第83話:突然の知らせと、迫り来る災厄
前半ロクサーナ視点、後半ノクス視点です。
あれから数日。皇宮内に渦巻く噂と嫌がらせの勢いは、弱まるどころか日増しに強くなっていた。
「……またですわ、ロクサーナ様。本日届くはずだった中庭の茶会用のお菓子、厨房の手違いで聖女様のいらっしゃる離宮へ運ばれ、既にあちらで振る舞われてしまったそうですわ」
「あら、そうなの?じゃあ代わりに自分でクッキーでも焼こうかしら」
「そういう問題ではありませんわ!」
自室で頭を悩ませるヴェラと、憤慨して拳を握りしめるニナ。
すれ違う若い侍女たちに露骨に避けられ、社交界や城下の噂話では『聖女様と皇帝陛下の真実の愛を阻む邪魔な婚約者』として勝手に悪者扱いされているらしい。
下手に騒いでも噂に信憑性を持たせてしまう気もするし、何事もないようにするのが一番得策だと思っていた。
当の私からしてみれば……婚約者がいる男性に露骨にアタックしておいて『真実の愛』だなんて、一体どういう理屈なのかしら?と、思うのだが。
ーーけれど、私がどれほどケロッとしていようと、この噂が皇帝であるノクス様の耳に入らないはずがなかったのだ。
ーーー
(……真実の愛だと?……馬鹿馬鹿しい)
執務室のデスクで書類を検分しながら、ノクスは胸の内で怒りを吐き捨てていた。
影からの報告により、皇宮内で広がる馬鹿げた噂も、ロキシーに向けられている若い侍女どもの陰湿な嫌がらせもすべて把握している。
今すぐにでも噂を流した不敬者を処罰し、嫌がらせに関与した者どもを追い出したい衝動に駆られていた。
だが、ロキシー自身が私に泣きつくでもなく、何事もないように振る舞っているため、私自身も安易に動くのを思いとどまらざるを得なかった。
「陛下!本日も差し入れをお持ちしましたの!ぜひ一緒にお茶をいかがですか?」
私の思考を遮るように、明るい声を上げて執務室へやってきたのは聖女ブランシュだった。
歓迎パーティーの翌日からというもの、彼女は断られても折れることなく、笑顔で連日のように執務室に来ては差し入れやお茶へ誘うのを繰り返している。
(……辟易するな。噂の引き金になっている無自覚さが鬱陶しい)
冷たい視線を向けた私だったが、ふと胸の奥から、ある欲求が脳裏をよぎった。
(……もし、私がこの聖女の誘いに乗り一緒にお茶でもしてみたら……ロキシーは嫉妬してくれるだろうか?)
いつも嫉妬するのは私の方だが、ロキシー以外の女と親しくする姿を見せれば、彼女も不安になって私に甘えてくれるのではないか。「私だけを見てほしい」と、可愛らしくすがってくれるのではないかーー。
一瞬、そんな考えが胸をかすめたが、私は即座にその考えを打ち消し、己の浅はかさを恥じた。
(……ダメだ。ロキシーを試すような真似をして傷つけたり、もし万が一嫌われたりしたら私は狂ってしまうだろう。そんな真似、断じてできるはずがない)
「……断る。私は執務で忙しい」
「あ……はい、申し訳ありません。お仕事、頑張ってくださいね!」
冷たく追い払われても、聖女は嫌な顔一つせず、気遣うような笑顔を見せて素直に引き下がっていった。悪意がないからこそ、周囲の噂を加速させていることに本人が気づいていないのが余計にタチが悪い。
私が深くため息を吐いた、その時だった。
バンッ、と重厚な執務室のドアが叩き開かれ、騎士団長のガヴェインが蒼白な顔で飛び込んできた。
「陛下!緊急事態です!」
「どうした、ガヴェイン」
「帝都の東方森林地帯にて、異常な密度の魔力が膨れ上がっております!これは……大規模なスタンピード(魔物の大暴走)の予兆と同じです!」
「なに……!?」
突然の知らせに私の眉間が険しく寄る。
帝都は本来『闇の魔石』の膨大な魔力を利用し、私一人の力で維持している強力な防衛結界によって守られているはずだった。
その時ーーズズズ、と大地を揺らすような不気味な振動が皇宮全体を襲った。
私が即座に魔力を探ると、帝都東方の結界に大きな『穴』があいたかのように魔力が霧散していくのを感じ取った。
(結界が破られた……?一体どうやって……!)
「ガヴェイン!帝都東方の結界が破られた!即座に全騎士団に出撃命令を出せ!第一・第二騎士団は東門の防衛と結界基盤の現場へ、残りは帝都の民の避難誘導に回らせろ!」
「はっ!!」
ガヴェインがすぐさま状況を理解し、部屋を飛び出した。周囲が緊迫した空気に包まれる。
結界の綻びを目ざとく察知した魔物たちが、帝都へ向けて一斉に雪崩れ込んでくるのは時間の問題だった。
(まるで計ったかのように結界の破損とスタンピードが重なるとは……!)
私はすぐさま控えていた側近たちへと向き直る。
「私も帝都東方へ出撃する。宰相、私が前線に出ている間の帝都の指揮と、民の避難統括を任せる。バルトロメウスは聖女のいる離宮と皇宮内の防衛を固めさせ、避難経路を確保させろ」
「「御意!」」
冷徹に指示を飛ばしながらも、私の頭に浮かんだのは、一人の少女の顔だった。
(ロキシー……!)
突然訪れた帝都を揺るがす不吉な波は、ついに最悪の事態を引き起こそうとしていたーー。
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