第82話:作られた悪役と、加熱する噂
第三者視点&ロクサーナ視点です。
歓迎パーティーの翌日から、聖女様の行動は何かに後押しされたかのように目に見えて積極的になった。
「陛下!隣国から持ってまいりました、私のお気に入りのお菓子です!どうぞ召し上がってくださいませ!」
「……後でいただこう」
「それと、お仕事が終わりましたら一緒にお茶をいかがですか?」
「断る」
しかし、どれだけノクス様に冷たくあしらわれようとも、彼女が折れる気配は一切なかった。
それだけなら、いつもの微笑ましい暴走で済んだのかもしれない。
けれど、聖女様の影響力は思いもよらない形で皇宮内に広がり始めていた。
きっかけは、訓練中に怪我をした騎士の治療だった。
聖女様は持参した『光の魔石』が埋め込まれた神聖具を使い、痛みに呻く騎士の傷をまたたく間に癒やしてみせたのだ。
「あんな酷い怪我があっという間に治るなんて!聖女様がいてくだされば、戦場に行くのも怖くないですね!」
「バカ者が。戦場に都合よく聖女様が付き添ってくださるわけがないだろう。有事の際、自分の怪我の手当てすらこなせない軟弱者に、皇帝陛下の剣が務まるか!」
さらに、持ち前の親しみやすさで掃除や庭の手入れをする使用人たちにも気さくに声をかけ、手伝いを買って出ることまで始めたようだった。
それだけに留まらず、聖女様は護衛と一緒に城下町へと足を運んで町の人々にも笑顔で接し、怪我人を無償で治療するなど、交流を深めていった。
「聖女様と聞いてお堅いお方かと思ったら、なんて親切なんだ……」
「あのお優しい笑顔を見ているだけで、心が洗われるようだね」
美しく、神聖で、誰に対しても平等に温かい聖女様。
等身大な彼女の魅力に、若い使用人や城下の民衆たちが魅了され、打ち解けていくのにそう時間はかからなかった。
そしてーーそれと引き換えに、皇宮内の風向きが変化を見せ始めた。
「ねえ、聞いた?陛下が聖女様を冷たく追い返されるのは、ロクサーナ様が裏で怒っていらっしゃるからなんですって」
「まあ……。お可哀想な聖女様。ロクサーナ様がいらっしゃるから正妃にはなれないのよね」
「まるで『美女と野獣』の物語のようだわ。真実の愛で結ばれるべきなのはお二人なんじゃないかしら!」
若い使用人たちの間で、そんな噂がひそひそと囁かれ始めたのだ。
さらにその波紋は、リリスの巧みな手回しによって若い貴族令息や令嬢たち、そして城下の民衆たちの間にも広がりつつあった。
隣国との絆を深め、この国にさらなる繁栄と平和をもたらすのは、あの聖女様なのではないか、と。
もちろん、宰相をはじめとする重鎮や有力貴族の当主たちは、そのような噂に惑わされることはなかった。ロクサーナの努力や正妃としての資質、そして皇帝陛下からの深い寵愛を正しく理解していたからだ。
何より、他国の聖女を安易に皇妃へ迎え入れれば、最前線で魔物の侵入を防ぎ帝国を守り続けているヴァルハイト辺境伯領を敵に回すことになるーーその致命的なリスクを、重鎮たちは何よりも深く熟知していたからこそ、ロクサーナを支持していたのだ。
だが、日に日に広がる「聖女を正妃に」という若い世代の過熱ぶりと、おとぎ話の中の幸せな結末を夢見るような、民衆の憧れに似た熱狂は、無視できないほどに膨れ上がっていた。
自国の確定している婚約者を差し置いて他国の聖女を正妃になど無茶苦茶だ、と一蹴したいものの、民意を強引に抑え込めば反発に繋がりかねないため、皇帝や重鎮たちは噂の対処に頭を悩ませていた。
ーーそして、その一人歩きする噂の皺寄せは、確実にロクサーナのもとへと押し寄せていた。
「……あら、失礼いたしました。お召し物に水がかかってしまいましたわ」
廊下を歩いていた際、すれ違った侍女の手から滑り落ちた花瓶の水が、私のドレスの裾を濡らした。
頭を下げて謝罪口調を口にするものの、その瞳には一切の反省の色はなく、どこか冷たい光が宿っている。
「ちょっと、あなた!ーー」
ニナが即座に前へ出て注意をしようとした。だが、私はその肩をポンと叩いて押しとどめる。
「いいのよニナ。……怪我はなかったかしら? 次からは気をつけてね」
「っ……はい、失礼いたします」
不貞腐れた態度で去っていく若い侍女の背中を、ニナは今にも飛びかかりそうな勢いで睨みつけていた。
「ロクサーナ様!なぜお止めになったのですか!?あからさまにわざとですわ!最近のお茶の件といい……!」
「いいのよニナ、ただお水がかかっただけだもの」
ニナの言う通り、こうした『さりげない嫌がらせ』が、あの歓迎パーティー以降少しずつ増えていた。
お茶の温度が冷めきっていたり、依頼した書類の到着が理由をつけて遅れたり、すれ違いざまに挨拶を無視されたり。
もちろん、全員がこのようなことをするわけではない。
専属侍女のヴェラやニナ、総侍従長、古くから使える使用人や侍女たちに、私を温かく迎えてくれた料理長や厨房の料理人たち。
そして騎士団長やエルヴィス殿下をはじめとする騎士団のみんなや、ノクス様の側近たちは、今も変わらず私に誠心誠意尽くしてくれている。
だが、それ以外の新しく入った侍女や一部の若い使用人たちの態度は、日を追うごとに冷ややかなものへと変わっているような気がした。
(……最近、皇宮内で妙な噂が流れているとは思っていたけれど、聖女様を応援したいと思えば思うほど、周りは勝手に私を『二人の邪魔をする悪者』に仕立て上げたいのかしら。……ふん、上等じゃない!)
自室に戻るなり、私のドレスを見たヴェラが素早く着替えの準備を整えながら、冷たい怒りを瞳に宿して口を開く。
「……ロクサーナ様。バルトロメウス様に掛け合い、あの者たちを処罰させるべきです」
「ダメよ。このことがノクス様に伝わったりしたらどうなると思う?」
「……陛下なら、侍女たちを即刻追放なさるか、最悪の場合……」
「そうでしょう?皇帝として日々膨大な執務と戦っていらっしゃるノクス様に、こんなくだらない嫌がらせでお手を煩わせるわけにはいかないわ。無駄な血が流れるのも嫌だしね」
私は濡れたドレスの裾を自ら手でぎゅっと絞り、パンパンと叩いてシワを伸ばしながらカラッと笑ってみせた。
(……確かに今回の嫌がらせはニナの隙をついた計画的なものだから随分と手が込んでいるけれど、まだまだ甘いわね!)
お茶が冷めていようが、濡らされようが、北の猛吹雪やサバイバル生活に比べれば可愛いものだ。このくらいの嫌がらせで落ち込んではヴァルハイトの女は務まらない。
「この程度の小細工、一人で返り討ち……じゃなくて、受け流してみせるわ!」
持ち前の前向きさと逞しさで乗り切る決意を固め、鏡の前でグッと力強くガッツポーズを作る私に、ヴェラとニナは「お心が広すぎます……」「もう少しご自分を労わってください……」と揃って頭を抱えるのだった。
だが、本人のあふれる脳筋メンタルとは裏腹に、尾ひれがついて広がっていく噂と孤立の波は、着実に皇宮全体を包み込みつつあったーー。
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