第6話:夜の庭園と、探り合い
ロクサーナ視点です。
四日目の夜。
私は、新しく料理長に作ってもらった大猪のスペアリブ(大猪はタウンハウスの魔導冷蔵庫できちんと保管しておいたもの!)をシルクの布に包み、いつもの庭園へと急いでいた。
今日のドレスは、用意していた淡い水色のもの。帝都の連中からは、お淑やかで美しいと視線を集めたけれど、私にとってはルシウス様の黒に映えない退屈な色でしかない。
早くあの人に会いたい。けれど、近づくにつれて、昨夜から胸に居座る不安が足取りを重くさせた。
(もし……もし本当に素敵な婚約者がいらっしゃったら、どうしよう)
大理石のベンチが見えてくる。そこには、いつもと変わらず、夜の闇に同化するように佇むルシウス様の姿があった。相変わらず、女神のように整った横顔が恐ろしいほどに美しい。
「ルシウス様……!」
「……来たか」
振り返ったルシウス様の漆黒の瞳に、私の姿が映る。その瞬間、私の不安なんて吹き飛ばすように、彼の目元がほんの少しだけ和らいだ。
「今日も来てくださって嬉しいですわ。はい、今夜の差し入れです!」
「律儀なことだな。……? 今夜は昨日とは随分と雰囲気の違うドレスのようだが」
ルシウス様が、私の淡い水色のドレスに視線を落とす。帝都の連中なら大絶賛する「白に近い美」のドレスだ。けれど、ルシウス様はどこか、つまらなさそうに目を細めた。
「帝都の流行りの色ですわ。でも、私は昨日の黄色の方が好きですわ。だって、あちらの方が、ルシウス様の綺麗な黒に映えますもの」
「……そなたは、本当に変わっているな」
ルシウス様はふっと呆れたように、けれど嬉しそうに笑って、差し出されたお肉を受け取ってくれた。
ベンチに並んで座り、お肉を分け合う。いつもならこれだけで幸せなのに、今夜の私は、どうしても喉の奥に引っかかった言葉を吐き出さずにはいられなかった。
「あの……ルシウス様。一つ、お伺いしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「ルシウス様は、その……これほどお美しくて、立派なお召し物をされているのですもの。もう……その、帝都に、決まった婚約者などがいらっしゃるのではないですか?」
気づけば、手にぎゅっと力が入っていた。
訊いてしまった。もし「いる」と言われたら、私は――。
静寂が、庭園を包み込む。
ルシウス様は、咀嚼していた肉を飲み込むと、ゆっくりと私の方へ視線を巡らせた。その瞳の奥に、昼間の冷酷な皇帝の影のような暗い光が灯るのを、私はまだ知らない。
「婚約者、か」
ルシウス様は、低く、冷ややかな声でその言葉を繰り返した。
「いないと言ったら、そなたはどうする?」
「え……?」
「この国で、私のような不吉な『黒』をまとう男の婚約者になりたがる奇特な女など、一人もいない。……それとも何か? そなたは、私に婚約者がいてほしいのか?」
グイ、と。
ルシウス様が、私の顎を長い指先で不意にすくい上げた。
逃がさないと言わんばかりの強い力。間近に迫る黒い瞳は、恐ろしいほどの迫力と、私を射抜くような熱を孕んでいる。
「昨日、私しか目に映らないと言ったな。……ならばなぜ、今さらそんなことを訊く? 私に決まった者がいれば、諦めて他の男の元へ行くつもりか? ――そんなこと、絶対に許さない」
ルシウス様の口から漏れ出たのは、強烈な嫉妬と、独占欲だった。冷たいはずの言葉なのに、その奥にある熱量に、私の心臓はまたしても爆発しそうなほど跳ね上がる。
私は必死に、けれど真っ直ぐに彼の目を見つめ返した。
「他の人のところになんて行きませんわ!…… 私はただ、ルシウス様が誰か他の人のものになっていたらどうしようと、不安で堪らなかっただけですわ。 私が妻になりたいのは、最初からルシウス様だけです!」
「っ……」
今度は、ルシウス様が息を呑む番だった。
ヴァルハイトの女の、直球すぎる全力の求婚。
ルシウス様は、ふ、と、底暗い執着を孕んだ微笑みを浮かべた。
「……そなたがそう言ったのだからな。もう、絶対に前言撤回は許さない。ーーロクサーナ」
「っ、あ……」
初めて呼ばれた、自分の名前。
私の鼓膜を震わせた彼の声は、恐ろしいほどに甘くて重い。
顎を掴んでいた指が、今度は私の頬を愛おしげに、けれど逃がさないように優しく包み込む。
ーーこの夜を境に、私たちの距離は急速に縮まっていった。
・魔導冷蔵庫について:
この世界は、魔力を込めた便利な道具(魔導具)が、生活の中に溶け込んでいる世界です。
魔力を動力源とする家電のようなもので、氷の魔石を使った「魔道冷蔵庫」や、光の魔石を使った「魔道ランプ」などがあります。




