申し訳ございませんが、何卒ご理解いただけますようお願い申し上げます」


「はい、分かっています」


 ゲルハルトが部屋を出ていった。扉が閉まった後、アリシアはペンを置いた。


 二度目だ、とアリシアはすぐに頭の中で確認した。


 週次報告会が延期になるのは、これで二度目だ。一度目は先週、「領主様の緊急の対応が入った」という理由だった。今回は「領主様のご都合」だ。理由はどちらも正当に聞こえる。ヴィクトールが本当に忙しい可能性もある。しかし二度続けて、しかもアリシアが報告会への参加をヴォルフに確認した直後に延期が来た。


 これを偶然として受け入れると、次もまた同じように延期されるかもしれない。


 夜、アリシアは書き物台の前で考えた。待ち続けることが正しい選択かどうか。書庫の帳簿はすでに動かされている。一冊、場所が変わっていたことを確認している。ゲルハルトが記録を整理しているとすれば、時間が経つほど状況は変わる。証拠が消えるかどうかは分からないが、「確認できる状態」が変わっていく可能性はある。


 待ち続けることのリスクと、性急に動くことのリスク。どちらが大きいかを考えた。


 性急に動くと、感情的だと思われる。証拠があっても「新参の令嬢が騒いでいる」という印象になる。それでは正確に伝わらない。しかし待ち続けると、機会が来ないまま状況が変化するかもしれない。


 アリシアは机の上の覚書を見た。書庫での発見をすべて記録した紙が積み重なっている。三週間分の作業だ。この記録は自分の部屋にある。書庫の帳簿が動かされても、ここにあるメモは残る。しかし——メモがあっても、それを届けなければ意味がない。記録は存在するだけでは変化を起こさない。正しい人間の目に触れて初めて、何かが動く。


 ヴィクトールに届けなければならない。週次報告会が使えないなら、他の方法を探す。


 翌朝、アリシアはヴォルフを探した。


 城内を見て回ったが、食堂にも廊下にも姿がない。厩の前で馬の点検をしているヴォルフを見つけたのは、朝食から一時間ほど経った頃だった。近づくと、ヴォルフが振り向いて「奥方、どうかしましたか」と言った。


「ご相談があります。少し、お時間をいただけますか」


「もちろん」


 二人で中庭の隅に移動してから、アリシアは直接言った。


「領主様に直接お話しする機会を、作っていただけないでしょうか。財務に関することで、少し急ぎます」


 ヴォルフが表情を変えた。気軽な笑顔から、真剣な顔に変わった。「財務、ですか」。繰り返し、意味を測っているようだった。


「詳細はまだ申し上げられません。しかし、時間的に余裕がないと判断しています」


「……分かりました。少し考えさせてください」


 その夕方、ヴォルフがアリシアの部屋を訪ねてきた。


「ヴィクトール様は毎朝、日の出前に庭を一回りされる習慣があります。明日の朝、私は別の用件で席を外しておきます。庭は人が少ない時間帯です」


 アリシアは頷いた。「ありがとうございます」


「どうか気をつけて」とヴォルフが言った。気軽な口調ではなかった。本当に心配している声だった。「何があっても、私に言ってください。走ります」


 「走ります」という言葉が、少し可笑しかった。しかしヴォルフは冗談ではなく、本気で言っていた。この城に来て初めて、「助けてくれる人間がいる」という感覚を持った。


 その夜、アリシアは報告用の要約を見直した。明日の朝、庭で何を言うか。一言で伝えられる言葉を選ぶ。最初の言葉が最も大切だ。感情ではなく、事実を。判断ではなく、確認された記録を。それだけを持って、朝の庭へ行く。


 ヴィクトールは忙しい人間だ、とアリシアは思った。文書を読みながら食事をして、夜遅くまで灯りをつけている。辺境伯という立場には、自分が想像もしていないような仕事が山積しているはずだ。そのヴィクトールの時間を、自分の報告のために使わせる。それが正しいことなのかどうか。


 正しい、とアリシアは結論を出した。もし自分の見つけたものが本当に不正であれば、ヴィクトールに届けることは義務だ。間違っていたなら、間違っていると言ってもらえばいい。それでもし自分の立場が悪くなるとしても、放置するよりは誠実だ。


 覚書を折りたたんで袖の内側に入れた。明日の朝、早起きする。ヴォルフが言った時刻より少し前に庭へ行く。焦らず、落ち着いて、事実を伝える。それだけでいい。


 夜が更けていく中で、アリシアは灯りを小さくして、目を閉じた。緊張している、とは思わなかった。ただ、静かに準備ができている感じがした。

続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。

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