第十三話 立入禁止の棚
本作は全70話完結予定です。
毎日5話ずつ、07:10 / 12:10 / 18:10 / 20:10 / 22:10 に更新予定です。
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作業を始めてから一時間ほどが経ったころ、用人がやってきた。
帳簿をめくっていると、扉のところに気配がした。振り返ると、城の用人が入り口の外に立っていた。顔は知っている。ゲルハルトの配下で、城内の管理を担当している男だ。名前はまだ覚えていない。城に来てから二週間以上経つが、城内の人員をすべて把握するには至っていない。
「奥方様、少々お時間をいただけますでしょうか」
「はい、何でしょう」
「家令様よりのお申し付けで、書庫内の一部の棚について、ご説明申し上げたく存じます」
用人が手を向けた先は、書庫の奥にある三列の棚だった。アリシアがまだ手をつけていない区画だ。向こうは暗くて背表紙もよく読めないが、背の高い帳簿が整然と並んでいる。
「こちらの棚には、魔石採掘に関わる長期契約の記録が保管されております。記録の特殊性から、家令様の許可なく閲覧することはご遠慮いただいておりますとのことでございまして。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます」
アリシアは用人の顔を見た。丁寧な口調だ。申し訳なさそうな表情もしている。この男は命令を伝えているだけで、内容に関与しているわけではないだろう。「なぜ」と聞いても答えは返ってこない。
「分かりました」
それだけ言った。制限を受け入れることにした。反論しても何も変わらない。むしろ「なぜ今このタイミングで」という疑問を相手に悟られるほうが損だ。
用人が頭を下げて去っていった。
書庫の静寂が戻った。アリシアは立ったまま、制限がかかった棚をしばらく見た。
なぜ、この棚だけなのか。
書庫全体には何十もの棚がある。精製費用も人件費も修繕費も、すべてこれまで自由に閲覧できた。アリシアが照合表を作るために確認した帳簿は、すべてその「自由に閲覧できた」範囲にある。しかし採掘の長期契約記録だけが、今日から制限される。
そしてこの制限は、昨日ゲルハルトに「財務について報告したいことがある」と言った翌日に来た。
偶然の一致で説明しようとすると、無理がある。
父がよく言っていた言葉がある。「制限があるところには、制限をかける理由がある。理由がなければ、誰も手間をかけて制限などしない」。帳簿の整理をしていると言ったとき、ゲルハルトの目が動いた。採掘関係の棚に制限がかかった。これは連動している。
つまり、採掘関係の記録には何かある。
まだ証拠はない。仮説だ。しかしアリシアにとって仮説は、次に何を確かめるかを決めるための地図だ。正しいかどうかの確認は後でいい。今は地図を持って、歩ける場所を歩く。
アリシアは椅子に戻り、既に確認済みの精製費用の帳簿を広げた。もう一度、数字を確認しながら考えた。採掘量と精製費用の関係を、逆算できるかどうか。精製費用は過去三年間でほぼ一定だ。しかしヴォルフから「採掘設備の老朽化が進んでいる」という話を聞いたことがある。設備が老朽化すれば、同じ費用をかけても採れる量は減るはずだ。
採掘量が下がっているなら、精製費用も下がっていなければおかしい。しかし帳簿上の精製費用は変わっていない。
「精製費用が実態より水増しされている」か、「採掘量が実際よりも少なく記録されている」か、あるいは両方か——その答えが制限区域の棚にある。
手が出せない。今は。しかし今自分の手元にある情報から推測することはできる。アリシアは新しい紙を取り出し、「採掘量の推定と精製費用の比較」という見出しを書いた。確定した数字ではなく、仮説の表だ。しかし仮説も記録しておく。後から検証するための道標になる。
書庫を出て、中庭でヴォルフを見つけた。騎士たちと話していたところを呼び止めて、短く聞いた。
「魔石採掘はノルデン領にとってどのくらい重要ですか」
ヴォルフが表情を引き締めた。「……収益の七割ほどを占めます。採掘と精製を合わせると」
「七割」
「ええ。ノルデンの魔石は質が高いことで有名でして。何かありましたか」
「勉強のためです。ありがとうございます」
部屋に戻ってから、アリシアは覚書に書き加えた。「採掘収益=領地収入の七割。採掘量の過少記録があれば、財務帳簿の不正より規模が大きい可能性がある。確認は制限棚のため保留」。
ゲルハルトが制限をかけた理由は何か。
まだ証拠がない。しかし、制限という行動そのものが、何かを示している。
ヴォルフが「七割」と言ったときの表情を思い出した。表情が引き締まっていた。単に数字を教えてくれたのではなく、「その質問がなぜ出てくるのか」を感じ取っていたように見えた。しかし何も言わずに答えてくれた。信頼というものは、急がなくても自然に育つことがある。
窓の外に日が傾き始めていた。今日の分の作業を終えて帳簿を閉じ、覚書を荷物にしまった。明日また来る。制限のある棚以外に、まだ確認していない記録が残っている。できることから続ける。それだけだ。
書庫の扉を閉めて鍵をかけながら、アリシアは考えた。週次の報告会はまだ数日後だ。その日までに、今日の仮説を裏付けられるだけの材料を揃えたい。揃えられなくても、揃えようとした過程は記録に残す。証拠は消えても、記録した事実は消えない。
続きも順次更新されます。よろしければ次話もお付き合いください。




