第74話:仮面の終わりと、夢の始まり
エレオノーラ視点です。
ーー初めて見たそれは、この世のものとは思えないほど美しく輝いていた。
まだ十歳にも満たない幼い頃、魔導具作りが趣味だった祖父の書斎で目にした、小さな魔石。暗闇の中で自立して、何色とも言えない美しい光を放ち続けている姿に、私は一瞬で心を奪われた。
私も、あの魔石のようになりたい。自ら輝き、魔道具を作って誰かを護れる研究者になりたい。それが私の、誰にも言えない秘密の夢のはじまりだった。
幸い公爵令嬢の名に恥じず、私には各属性の魔石に対する高い潜在能力が備わっていたし、努力を重ねられる自信もあったが、現実は甘くはなかった。
「エレオノーラ、お前は我がローゼンベルク家の最高傑作だ。誰よりも良い家に嫁ぐことこそが、お前の義務であることは分かるな?」
耳にタコができるほど聞かされたお父様からの言葉。同じ年頃の令嬢たちが口にするのは、誰に嫁ぎたいか、どの家なら安泰かという話ばかり。
十二歳になる頃には、私は自分の夢がこの国では無謀なのだと理解し始めていた。
諦めきれず、家庭教師や周囲の令嬢に「もし、令嬢が職を持って働いたら……」とさりげなく聞いてみたこともあったが、返ってきた答えは等しく、冷ややかなものだった。
「あり得ませんわ。そんなの、家の恥を晒すようなものですもの」
恥知らず、あり得ないーー。
だから私は、この夢を心に秘めて隠すことにした。
誰にも見つからないよう、夜中に隠れて魔石の加工を研究し、独学で魔道具を作ろうとする日々。だが、正式な指導も受けられない独学にはすぐに限界が訪れた。結果として、魔道具の完成には至らず、ただ魔石への繊細な出力コントロール力だけが、年月と共に上達していった。
……使い道のない適性だけが、虚しく高くなっていく。
もしかしたら、この技術が何かの役に立つ日が来るかもしれない。そう自分に言い聞かせ、私は公爵令嬢としての教育も人一倍努力した。
いつしか私の本音に反して、周囲からは『完璧な令嬢』と称賛されるようになっていったーー心に分厚い仮面を張り付けたまま。
そして十六歳で社交界にデビューした後、皇帝陛下との婚約の打診があった。
世界で最も危険とされる『闇の魔石』を唯一扱える陛下に対し、闇の魔石にも興味があった私は、黒への嫌悪は微塵もなかった。
けれど、お互いに義務として交わした言葉は驚くほど少なく、ただ一度の形式的な顔合わせで終わった。あの方の瞳に甘い光が灯ることも、私の胸が恋心にときめくこともない、どこまでも手続きのような時間だった。
そんな私の義務的な態度に思うところがあったのか、しばらくして皇宮側から断りの報せが入った時は、不敬ながらどこかホッとしたのを覚えている。
お父様もプライドから私をそれ以下の家に無理に嫁がせようとはしなかったため、私の平穏は守られたかのように見えたが……。
カシアン様との婚約、そして妹リリスによる裏切り。
そこに燃え上がるような恋心こそなかったものの、穏やかな彼となら、きっとこれから温かい信頼関係を築いていけるのだと信じていた。それなのに、あんな形で妹に全てを奪われるなんてーー。
見出した希望が、悲しいくらいにあっけなく音を立てて崩れ去ったあの建国記念晩餐会で、私は運命の出会いを果たす。
ーー初めに目に入ったのは、鮮やかな朱赤だった。
この国の常識を真っ向から覆すような朱赤のドレスを身に纏い、堂々と陛下の隣に立つヴァルハイト辺境伯のご令嬢、ロクサーナ様。
普段なら自分から他人に話しかけるなどめったにしない私が、何かに強く引き寄せられるように、気づけば彼女に声をかけていた。
『ーー初めまして、ロクサーナ様』
最初は、打算があった。皇帝陛下から前代未聞の寵愛を一身に受ける彼女と仲良くなっておけば、私の後ろ盾になってくれるかもしれない。そんな下卑た計算が、心の片隅に確かにあったのだ。
今思えば、自分の足で立つこともせず誰かに何かをしてもらおうなどと考えた自分が、恥ずかしくてたまらない。
ただ、そんな私の浅はかな期待は、良い意味で裏切られることになる。
ロクサーナ様と過ごす時間は、私の常識や凝り固まった考えをことごとくひっくり返していった。
『美徳を守るあまり、ご自分の幸せを他人に委ねてしまうなんてもったいないではありませんか』
彼女のその言葉は、私の心を激しく揺さぶった。
私はこれまで『公爵令嬢』という型の中で、いつしか夢を封印し、完璧な姿を守ることばかりを考えて生きてきた。
(だけど、私もーー)
もう一度自分らしく夢を追ってみたい。
夜も眠れないほど何度も何度も考え、最悪の結末を想像した。それでもーー。
例え失敗して全てを失ったとしても、このまま周囲の期待通りに偽りの仮面をかぶって生きていくより、きっと後悔しない。そう、思ったのだ。
ヴァルハイト領から戻ってきたロクサーナ様に、勇気を出して私の夢を打ち明けた。
愚かな夢だと、呆れられるかもしれない。そんな恐怖を抱く私に、彼女は身を乗り出して、満面の笑みで応援すると言ってくれた。
私は涙が溢れるのを止められなかった。
打算から始まった関係だったけれど、私はロクサーナ様という人柄に、魂を救われた。
ーーこの方と、本当の『友達』になりたい。
この先、もし公爵家を勘当されたら、未来の皇妃となるこの方にとって、私は何の力も持たない取るに足らない存在になるだろう。
けれどーーいつかきっと、自分の力で魔道具を作り上げ、今度は私がこの方の力になりたいと、心からそう願った。
「ありがとうございました、ロクサーナ様」
皇宮の庭園を後にし、公爵邸へと戻る馬車の中、私の視界はかつてないほどクリアだった。胸の奥の羅針盤は、もう迷わない。
屋敷に帰宅後、私は重いドレスを脱ぎ捨てることもせず、真っ直ぐに現ローゼンベルク家当主であるお父様の執務室へと向かった。
コンコン、と固い決意を込めて扉を叩く。
「入りなさい」
中から聞こえた厳格な声に応じ、私は扉を開けて一歩を踏み出した。顔を上げるお父様を、私は真っ直ぐに見つめる。
「ーーお父様、大事なお話があります」
それは、完璧な公爵令嬢としての終わりであり、『エレオノーラ』としての始まりだった。
エレオノーラの物語は番外編とかで別途書きたいと思っています。




