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私の呪いを解かないでください、平穏なので!  作者: 九葉(くずは)


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第9話

街での買い物から戻った私たちを、別邸の門前で待ち構えていたのは副団長のルーカスだった。

ガブリエルが買い物の紙袋を私に預けて進み出ると、ルーカスは馬の脇に立ったまま、懐から神殿の赤い封蝋が押された書状を取り出した。


「ガブリエル。昨日の夕刻、ヴェイン子爵家とアシュフィールド伯爵から神殿の上層部へ激しい抗議が入った。『筆頭聖騎士が解呪もせずに求婚者を追い返した』とな」

「事実だ。あやつはヘレナ嬢の意思を無視して乱暴に手を触れようとした」

「理由はともかく、上層部は激怒している。これは最高評議会からの正式な期限付き通告書だ」


ルーカスから手渡された羊皮紙を開き、ガブリエルは黙って目を走らせた。

五メートル後ろの門扉の陰から見守っていた私にも、ルーカスの低く張り詰めた声が届いてくる。


「『明日、十日目の正午までにアシュフィールド令嬢の解呪を完遂し、王都へ帰還せよ。この命に従わぬ場合、筆頭聖騎士の職を解き、命令違反として懲戒処分に処す』……以上だ」


私の手の中で、茶葉と刺繍糸の入った紙袋がかさりと鳴った。

解任と懲戒処分。それは、七つの頃から神殿に身を捧げてきた彼にとって、積み上げてきた名誉も居場所もすべて奪われるということに他ならない。


「期限は明日の正午だが、私はこのまま門の外で返答を待つよう命じられている。……よく考えろ、ガブリエル」


ルーカスが馬の手綱を引いて街道の脇へと下がると、ガブリエルは通告書を手に門の内側へと戻ってきた。


夕暮れの風が吹く庭の真ん中で、私は紫黒の瘴気を揺らしながら彼の前に立った。


「……ガブリエル様。今の話はすべて聞こえておりましたわ」

「ヘレナ嬢。心配するな、こんな通告書など――」

「いいえ、よくお聞きなさい!」


私は震えそうになる声を必死に抑え、これまでで一番強い口調で彼を見上げた。


「私の呪いを、今すぐ解いてください」


ガブリエルの碧眼が、大きく見開かれた。

私は手提げ鞄を胸の前にぎゅっと抱きしめ、言葉を継いだ。


「あなたが今ここで聖剣を抜いて私の瘴気を焼き払えば、それで全部丸く収まりますわ。あなたは筆頭聖騎士の地位も名誉も失わずに済みますし、懲戒処分を受けることもありません。……私の我儘のせいで、あなたの人生を傷つけるわけにはいきませんわ!」


あの日、あれほど「解かないで」と塩まで撒いて拒絶した呪いだ。

けれど、この九日間、私の静けさを守り、私のために怒り、私の隣で笑ってくれたこの不器用な騎士が泥を被るのを見るくらいなら、平穏な隠居生活を手放す方がまだマシだと思った。


以前の彼なら、「そんな本心ではない言葉は聞かん!」と大声で私の言葉を遮っていたかもしれない。

だが、ガブリエルはすぐには否定しなかった。

彼は通告書を懐にしまうと、私の目の前――濃い瘴気のただ中で、芝生の上に静かに片膝をついた。


見上げる形になった彼の碧眼が、私の瞳をまっすぐに映す。


「……ヘレナ。ありがとう、私の身を案じてくれたのだな」


初めて『嬢』を外して呼ばれた名前に、私の息が詰まった。

ガブリエルは驚くほど穏やかで、澄み切った声で問いかけてきた。


「だが、私のためではなく、君自身の心を教えてくれ。もし私の地位や神殿の処分が何ひとつ関係なかったとしても……君は今、その呪いと、この家で守ってきた平穏を手放したいと願うか?」

