第七話:長州の熱、佐賀の冷徹
# 第七話:長州の熱、佐賀の冷徹
## 一
文久三年(一八六三年)夏。
日本列島は、未曾有の「戦争の季節」へと突入していた。
五月、長州藩が関門海峡を通る外国船を突如砲撃(下関事件)。これに対し、アメリカとフランスの軍艦がただちに報復攻撃を行い、長州の砲台に打撃を与えた(列強四か国による本格的な連合艦隊の総攻撃は、翌年に持ち越されることとなる)。
同じく八月、薩摩藩も生麦事件の報復としてやってきたイギリス艦隊と激突(薩英戦争)。鹿児島城下が炎に包まれる大打撃を受けた。
「攘夷! 異国を打ち払え!」と威勢よく叫んでいた薩摩と長州は、西洋の圧倒的な火力の前に血を流し、叩きのめされたのである。
だが——その激動の渦中にあって、長崎警護を担う佐賀藩と福岡藩の反応は、対極をなしていた。
「見たか! 薩摩も長州も、異国の黒船にこっぴどく痛めつけられたぞ!」
佐賀城本丸の大広間。重臣たちが、どこか嘲笑を交えた声で報告し合っていた。
「思想だけで突っ走るからそうなるのだ。我が藩のように、じっくりと腰を据えて準備をしておれば——」
「黙っておれ」
上座に座る鍋島直正の一言で、大広間が静まり返った。直正の隣に控える神代泰親は、届いたばかりの戦闘被害報告書を静かに読み進めていた。
「泰親。薩英戦争と下関の敗戦……お前はどう見る?」
泰親は報告書から目を上げ、冷徹な声で答えた。
「薩摩と長州は、血を流して『本物の戦争』を学びました。……これは、恐ろしいことです」
## 二
「ほう?」直正が眉をひそめる。
「これまでの薩長は、刀を振るう『政治の熱狂』の中にいました。しかし、自国の砲台が木っ端微塵に砕かれ、城下が焼かれたことで、彼らは思い知ったのです。『思想では鉄の弾は止められぬ』という現実を」
泰親は手元の図面を広げた。
「薩摩の西郷隆盛や、長州の桂小五郎といった男たちは愚かではありませぬ。彼らは敗北から学び、即座に攘夷を捨てて『開国・自前軍備』へと舵を切るでしょう。彼らが本気で西洋技術を吸収し始めれば、数年で我が藩の背中に迫ってきます」
「……ならば、どうする?」
「決まっております」
泰親の瞳に、氷のような光が宿る。
「薩長が敗北の痛手から立ち直り、新たな武器を買い集めている間に、我らは彼らの手が絶対に届かぬ『高み』へ到達する。……アームストロング砲の試作機、完成させます」
同じ頃。関門海峡を挟んだ対岸、福岡藩の陣営では、全く異なる混乱が起きていた。下関で長州藩が外国船を撃ったという報せに、福岡藩の若き志士たちは熱狂していた。
「長州の義挙に続け! 我ら福岡藩も、長州とともに立ち上がるべきだ!」
過激派の志士たちが城下で気勢をあげる一方、保守派の家老たちは恐怖に震えていた。
「滅相もない! イギリスやフランスを怒らせれば、福岡の城下が火の海になるぞ! 長州とは関わるな!」
藩主・黒田長溥の元には、連日のように「長州を支援すべき」という志士の嘆願書と、「志士を処刑して幕府に恭順すべき」という家老たちの意見書が山のように積み上げられていた。
「またか……」
長溥は頭を抱えた。薩長が敗北の中から「技術の重要性」という教訓を得ようとしている横で、福岡藩は「進むべきか、退くべきか」の不毛な内部対立に終始し、藩のエネルギーを内側から擦り減らしていたのだ。
## 三
文久三年秋。佐賀・多布施の精錬方。昼夜を分かたず打ち鳴らされる鉄の音。
泰親は、目の前に設置された異様な形の大砲を見つめていた。砲身の後部に、分厚いネジ式の栓(閉鎖機)が取り付けられた大砲。イギリスの最新鋭兵器「アームストロング砲」の佐賀藩版試作機である。
「神代どの! 閉鎖機のネジ込み、完了しました! 耐圧テストに入ります!」
佐野常民が汗だくになりながら叫ぶ。アームストロング砲の最大の問題は、発射時の凄まじい爆圧によって、後部の閉鎖機が吹き飛ぶ危険性があることだった。寸分の狂いもない精密な鋳造とネジ切りが求められる。
「火薬量、規定の八割! 試射準備!」
泰親は自ら導火線に火をつけ、防壁の後ろへ飛び込んだ。
シューッ……導火線が縮み——
ドゴォォォォンッ!!
爆音とともに、試射場の防壁が激しく揺れた。硝煙が晴れると、砲身の後部は吹き飛ぶことなく、しっかりと組み合わさったまま煙を吐いていた。
「成功だ……! 閉鎖機が圧力を完璧に抑え込んだぞ!」
佐野たちが歓声をあげて抱き合う。従来の滑腔砲の三倍以上の射程を持ち、後部から素早く弾丸を装填できる悪魔の連射砲。その「日本初の国産化」の扉が、ついに開かれた瞬間であった。
## 四
その夜。精錬方を訪れた鍋島直正は、完成したアームストロング砲の試作機にそっと手を触れた。
「泰親……本当に出来てしまったな」
直正の声には、感動とともに、どこか慄然とした響きがあった。
「これがあれば、薩摩も、長州も、そして幕府すらも……我が佐賀藩の一言にひれ伏すことになる」
「はい」
泰親は静かに頭を下げた。
「薩摩と長州は、外国に叩きのめされてようやく『技術』の重要性に気づきました。ですが、彼らが海外から武器を買い集めようとした時には、我が佐賀藩は自前の工場でアームストロング砲を量産しております」
泰親は直正を見つめた。
「他藩が買い揃えた『既製品』など、我が藩の自前技術の前には赤子も同然。薩長が政治の泥沼で血を流している間に、我が佐賀藩は『絶対的な力』を手に入れました」
直正は笑った。どこか悲壮感を孕んだ、不敵な笑みであった。
「肥前の妖怪……世間はわしをそう呼ぶ。日和見を決め込み、天下の争いを高みの見物決め込んでいるとな。……だが奴らは知らんのだ。わしらが高みで見物している間に、世界を吹き飛ばす兵器を作り上げていたことを」
「殿。選択の時は、確実に近づいております」
「うむ。薩長と幕府が潰し合い、疲れ果てたその時に……この鉄の爪を剥き出しにしてやる」
熱狂に浮かされる長州。敗北に震え、迷走する福岡。そして、闇の中で冷徹に「最強の牙」を研ぎ続ける佐賀。幕末という巨大な激流は、佐賀藩の描く筋書き通りに、着々とその牙城へと引き寄せられつつあった。
(第八話へ続く)




