第76話:純白の聖女と、女の勘
ロクサーナ視点です。
謁見の間に漂う、厳かな空気。
目の前に佇むオルティシア国の聖女、ブランシュ・ヴァリエール様を目にした瞬間、私は息を呑んだ。
腰まで届く白銀の髪は、光の角度によって透明感のある色彩を透かせている。一点の曇りもない銀色の瞳に、陶器のように滑らかな白い肌。
その神々しいまでの美貌は、同じ女性である私ですら思わず見惚れてしまうほどだった。きっとこの世界で彼女の美貌に勝てる者がいるとすれば、それこそ本物の女神くらいではないだろうか。
挨拶を終えた後、私はノクス様の婚約者として一歩前へ出た。
「聖女様、遠路はるばる帝国へお越しくださりありがとうございます。心より歓迎いたしますわ。滞在中にご使用になるお部屋や、皇宮内のご案内は、私がお世話させていただきます」
微笑みを向けた私に、ブランシュ様はぱっと表情を輝かせた。けれど、その口から飛び出したのは思いも寄らない言葉だった。
「ご配慮ありがとうございます。ですが……できれば、皇宮のご案内は陛下にお願いしたいのですが」
無邪気で一切の悪意を感じさせないその言葉に、謁見の間に一瞬、不自然な静寂が走る。
即座に、ノクス様が静かだが冷淡な声で応じた。
「私は皇帝としてそちらの使節団との会議や、そのほか他国との政務や軍務を抱えている。滞在中の案内や皇宮内の管理は、私の婚約者であるロクサーナが全権を担う。私が出る筋合いではない」
一切の隙を許さない断り文句に、ブランシュ様はまるで拾われた仔犬のように悲しそうな表情を浮かべた。
「……申し訳ありません、不躾なことを申しました。では、ロクサーナ様、よろしくお願いいたします」
悲しげに、けれど素直に了承した彼女に、ノクス様はそれ以上視線を合わせることなく使節団との会議へと向かわれた。
使節団とノクス様が立ち去った後、私は聖女様とその護衛、そして側仕えの侍女たちを連れて、彼女に滞在してもらう予定の離宮へと案内を始めた。
「こちらが、聖女様が滞在中お心地よくお過ごしいただけますようご用意したお部屋です。ご不便があれば何なりとお申し付けください」
「……とても素敵なお部屋ですわ!ありがとうございます、ロクサーナ様」
案内を終え、人払いをしかけたその時。ブランシュ様が銀色の瞳を細め、どこか恥ずかしそうに私を見つめて口を開いた。
「実は私……ノ、陛下とは、ルミエラの街で以前一度お会いしたことがあるのです」
「……ルミエラで、ですか?」
「ええ。暴漢に追われていた私を、陛下が颯爽と助けてくださって……。その時のお礼を直接申し上げたいのですが……陛下と二人きりでお話しするお時間をいただけないでしょうか?」
純粋な感謝の気持ち、として語られた言葉。
けれど、私は優しく首を横に振った。
「お気持ちは分かりますわ、聖女様。ですが、この帝国では婚約者のいる男性と他国の女性が二人きりで会うことは、礼節に反する行為とされております。お礼の言葉でしたら、私からノクス様へお伝えしておきますわ」
やんわりと、けれどきっぱりとお断りした私の手に、ブランシュ様が思わずといった様子で自分の両手を重ねてきた。
「そんな……!お願いです、ロクサーナ様。どうしても直接お礼を言いたいんです!護衛や私の侍女も同席させますから!」
「……ノクス様に、一度確認してみますわね」
すがるような瞳で頼み込んでくる彼女に、私はそう答えるのが精一杯だった。
彼女の両手をやさしく解きながら、私は胸の奥が冷たく締め付けられるような、モヤモヤとした不快感を覚えていた。
ブランシュ様に悪気はないのだろう。
擦れた計算も、誰かを陥れようという意図も感じられなかった。
ただーー真っ直ぐにノクス様の名前を呼ぶその美しい瞳の奥に、隠しきれない『恋心』が宿っているのを、私は見逃さなかった。
いっそ、計算や野心でノクス様に近づいてくれた方が、どれほどマシだっただろう。
悪意がないからこそ、その純粋すぎる恋心に胸がざわつく。
ーーこれから何かが、変わり始めてしまうような予感がした。
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