「それ、は……」

「決めつけはしない。君が心から解呪を望むと言うなら、私は今すぐ剣を抜こう。だから、君が本当はどう生きたいのか、君の言葉で聞かせてほしい」


逃げることを許さない、けれどどこまでも優しい眼差しだった。

私の脳裏に、彼と過ごしたこの九日間が浮かぶ。雨の日に息を潜めてくれたこと。二人で温かい紅茶を飲んだこと。今日、並んで街を歩き、同じテーブルで笑い合ったこと。


私は唇を強く噛みしめ、ぽろりとこぼれそうになった本音を絞り出した。


「……嫌です。本当は、呪いなんて少しも解きたくありません!」


一度言葉にしてしまえば、あとは堰を切ったように胸の内があふれ出た。


「社交界の道具に戻るのも、見知らぬ男に嫁ぐのも真っ平ですわ! 私はこの別邸で、この便利な瘴気に守られたまま、静かに本を読んでお茶を飲んで暮らしたい! それに……!」


私は膝をつく彼の肩口を睨みつけ、顔を赤くして叫んだ。


「それに、せっかく私の呪いの中で一緒にお茶を飲める人間が見つかったのですもの! この平穏も、あなたと過ごす時間も、どっちも失いたくありませんわ!」


言い切った瞬間、ガブリエルの顔に、夕陽よりも眩しい満面の笑みが広がった。

彼は立ち上がると、私の両手を大きな手でそっと包み込んだ。


「――よく言ってくれた! それでこそ私の愛するヘレナだ!」

「なっ……あ、愛するって、どさくさに紛れて何を仰るの!」

「私の本心だ! 私も君と同じだよ、ヘレナ。誰かの意思を踏み躙って守る英雄の座など、私には何の価値もない。私は筆頭聖騎士の肩書より、呪いごと君の隣で生きる道を選びたい!」


ガブリエルは私の手を一度強く握りしめると、迷いなく振り返り、門の外で待つルーカスのもとへと大股で歩み寄った。私も慌ててその後を追う。


「ルーカス、明日の正午まで待つ必要はない。これが私の返答だ」


ガブリエルが懐から取り出して差し出したのは、通告書ではなく、あらかじめ署名まで済ませてあった一通の白い書類だった。


「これは……『自主退団届』!? お前、いつの間にこれを……!」

「数日前からだ。神殿がヘレナの意思を尊重しないなら、遅かれ早かれこうなると分かっていた」


ガブリエルは胸の太陽の紋章を外し、書類の上に重ねてルーカスへ突き出した。


「神殿の命令権は、所属する騎士にしか及ばない。一般の貴族令嬢であるヘレナ本人が拒んでいる以上、神殿には強制解呪を執行する法的権限はないはずだ。そして私が今この場で自主退団すれば、私に対する解呪命令も懲戒も、すべて効力を失う!」


ルーカスは受け取った紋章と退団届を見つめ、長い沈黙のあと、ふっと苦笑して眼鏡の位置を直した。


「……まったく、お前という男は。自分の人生まで投げ出して守りたい平穏か。いいだろう、副団長権限で、お前の自主退団届を今この場で正式に受理する。これで神殿からの解呪任務は終了だ。上層部には私から報告しておく」

「感謝する、ルーカス。今まで世話になった」


友の背を見送るルーカスに、ガブリエルは晴れやかな顔で敬礼を返した。


「それと、もう一つ報告がある! 伯爵家が親権を盾にヘレナへ縁談を押し付けようとしているが、彼女が婚姻してしまえば実家の親権は法的に消滅する! よって、彼女が許してくれるなら、私はただのガブリエルとしてこの家の婿に入るつもりだ!」


門の後ろで聞いていた私の顔が、カッと沸騰したように熱くなった。


「ちょ、ちょっとガブリエル! なぜそれを今、副団長様に宣言しておりますの!?」

「む? 君がさっき『あなたと過ごす時間も失いたくない』と言ってくれたではないか!」

「言いましたけれど、順序というものがありますでしょう!」


目を丸くしていたルーカスは、やれやれと肩をすくめて馬の手綱を返した。


「……お幸せにな、元・筆頭聖騎士殿。お嬢様、その騒がしい男をどうかよろしくお願いします」


ルーカスの馬が夕暮れの街道を駆け去っていく。

神殿のしがらみも、実家の干渉も、すべてを自らの手で断ち切ったガブリエルが、少し照れくさそうに笑いながら私の方へと振り返った。

庭の片隅に張られた白い天幕を畳み、二人の新しい暮らしを始めるべき朝は、すぐそこまで来ていた。


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