第90話:奇跡の魔導具と、届いた祈り
深夜、皇宮の執務室に呼び出されたローゼンベルク公爵ーー我が国の宰相は、疲弊した顔を見せながら深々と頭を下げていた。
長年、真面目で高い忠誠心をもって帝国を支えてきたこの男自身を、私は心から疑っているわけではない。
「……陛下。娘リリスの愚行、誠に……誠に弁明の余地もございません」
「頭を上げよ、宰相」
私は冷徹な声で告げ、机の上に二つのペンダントを並べた。
「一令嬢の浅知恵だけで、結界の破綻や魔物を引き寄せる誘引具の手配まで完璧にこなせるとは思えん。……婚約者であるカシアン・コワルドはどうだ」
「カシアン、ですか……?」
「コワルド家の事業は確か、他国からの魔導具や資材の流通業だったな。結界を揺るがすような特殊な魔導具の流入、ならびに城内への手引き……関与していると見ている。宰相、お前の手でコワルド家の裏どりをしろ。身内だからと甘い顔をすれば、公爵家ごと潰す」
「っ……!はっ!直ちに調査いたします」
決意を滲ませた顔で退出する宰相の後ろ姿を見送り、私は重い息を吐き出した。
事件の全貌は解明に向かい始めていたが、私の心は少しも晴れなかった。
ーーそれから、何週間もの時が流れた。
ロキシーは、依然として意識を取り戻さないまま。
傷口自体は塞がっているものの、失血と極度の衰弱により、宮廷医師たちが投薬する栄養剤だけでかろうじて命を繋いでいる状態だ。日に日に痩せ細っていく彼女の白い頬を見るたび、私の胸は引き裂かれそうになっていった。
皇帝としての山のような執務を無理やりこなし、僅かな隙間時間さえあれば寝室に通い詰める日々。
ろくに食事も喉を通らず、私自身もまた、日に日に痩せこけていった。
(彼女がいない世界は、こんなにも暗く、息をすることすら苦しいものだっただろうかーー)
ただ祈ることしかできない自分が、ひどく無価値に思えて堪らなかった。
「……ロキシー、目を覚ましてくれ。そなたがいない世界など、もう私には何の意味もない」
彼女の冷たい手を自分の頬に寄せる。
「そなたがこのまま眠ってしまうのなら……二人だけで静かに朽ちていこう。そなたを一人にはさせない……死が二人を分かつとも、私たちは永遠に一緒だ……」
彼女の寝室には、入れ替わり立ち替わり見舞いの者が訪れた。
騎士団長のガヴェイン、総侍従長、さらには料理人たちまでもが、心配そうに彼女の無事を祈り、花や見舞いの品を届けてくれた。
誰もが彼女の目覚めを心から待ち望んでいた。
だが、無情にも時は過ぎ、医師たちの顔にも陰りが差し始めていた時だった。
「失礼いたします、陛下」
静寂が支配する寝室の扉が、静かに開かれた。
姿を現したのは、エレオノーラ・ローゼンベルクだった。
「何をしに来た」
「ロクサーナ様が命の危機に瀕していると聞き、居ても立っても居られませんでした……!陛下、私にロクサーナ様をお救いする手助けをさせてください!」
そのミントグリーンの瞳には、友を案じる強い気持ちと涙が揺れていた。
エレオノーラは従者に持たせていた精巧な装飾の箱を開かせると、中には眩い魔石と複雑な銀の陣が組み込まれた魔導具が収められていた。
「……これは?」
「これは『魔導増幅機』ーー私の研究と技術の全てを注ぎ込んで作り上げた魔導具でございます。対象者の持つ魔石への潜在能力を極限まで増幅することが可能となりますわ」
かつて完璧な仮面の裏に隠し続け、ロクサーナという『友達』を得て自らの夢へと自分の足で歩み始めた、彼女の魂の結晶。
エレオノーラは訴えかけるように言葉を続けた。
「地下牢にいる聖女ブランシュが有する光の魔石への潜在能力は間違いなく世界最高峰です。あの方の潜在能力をこの機で極限まで増幅し、ロクサーナ様を治癒していただきます。既に最高峰の潜在能力を持つ彼女の力を極限まで増幅することで『生命力そのもの』を補填することができるかもしれません。……成功する保証はありません……でも、何もしないでただ見ているなんて出来ませんわ!!」
彼女の言葉には一切の迷いがなかった。
成功の保証は無い。だが、見えた一筋の希望に縋らずにはいられなかった。
私は即座に地下牢から聖女を引きずり出させ、魔導具を使わせた。
「な、何をするんですか……!?」
「静かになさい。今あなただけがロクサーナ様をお救いできる鍵なのよ」
「ロクサーナ様を……お救いできる……?」
エレオノーラの一言に、聖女の目に光が灯る。
エレオノーラが静かに魔導具を起動させると、魔導具は澄んだ色とともに、圧倒的な密度の光を放ち始めた。
悔恨に涙を流しながら、聖女は必死の思いで魔導具へと両手をかざす。
聖女が持つ光の魔石への潜在能力が、魔導具によって極限まで増幅され、その治癒の力が静かに、けれど確かにロキシーの身体へと巡っていく。
一秒が、永遠のように感じられた。
やがて光が収まり、静寂が訪れた部屋で、私は彼女の手を強く握りしめた。
「……ん……」
かすかな、本当に小さな声だった。
ロキシーの長いまつ毛が微かに震え、ゆっくりと、ゆっくりとその瞳が開かれていく。
「ロキシー……?ロキシー!!」
「「ロクサーナ様!!」」
見守っていたエレオノーラ、ヴェラやニナたちの歓喜の叫びと重なるように、私は何週間もの絶望を吹き飛ばす歓喜の中で、最愛の彼女の名を何度も呼びかけた。
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